第19話

「何となく、話が見えてきたな」

 玄関のチャイムが何度も鳴ったが、怜司は鍵を閉めるとリビングに戻った。乃亜もコンビニの袋を拾い上げ、後に続く。


「そういやさっきの女、何を持ってきたんだよ?」

 乃亜は怜司に袋を手渡した。中には、クリームたっぷりのジャンボシュークリームや豆大福、コーヒーゼリーなど、コンビニのスイーツの棚から何も考えず適当に選んだような商品が入っていた。

「……こんなんで詫びのつもりかよ、ったく」

 そう言いながら怜司は丸ごとバナナだけ抜き取った。

「これだけは昔から好きなんだよな。後は、お前にやるよ」

 怜司は残りの袋を乃亜に押し付けた。乃亜は暗い表情で受け取る。


「なんだよ、毒は入ってねーと思うぜ?」

「そうじゃなくって!」

 乃亜はコンビニの袋をテーブルに投げ出すと怜司に詰め寄った。

「ヤバいじゃ無いですか、この604号室! 私がここに住んでたら、また悪いことが起こるんじゃ……」

「落ち着けよ。さっきの女の言ってた事が本当だとは限らないだろ? 今の時点では噂話のレベルだ」

 怜司はゆっくりと丸ごとバナナの包装を解いた。

「恐怖って感情は、一番人間の判断力を奪うもんだ。まずは、さっきの情報の裏を取らねーとな。これから会社の人間に調べてもらうから、少し待ってろよ」

「で、でも私、死んだおじいさんの背中の黒い影を見たし、このマンションに何かあるのは間違いないですよ! ……私もスマホで調べましたけど! このマンション、事故物件ですよね? この部屋だけじゃなくて」

 乃亜がスマホで事故物件公開サイトを開くと、怜司に突きつけた。いくつも赤い印がついている。


「……え? 今更気付いたのか?」

 怜司は声を出して笑った。

「つーか、そんなの当たり前じゃん! だから霊感があるお前を、安くない金で雇ってる。普通の仕事じゃない、って言ったろ?」

「そ、それはそうかもしれませんけど。でも、そんなに危ない物件だなんて、先に言ってくださいよ!」

「しょうがねえだろ、俺も何が起きるか知らねーんだから。それを調べるのがお前の仕事。他に変わった事があったら教えろよ」

 怜司は丸ごとバナナを口に放り込んだ。

「じゃあな、イカれた女もいなくなったみたいだし、帰るわ」



 ここにいて大丈夫なのだろうか? 怜司を見送った後、大量のコンビニスイーツを前に一人立ち尽くした。とりあえず冷蔵庫にしまおうと思う。

 さっきの美香という女の言っている事が本当かどうかは、まだわからない。しかし、もし自分が604号室にいることで何らかの不幸な出来事が起きている可能性があるのなら、なるべく部屋の中にいない方がいいだろう。

 ……いや、少なくともこの部屋が事故物件である事が確実になった今、出来るだけ、604号室にいたくない。


 そんな事を考えながらコンビニの袋からスイーツを取り出していくと、袋の底に、小さな包装に入った、カラフルなネイルチップを見つけた。そう言えばさっきの女も

派手な色の爪をしていたし、もしかして自分の物を間違って袋に入れたまま渡してしまったのだろうか?

 謝罪の品、というにはどうにも場違いなシロモノだ。爪の根元が赤く、爪先に近づくにつれて黒くなっていく。所々にアクセントのように白い斑点が入っていた。自分にはどう考えても似合いそうにないが、さっきのような派手な女性なら、映えるのかもしれない。


