第16話 王たる資格

(確かに獣化は出来ていない、なにか力の動きが歪になっているような)


 先ほどのアドルフの獣化できなかった力の動きがエイラはとても気になった。

 力が足りていないから出来ない、そんな風には見えないのだ。力は足りている、練り方も合っているように感じた。だとしたら問題はどこにあるのだろう。


(力が足りないというより、もっとずっと大きな力を感じるわ、でもそれってなに?)


 今まさにアドルフは獣化を試したが出来なかった。しかしそもそも獣化が出来ない者は、あんな風に力を練ることすら難しくてできない。

 それが出来ているのに、獣化しないというのは一体どういうことか。

 姿勢だけは寝そべるようなあくまで暢気に見守っているような様子を維持したまま、エイラはじっと考えていた。

 そもそも獣人の力にはかなりの個人差が現れる。種族によっては、力が強くとも獣化が全くできない場合もあるらしい。リズネシス王家は代々獣化に適した身体と力を持っているようだ。基本的に王族男子は獣化が出来る筈だが、アドルフとランドンは出来ない。


(駄目だわ、わからない)


 どうしたらいいだろう。

 大きく呼吸をするようにしながら、寝そべっている腕の上に頭を乗せる。そうして再び考えごとをしようとしたところで、森を強い風が吹き抜けた。


(ッ! 誰かいる?)


 風の向きが変わった瞬間、エイラは何者かの気配を敏感に察知した。

 小動物かもしれないが、そうではないようにも思える。


(聞かれるほど近付いてはいないと思うけれど、聞かれていたらまずいわ)


 それは近付いてくるのではなく、逆にこの場からどんどんと離れていく。

 慌てて起き上がり、警戒しつつじっと気配の様子を探る。


「どうした? なにかあったか」


 急に起き上がった様子に、アドルフも怪訝な表情になった。眉を寄せ集中するようにして、エイラが睨んでいるほうを見る。

 しかし感じた気配はもう森から離れ、感じ取れなくなってきていた。


(追うべきか、このまま陛下に付いているべきか、でも私の獣化も長い時間は力がもたないわ)


 獣化が出来るといっても時間は無限ではない。少なくともエイラは人の姿のほうが基本の状態だ。獣化はせいぜい数時間が限度というくらいだ。


 人数は複数ではなかった、ならばどうするべきか。

 考えながらなおも森の睨んでいると、なにかが優しく身体に触れた。見るとアドルフがゆっくりと獣の身体を撫でてくれていた。


「ありがとう、心配してくれているのだろう、たとえ聞かれていたとしても大丈夫だ」


 雪豹となっている身体を、落ち着かせるようにゆっくり何度も撫でる。


(聞かれていたとしてもって、それじゃあ陛下は……)


「そうだ、もういい加減、俺も決めねばならないからな」


 さっと立ち上がると、衣服の裾を直してもう一度エイラの身体を優しく撫でた。

 本当に大丈夫かと身体を捻るようにしながら視線を向けると、心配ないと伝えようとする表情が浮かぶ。なんだか無理矢理繕っているようにも見えて、エイラの心は言い表せない軋みを感じる。


「さて、俺はそろそろ行く、お前は温かいから一緒に寝るのも悪くなさそうだが、流石に王が朝まで行方不明なのはまずいからな」


 アドルフはふわりと笑った。

 獣化してここにいる間だけは、こうして笑顔を見せてくれる。それはエイラに向けられているわけではなく、見知らぬ獣に対してだ。

 確かにエイラの力もあと少しくらいしか続かない。起きた時に隣でエイラが寝ていたら、彼をひどく驚かせることになってしまう。

 正体がエイラだと分かったら、その表情には怒りが浮かぶかもしれない。


(どうか気を付けてください)


 視線を送るくらいしか出来ない自分がもどかしい。そう思いながらエイラはアドルフを見上げる。

 以前もそうだったが、これ以上城の近くに寄って誰かに見付かるわけにはいかない。

 それでも案ずるように、尾を揺らして行ったり来たりしていると、彼はまたおかしそうに笑った。


「なんだ、ずいぶんと落ち着かないな、そんなに心配か?」


(当たり前です!)


