第3話『残響のダンジョン』

 ──火照る身体に、冷気が触れた。


 カイルは荒い息を整えながら、ダンジョンの空気を吸い込んだ。

 まだ朦朧としつつも、思考は戻ってきている。


「ここは……最奥……」


 見覚えのある石壁、倒れた冒険者の装備、血の跡。仲間たちと到達した“はず”の最深部。

 けれど、今は一人だった。


 背中を預けられる者はいない。

 信じた者に殺され、捨てられた。生きていたとしても、もはや“帰る場所”など存在しない。


 ギリ……と拳に力が入る。

 その時──


 ガアアアアアアッ!!


 雄叫びが、空気を震わせた。

 目の前の闇から、魔獣が再び姿を現す。


 巨大な黒い毛並み、異様に伸びた牙。

 この階層の“主”──さきほど対峙していた、あの魔獣だった。


 カイルが殺されてから再び立ち上がるまで、どれほどの時間が経過していたかはわからない。


 しかし、倒れた者を無闇に襲うわけではないところから、この魔獣が“主”たる矜持を持ち合わせていることは疑いようがなかった。


「……なるほどな」


 カイルは、かすかに笑った。


「俺がやるしかないってわけか」


 逃げる手はない。カイルは、構える。

 以前の自分なら、確実に死んでいただろう。だが今は──違う。


 どうすべきか、正解がわかっているわけではない。


 だが、身体の中に溢れんばかりの魔素が、出し惜しみするなと言わんばかりに、その存在を感じさせてくる。


 スッ、と右手を前に出し、意識を集中する。

 魔素が、指先に流れ込んでくる。脳が魔素の流れを「視覚化」し、神経がそれを「制御」する。


「──風よ、断ち切れ。『風刃フーガ』!」


 ブンッ──!


 一条の真空刃が、音を置いてきぼりにして魔獣へ飛ぶ。

 鋭利な風の刃が、魔獣の右前脚を切り裂いた。


 だが、それだけでは終わらない。怒りで突進してきた魔獣に、即座に右拳をアッパーのように突き上げる。


「空間よ、刻め──! 『風渦ウィンストーム』!!」


 ザシュッ!!


 空間がねじれ、風の渦が炸裂する。

 魔獣の肩口から、斜めに巨大な傷が走った。


 敵の巨体が揺らぐ。反撃が来る前に、距離を取り、もう一度、深く呼吸する。


 自分の中に、流れる魔素。止まらない。

 “異能”を、自覚する。


 ──俺は、もう過去の自分じゃない。


 だが、戦いの最中、ふと頭をよぎったのは──仲間たちの顔だった。


(……セリーヌ)


 優しかった。

 他の貴族のように見下すことはなく、むしろ対等に接してくれた。

 料理を褒めてくれたこと。風魔法を教えてくれたこと。少し照れた笑顔。


(あの笑顔も……全部、嘘だったのか?)


 胸が、また焼けるように熱くなる。

 それは魔素のせいではなく、心の痛みだった。


 そして、レオン。

 兄のように慕った男。剣術も教えてくれた。


「カイル、お前は本当に器用だな」──そう笑ってくれたこともあった。


(俺は……ただ、都合よく使われてただけなんだ)


 風の魔法が再び腕に集まり、カイルは走り出す。

 魔獣との間合いを詰め、一気に斬り裂く──!


 シュウッ!


 風の刃が、魔獣の首元に走る。

 断末魔の咆哮とともに、魔獣の巨体が崩れ落ちた。


 ──静寂。


 息をつく。勝った。たった一人で、今までの自分なら敵わなかった存在を、倒した。


 それでも、心は晴れなかった。


 カイルは、倒れた魔獣の死体の前に立ち尽くす。

 そして、残された仲間の痕跡──魔法の痕や踏み荒らされた地形──に、目をやる。


 かつて信じていた人々の幻影が、そこに焼きついていた。


「……一緒に笑った記憶、全部、嘘だったんだな」


 ふと、指先に熱が宿る。

 魔素が、自然と流れた。手をかざすと、炎が灯る。


 青白い炎だった。

 躊躇うことなく、そこに残された装備や布きれを燃やす。


 ──記憶ごと、焼却するように。


 もう戻らない。過去にも、信頼にも。


 これからは、“自分の意志”で進む。


 カイルは、最後の火の粉を見届け、背を向けた。


 《つづく》


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