第5話『クレアナの甘え(後編)』
いつしか冷酷の魔女が狂犬を手懐けたと言わしめるほどにお互いの存在が大きくなっていた最中にその事件は起こった。
「ヨース、被害の状況は?」
「夜の国の街の一角、魔力暴走を起こした人物はこの前起案した災害用トラップによって留まっています」
「そう、だけど時間の問題ね。イース、魔力暴走で引き付けられた魔物を倒しなさい。ヨースは住人の避難の誘導を。私は魔力暴走を止めに行くわ」
「おっけー」
「お気をつけて、お嬢様」
細かく指示する必要はない。お互いのことは自分がわかっているのだから。三人の中には心配なんて言葉はなかった。
こうして魔力暴走の事件はほぼ被害を出すことなく終息を迎えた。
「ヨース、お嬢は?」
「いえ…こちらには来てませんね」
「ふーん…」
魔物を軽く一掃したイースは何か腑に落ちないように呟く。
「なんかさ、おかしくね?」
「奇遇ですね、私も同じことを考えていました」
一見適材適所に己の役割を果たしたと考えるところだが、それにしては双子の負担があまりにも少なすぎた。クレアナは二人の力を過小評価しているわけでも、ましてや心配することはしない。もっと被害を最小限にしたかったのならば魔力暴走を双子が止め、そのサポートをクレアナがする方が余程良かった筈だ。双子が簡単に思いつくそれを、クレアナが思いつかないわけがない。
「魔力暴走の居場所は?」
「あれからトラップを破壊して移動したらしいですが、被害者が出ていないということはそこまで遠くへは行ってないでしょう」
二人が考えることも、行動に移したのもほぼ同時のことであった。
双子が見つけたのは半壊状態の孤児院で魔力暴走して…命が尽きた子供を抱え座るクレアナであった。その孤児院は双子にとってよく知る場所だ。
「…この孤児院が子供を使って魔法の実験をしていたことに気づいたのは、貴方たちが実験体となり魔力を失ってから随分後のことだったわ」
クレアナは独り言のように、しかし双子に向けて話し始める。
「彼らに悪意はなかった。だから気づけなかった。私の従者が孤児院と繋がっていて密告されていたことに」
一度だけクレアナは秩序に背いて自分だけが責任を負う覚悟で孤児院の裏の顔を暴くために動いたことがあった。しかしそれは彼らには筒抜けであり、クレアナが作り上げた厳しい秩序のせいでクレアナはそれに足を掬われたのだ。従者たちはクレアナを裏切ったわけじゃない。彼らはクレアナの為になると実験を進んで行ったのだ。それをクレアナが望んでいないと知ることなく、ただ魔法を極めるクレアナに認めて貰いたい一心で。多くの人…かつての実験体であるイースやヨースも含め、犠牲が出ると知っていながら。
「…こんなのが夜の姫なんて、笑わせるわね」
乾いた笑いを零すクレアナから雫が落ち、絶命した被害者の子供の頬を何度も濡らす。
『クレアナはいつも落ち着いていて、どんな時でも正しい結論を出してくれる。夜の月のように安寧をもたらしてくれる、そんな貴方が大好きよ』
アレイスはクレアナを褒める時に嬉しそうにそう言ってくれる。しかし本当に正しい結論ができたのなら腕の中で無理やり魔力暴走させられ死んでいった子供はいなかっただろう…イースやヨースも、魔法が基盤の夜の国で苦しまずに済んだはずだ。
『姉ちゃんはいつも馬鹿馬鹿言ってくるけどさ、本当に馬鹿なのはクレアナ姉じゃないの?』
いつだかマリリアが言っていた言葉が蘇る。まったく本当にその通りだ。秩序だ冷静だと言われておきながら本当の平和を作ることはできなかった。信頼していた従者の過ちにも気づかないその様は馬鹿な道化としか言いようがない。
「主従関係は破棄よ、こんな愚か者の下に仕えたくないでしょう。貴方たちの罪はそのまま無罪にしてあげるわ。あとは勝手に生きなさい」
さようなら、と羽で去っていくクレアナを双子は止めることができなかった。ずっとわかった気でいたのだ。クレアナを一番知っているのは自分たちだと。しかし泣くクレアナにどうすればいいのか、わからなかった。どうすればその涙を拭ってあげられるのか、何と声をかければ彼女の心に届くのか。
「…」
「…」
突然捨てられた迷子の犬のように、二人はその場から動くことができなかった。
「あ…あの、貴方たちがイースとヨース…かな?」
そんな二人に声をかけたのはクレアナによく似た臆病な姉妹、黄昏の姫ヴァルネであった。