 アドルフはしゃがんで視線を合わせると、もう一度頭をぐりぐりと撫でた。


「ありがとう」


 一瞬だが金の瞳のなかに薄青の瞳が写りこむ。

 さっと立ち上がると、アドルフの表情から感情が消えた。冷淡に前を見据えるその佇まいは、リズネシスを治める孤高の王だ。


 そのまま城のほうへ向かって歩いて行ってしまう。振り返ることはなく、もう優しく声を掛けることもない。


 しばらくその後姿を見送っていたが、やがてエイラもゆっくりと森を歩き始める。

 誰かが声が聞こえるくらい近付いていたら、自分やアドルフは気配で気付くだろう。二人ともそれがなかったということは、話は聞かれていなかったと思うしかない。

 アドルフは、たとえ聞かれていたとしても問題はないと言った。

 それは王でなくなるということが、彼の中でもう覚悟として決まっているからなのか。


(彼が選ぶ道なら、どこへだって行きたいし支えになりたい)


 こうして森で出会って見せてくれる笑顔は、とても暖かく心地良い。


(見知らぬ獣だけでなく、私にもあんな笑顔を見せてくれたらって思っているのね)


 彼に心惹かれている。それはまだエイラの中でははっきりしたものというより淡い想いという状態だと感じる。それでもエイラの中でアドルフだけが唯一で特別だ。

 連れて行ってくれるなら、森で隠居でもどこでも一緒に行く覚悟はある。


(でも、獣化が出来ないアドルフ様は、獣化できる娘を好いてくれるかしら)


 永遠に黙っているわけにはいかない。いつかは話せる日が来るといいと思っている。

 しかし獣化出来ないことを長年隠しているアドルフは、エイラが獣化できると知ったらどう考えるだろうか。


 その日も、結論の出ない考えごとを繰り返しながらエイラは部屋まで戻った。




 それから数日経ち、エイラに教育係が付くことになった。基本的な教養や護身術など、分野は様々だ。

 城の中を行き来することも増えたが、相変わらずアドルフと出会うことは滅多にない。会ったとしても、会話はほんの挨拶程度なことがほとんどだ。


 しかしその日は珍しく、アドルフからの呼び出しがあった。


「陛下、エイラですがお呼びになられていると聞きました」

「……ああ、座ってくれ」

「失礼します」


 呼ばれたのは、一度入ったことのあるアドルフの執務室だった。

 以前も座って話をした場所に座るように促される。エイラが座ると、アドルフはいつかの時と同じように正面に座った。


「教育は順調のようだな、とても真面目で覚えが良いと各担当から評価を受けている」

「ありがとうございます」


 新しいことを覚えるのは楽しい。知ると同時にもっと沢山のことを学びたいと思えてくるのだ。

 どれもアドルフの妃となるための教育だが、今日の話は婚儀が決まったという話しではなさそうだ。そういう雰囲気の表情ではないように見えた。

 どちらかというと、アドルフには困ったような表情が浮かんでいる。


「陛下、お話というのはあまり良くないことでしょうか」

「ああ、あまり長引かせてもしかたないな」


 アドルフはひと呼吸おいてから話を始めた。


「コレルトから使者が来ているんだ、君に面会を求めている」

「そう、ですか」


 以前にコレルトの宰相ダネスから書状が来ていた。父である王の訃報とダネスを次の王として認めろという理不尽な要求だ。

 その場での回答など出来なくて曖昧にしていた。

 返事がないことにしびれを切らして催促してきたのだろう。

 こちらが返事を先延ばしにしている以上、あり得る話だ。


「まず来たのは先触れだが、どうやらダネス殿が直接君に話をしたいそうだ」

「私にコレルトに出向けということでしょうか?」


 自分でも表情が徐々に強張っていくのを感じていた。本来コレルトの姫であったエイラを虐げていたのは、主に宰相ダネスの指示だ。

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