第17話若さと老い
午後七時。
窓の外では、夕陽が完全に沈み、街灯がゆらりと点きはじめた。
カラン、とドアベルが鳴る。
マスター小鳥遊はカウンターでミルを回す手を止め、やさしい笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席へ。」
入ってきたのは、二人連れだった。
一人は二十代半ばの青年、少し肩で風を切るような歩き方。
もう一人は七十近いであろう初老の男性、杖をつきながら、ゆっくりとした足取り。
二人は並んでカウンターに腰を下ろすと、青年が先に口を開いた。
「……マスター、ここって相談とか……していいんですか?」
「ええ、もちろん。では、コーヒーを。」
「俺は……濃いめで。ブラックで。」
「私は……優しい味を……カフェラテで頼むよ。」
サイフォンの湯がふつふつと音を立てる。
青年は少し唇を噛み、ぽつりと話し始めた。
「……俺、最近職場で“若いんだからさ”って何でも任されるんです。
でも、経験が足りないって言われるたびに、若いってだけで見下されてる気がして……。
正直、もう嫌になるんですよ。」
隣の初老の男性が、少し笑って口を開く。
「……わしは逆だ。
“もう年なんだから無理するな”って言われて、
まだまだやれるのに、何でも若い子に譲らなきゃならないみたいでな……。
年を重ねたってだけで、必要とされない気がしてしまう。」
マスターは黙って二人の言葉を受け止め、カップに琥珀色のコーヒーを注いだ。
湯気がふわりと立ち、店内をやさしく包む。
「――若さも、老いも、時に重たく、時に羨ましいものですね。」
青年はカップを見つめたまま、眉をひそめる。
「……でも、どうしたってどっちかしか選べないじゃないですか。」
「ええ。だからこそ、お二人とも、その時間をどう生きるかを選べます。」
マスターは青年に向かって静かに言った。
「若さは、勢いと未熟さを持っています。
だからこそ、挑戦し、失敗し、何度でも立ち上がれる。」
そして初老の男性に視線を向ける。
「老いは、経験と限界を知っています。
だからこそ、若い人の歩みに道を照らす力がある。」
二人はカップを手に取ったまま、しばし言葉を失う。
やがて青年が小さく笑った。
「……俺、年上の人にちゃんと頼ってみます。
若いからこそ、教えてほしいこと、いっぱいあるんで。」
初老の男性も、ゆっくりと頷いた。
「……わしも、若い連中に任せるばかりじゃなくて、
まだ伝えられることは伝えていこう。
……年を重ねてきた意味を、ちゃんと使わんとな。」
マスターは柔らかく微笑んだ。
「――そうやって互いに補い合えるなら、
若さも老いも、きっとすばらしい財産になりますよ。」
二人は同時にコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
カラン、とドアベルが鳴り、夕闇に溶けるように歩き出す。
カウンターの奥で、小鳥遊マスターはカップをそっと拭きながら、
湯気の向こうに消えた二つの背中を見送り、静かに呟く。
「――人生の時計はそれぞれ違うけれど、
出会えば同じテーブルで、同じ香りを味わえるものですね。」
そしてまた、次のお客様を待つように、
ゆっくりとミルのハンドルを回し始めた。
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