「そっか…そんなことが…」
二人から事の顛末を聞いたヴァルネは悲しそうに呟いた。
「…オレたち、お嬢のこと何もわかってなかったんだな」
「…ええ。ずっと…お嬢様は自分を責めていたのに…それを取り除くことすらできなかった」
すっかり意気消沈の二人を見て、ヴァルネは俯きながらおそるおそる口を開く。
「アレイスお姉さまはいつも心配されていたの。『クレアナは自分を甘やかすことができないからいつか一人になってしまうんじゃないかって』…でも、二人を見てそんなことないって私は思うよ」
ヴァルネの言葉に二人は顔を上げる。ヴァルネは不安そうに、しかし確信をもって微笑んでいた。
「イースは彼女を愚か者だと思う?」
「…思わない」
「ヨースは彼女にもう仕えたくないって思う?」
「…思いません」
ヴァルネは嬉しそうに笑って頷く。
「それでいいんだよ。全部知らなくたって、二人の想いは変わらない。その想いをそのまま伝えてあげて、そして傍にいてあげて…本当に一人になってしまわないように、二人の存在が必要なんだよ」
二人は同時に立ち上がった。その心も、行動も、何も変わることはない。変える必要などなかったのだ。
「…ありがとう」
そんな二人にヴァルネは心から感謝を述べたのであった。
クレアナは目を覚ます。いつもと変わらない安寧の闇である…しかし、クレアナの心にはポッカリと穴が空いたかのように虚しかった。それほどまでにイースとヨースの存在がクレアナの中で大きく占めていたのだ。しかし、もうそれは満たされることはない。クレアナは一人になることを望んだのだから。
起き上がると長い髪が垂れる。もう結ってくれる人はいない。いっそのこともう切ってしまおうか。邪魔でしかないのだから、愚かな自分は姉のようになれないのだから。
クレアナは魔法で身だしなみを簡易に整えると部屋を出た。書類まみれの日々へと戻ろう。それを補助してくれる人はいないのだから。忙しくしていればこの虚しさも忘れられると信じて。
だから、部屋を出たら煩かったあの二人の声は聞こえない筈で。
「あ、クレアナ嬢おはよー」
「おはようございます、クレアナお嬢様」
いつもと変わることのない日常が、焦がれてやまない温もりがクレアナを出迎えていた。
「…なぜ、ここにいるのかしら?」
「なんでって…お嬢が言ったんじゃん。勝手に生きろって」
「ええ。ですから…私たちは勝手に、自分の意思でお嬢様の下で仕えることを望むのです」
「…どうして」
どうして、仕えようとするのか。こんな愚か者の主君に。また、裏切ろうと企んでいるのではないか。以前の従者のように。
不安に揺れる金色の瞳に僅かに期待の色が宿っているのを見た二人はクレアナの前に膝をつき頭を垂れる。
「オレたちはクレアナ嬢を守りたいの。クレアナ嬢と、クレアナ嬢が守りたいものぜーんぶ」
イースは動くことのないクレアナの右足へ口づけた。イースは知っていた、クレアナがいつも歩くことを夢みて一人で努力を積み重ねていたことを。しかしどんな魔法でも彼女を縛る薔薇は解かれることはなくクレアナの自分の足で歩く自由を奪っていた。まるでクレアナが己を縛るが如く。
「…そんなことしても意味はないわ。どんなことをされようと、どんな言葉をかけられようと、私は私を一生許すことができない」
「ええ、知っています。だから私たちがクレアナお嬢様を許すためにお傍にいたいのです」
ヨースはクレアナの左足に口づける。ヨースは知っていた、クレアナは国のために自分を後回しにしていることを。書類だけでなくその不自由な身で時には視察に行くこともあり、誰よりも、自分よりも国と住人を愛していることも。
「お嬢がどんなに責められたって、自分で自分を責めたとしてもオレたちは絶対にお嬢を責めない」
「たとえお嬢様が愚か者だと揶揄されようと、私たちはお嬢様が常に正しいと信じ続けます。それが正しかろうとそうでなくとも、私たちにとって一番はお嬢様なのですから」
クレアナは愛を愚かと言い聞かせ自分はそれに溺れてはいけないと戒めていた。
しかし、どんな愚行であろうと自分だけを優先し一番だと信じてくれる人たちの愛を愚かと言うのならば、それはなんて甘くて愚か者の自分にお似合いなのであろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます