第17話 5日目
5日目。土曜日。
チャイムの音で乃亜は目を覚ました。あれ……? またインターホンが鳴っている?
まだ起きたくないので、居留守を決め込む。しかし、チャイムは執拗に何度も鳴らされた。朝から配達? 頼んだ記憶はないんだけど……。
乃亜は諦めてリビングに行き、インターホンのボタンを押した。しかし、機械の調子が悪いのか、乃亜の操作が悪いのか、カメラ映像が画面が表示されない。
「はーい、どちら様ですか?」
寝起きで声がかすれて、うまく発声できなかった。返答は無い。
乃亜は、マンションのエントランスに誰かが来ていると勝手に思い込んでいたが……何かがおかしいことに気づく。突然、ガン! と玄関のドアを叩く音がした。
1階の集合玄関ではない。誰かが、この部屋の玄関のドアの向こう側にいて、呼び鈴を押しているのだ。
「そこにいるんですか!?」
乃亜は驚いて、玄関の方に呼びかけた。
「……やっぱり」
インターホンから、くぐもった声が聞こえた。
「え? 誰ですか?」
「やっぱり、そこにいるんだな!」
怒声と、玄関でドアを叩く音がほぼ同時に聞こえた。慌ててでたらめにボタンを押すと、インターホンの画面が明るくなる。
髪を振り乱した、鬼のような形相の老婆が画面いっぱいに映った。
「お前のせいだ! お前のせいで、達夫は!」
腕を何度も振り下ろす。よく見ると、手には金属製のハンマーを握っていた。ガンガンとドアを殴り付ける。
「ちょっ……ちょっとやめてください! 一体、何を言ってるんですか!」
乃亜はインターホンに向かって叫んだ。
「お前が! 呪いを振り撒いたんだろうが! ようやく居なくなったと思ったのに、まだ居るなんて……」
「何のことですか!? 勘違いですって!」
「ふざけるな! 厄病神!」
話にならない。滅茶苦茶ヤバい人じゃん。乃亜は頭の中で逃げ道を考えた。
「おい、何やってるんだ!」
外から男の声が聞こえて来た。
「邪魔するな!」
「危ねえ! 気をつけろ!」
「お前が、お前が死ねば良かったんだ!」
外で何人もの人間が、揉み合う気配がする。やがて、老婆の声が遠ざかり、部屋の前が静かになった。
乃亜は、玄関のドアのストッパーをつけたまま少しだけ開き、恐る恐る外を覗いた。
「お嬢ちゃん、怪我は無いかい?」
人の良さそうな、紺色のポロシャツを着た白髪の男が声をかけて来た。
「は、はい。何とか……」
乃亜はほっと胸を撫で下ろす。
「そうか、良かった。お父さんかお母さんはいるかい?」
「いえ……2人とも早朝から仕事に行っているもので。帰りも遅くなると思います」
乃亜は咄嗟に嘘をついた。
「そうか……」
男は困った表情を見せた。
「それじゃあ、一応君に伝えておくけど。……あ、僕は、このマンションの管理組合の根本っていうんだ。怪しい者じゃないよ」
男はそう言って笑うと、一つ咳払いをした。
「あのね……さっきここに来た女の人。あの人、同じ6階の奥さんなんだ」
「6階の?」
「606号室の斉藤さんって言うんだけど」
「あの、私……斉藤さんに会った事ありませんし、恨みを買った覚えもないんですけど。何かの勘違いですよね?」
男は手入れしていない、太い眉をしかめ、ますます困った顔をした。
「……昨日旦那さんが病院に運ばれて、亡くなったんだ」
乃亜は即座に、昨晩の救急車に乗り込む憔悴した女性の姿を思い出した。
「それでちょっと気が動転してしまったらしい。今、管理人室に来てもらって、娘さんを呼んだところなんだけど」
「娘さんがいるんですか? それなら、連絡先を教えてほしいんですけど。ドアが壊れてるかもしれないので」
乃亜はドアを開け、外から観察した。一見、よくわからないが壊れていたら大変だ。
「……あのさ、変な話だけど。斉藤さんも大変な状況だし……その、許してやってくれないかな?」
「え? それって……」
「可哀想じゃない、あの奥さん! 旦那さんも亡くしてさ。年金生活だから、お金も余裕無いんだよ。君は若いからわからないだろうけど、年寄がみんなお金があるわけじゃないんだって! だから、勘弁してよ!」
根本はさっきまでの様子とうって変わり、一気にまくし立てた。マンションの住人を心配しているように聞こえなくもないが、その表情には『面倒事はごめんだ』という本音が漏れ出していた。
「えーと、ちょっと待ってください。私は大丈夫なんですけど……。さっきの人、金槌でドアを叩いてましたよね? ドアが壊れてたりしたら、さすがに困るんですが」
怜司に言ったら、バイト代から修理費を引かれるかもしれない。いや、奴は反社に繋がりがありそうだし、もっとヤバい事になるかも……。
「うーん。僕も見たけど、ドアは何とも無いよ? 金属製だから音が響いたのかもしれないけど」
根本はドアを一瞥しただけでそう言った。
「私もドアのプロじゃ無いんで……。ドアのプロってどんな人かわかりませんが。ほら、表面は大丈夫そうに見えても、内側が壊れてたりするかもしれないじゃ無いですか。後で何かあったら、って考えると私が簡単に大丈夫とは言えません。お父さんとお母さんに相談してみないと……」
根本は急に不機嫌な表情になり、黙り込んだ。
「なんなの! それじゃ、あれか? 斉藤さんに損害賠償しなきゃ気が済まないって事!?」
根本は突然大声を出した。
「いえ、そう言う事じゃなく。場合によっては、ドアだけでも修理してもらいたいなあって」
こちらは変な事は言っていないと思うのだが。根本は顔を真っ赤にした。
「ああ、そう! じゃあ勝手にしなよ! 僕はもう知らないからね!」
「えー……」
乃亜は困惑した。なぜ朝から文字通り叩き起こされて、ドアを壊されかけた上に、知らないおじさんに逆ギレされなければならないのか。
「だいたい、どうして君みたいな柄の悪い子が、ここに住んでるんだよ! どうせ、家賃が安いからって住んでるんだろ!? あんな事件があったのを知っててさ! この部屋に住んでる奴は頭がおかしい奴ばかりだよ! 君やその家族がどうなっても知ったことじゃないけど、また他の部屋に迷惑がかかるじゃないか!」
根本はそう吐き捨てると、エレベーターに向かって早足で去って行った。
乃亜は、根本の姿が見えなくなると、もう一度、外からドアを眺めた。へこんだり割れたりしてはいないが、金槌で叩いた場所に汚れのような跡が残っている。
とりあえず、怜司に連絡しようとスマホを和室に取りに戻った。
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