 しかし、どうしようか。本人に直接会って渡せば良いのだろうが、父親が亡くなったのなら色々立て込んでいるだろうし、606号室を訪ねても会えるかどうかわからない。

 それに……また母親に会ったら。今度はダイレクトに頭をハンマーでかち割られるかもしれない。


 保管しておくべきだろうか、と考えながら眺めていたが、ずっと見ていると何だか気味が悪くなってきた。

 血のように真っ赤だし、目の錯覚だとは思うが、白い斑点がゆっくりと動いているような気がする。乃亜はネイルチップの存在を気付かなかった事にして、ゴミ箱に放り込んだ。


 かたん、と奥の部屋から聞こえた。音の出どころをたどり、書斎に入ると、壁際にあるバレーボールぐらいのサイズの地球儀が回っていた。

 しかし、地球儀にしては違和感がある。圧倒的に青味が足りないのだ。それに、知っている大陸が何も無い。近づいて、手で回転を止める。コペルニクス、ケプラー、アルキメデス……。聞き慣れない地名が英字で記入されている。一回転させて、ようやくこの球体が地球では無いことに気が付いた。

 これは月だ。月球儀というのだろうか。


 その月球儀の近くに、四角い機械が落ちていた。拾い上げると、長い有線のイヤホンが付いている。ポータブルのCDプレイヤーのようだ。だいぶ使い込まれて、所々汚れている。隣の棚から落ちて、月球儀に当たったのだろう。乃亜は、背伸びしてプレイヤーを棚の上の段に戻した。

 改めて棚を見ると、古いゲーム機や財布、小さなぬいぐるみやサングラス、小物が入った箱やらが乱雑に置かれていた。


 なぜだろう? この部屋はやたら物が多い。妙に年季を感じさせるものもあるし、前の住人の趣味なのだろうか? クローゼットの中も、ダンボール箱やリュックなど、物で一杯だった。しかし、考えても仕方がない。

 乃亜は、ついでに本棚からバスケ漫画の続きを取り出すと、書斎を後にした。



「わあ! このチーズケーキ食べてみたかったんだ!」

 沙羅は、乃亜が持ち帰った大量のコンビニスイーツを見て目を輝かせた。

「このチョコのやつも! これ、GODIVAのコラボだよ? お小遣いじゃ絶対買えないし! 本当に全部食べてもいいの?」

「あー、良いよ。貰い物だし」

 乃亜は、自分がとても食べる気になれない代物を、詳細は伏せて妹に与える事にした。後ろめたい気がしないでもないが、商品自体はコンビニで買える物だし、きっと大丈夫だろう。

「本当!? ありがとう! 私、今日はこのお菓子だけ食べるね!」

「それはダメだよ……。夜は野菜いっぱい食べよ。野菜炒めでも作るからさ」

「えー? お肉も入れてよ?」

 沙羅は、そう言いながらスティックのチーズケーキを取り出してかじりついた。肉は……魚肉ソーセージぐらいしか無かったと思う。


「それと、漫画の続き借りてきたよ」

 乃亜は鞄から漫画を取り出すと、テーブルの上に置いた。

「やったー、ありがとう! お姉ちゃん、良いバイト見つけたね!」

 沙羅は屈託のない笑顔を見せるが、乃亜は一層暗い気持ちになった。

「全然良くないよ……」

「えー? どこが? 漫画が読めてお菓子が貰えるんなんて、最高じゃん!」

「それは……ちょっと守秘義務があるから言えないけど」

「なにそれ、私にも言えないことなの?」

 沙羅は、不満そうに唇を尖らせる。

「お姉ちゃん、まさか闇バイト? ……なーんてね」

 沙羅は笑いながら言った。闇バイト、と言えば確かにそうかもしれない。乃亜も力無く笑った。

「それより沙羅、ちゃんと勉強はしてる?」

「ちゃんと動画見て勉強してるよ。母さんみたいにしつこく言わないで」

 沙羅は頬を膨らませた。



 洗濯と一週間分の掃除を済ませた後、乃亜は夕方まで寝た。一週間ぶりに、安心して寝られた気がする。夕飯を沙羅と食べ、着替えを袋に入れて出かける準備を整えた。良く眠ったせいか、折れそうになっていた心が立ち直る。


 あと2日。2日我慢すれば、バイト代がもらえる。

「それじゃ行ってくるよ、沙羅!」

 乃亜は軽快な足取りで、夕暮れの街を駅に向かった。

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