第15話夕暮れに差す一筋の光
夕方五時。
橙色の陽が窓辺を染め、店内に長い影を落としていた。
カラン、とドアベルが鳴る。
カウンターでサイフォンを温めていたマスター小鳥遊は、穏やかな声で迎える。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きなお席へ。」
入ってきたのは、制服姿の女子高生だった。
肩までの髪が少し乱れ、袖口にはかすかなほつれ。
カウンターに腰を下ろすと、リュックを抱えたまま俯いている。
マスターは柔らかい笑みを浮かべたまま、そっと尋ねた。
「コーヒーはお飲みになりますか? それとも、少し甘いものがいいでしょうか。」
少女はか細い声で答えた。
「……カフェオレ、お願いします……。」
サイフォンの湯がゆるやかに踊り始める。
マスターは手を動かしながら、静かに言った。
「お疲れのようですね。……もしよければ、少しお話を聞かせてくれますか。」
少女はしばらく黙っていたが、やがて小さく唇を開いた。
「……私……学校で、いじめられてるんです。
靴を隠されたり、SNSで悪口を書かれたり……
毎日、行くのが怖くて、でも親には言えなくて……。」
マスターは手を止めず、ただ耳を傾ける。
「……今日も、教科書を破られて、机の上にひどい落書きがあって……。
帰り道、急に、全部が嫌になって……。
“もう生きてたって意味ないや”って思って……。
……でも、歩いてたら、この店の看板が見えたんです。」
カップに注がれたカフェオレから、やわらかな湯気が立ち上る。
マスターはそれを差し出し、深くも優しい声で語りかけた。
「――来てくださって、ありがとうございます。」
少女の肩が、わずかに震えた。
マスターは続ける。
「あなたが今日ここに座っているということは、
まだ、どこかで“助けてほしい”と心が叫んでいた証拠ですよ。」
少女はうつむき、ぽつりと呟いた。
「……でも、誰も……」
「いいえ、います。
私でなくとも、あなたを本気で心配し、守りたいと願う人は必ずいます。
……たとえば、親御さん。あるいは先生や、相談できる大人。
あなたの人生は、まだまだ途中なのです。」
少女の目に涙が溢れた。
カップを両手で握り、かすれた声を漏らす。
「……でも、私……何も変われない気がする……。」
「変わるのは、あなた一人でやらなくていいんですよ。
“助けてください”と声を上げていいんです。
それは弱さではなく、勇気です。」
マスターはカウンターの奥から、店のカードと、地域の相談窓口が載った小さなメモを差し出した。
「もしよかったら、これを。
私だけでは力が足りませんが、ここに電話すれば、あなたのそばに寄り添う人が必ずいます。」
少女は震える手でそれを受け取り、カフェオレを一口すすった。
ほろ苦さと優しさが、胸の奥にじんわり広がる。
「……私、帰ったら……ちゃんと話してみます。
……ありがとうございます。」
マスターは深く頷いた。
「ええ。あなたは、一人ではありませんから。」
夕焼けが店内をやさしく照らす。
少女は立ち上がり、リュックを背負う。
カラン、とドアベルが鳴り、外の世界へ小さな背中が歩み出した。
カウンターの奥で、小鳥遊マスターは静かにカップを拭きながら、
窓の向こうに消えた彼女の姿を見送り、そっと呟く。
「――どうか、あの子の明日が、少しでも光に満ちていますように。」
そしてまた、次のお客様を待つように、
やさしくミルのハンドルを回し始めた。
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