第31話 あいつ“詩乃の隣の席は俺“って言ってたけど、実際の詩乃の特等席、俺とふすまだぞ?


 神崎がいなくなった旅館の受付を眺めていた。


 ――美咲の件がまだ頭に残ってる。


 “直哉とよりを戻したい……“


 ……忘れよう。

 そんな事、美咲は言っていない。

 神崎が俺への悪意から言っただけ。気にするな。


 そう、自分に言い聞かせる。


「……あんなやつの隣に、詩乃を置いておけるかよ」


 俺は、無言のまま拳を握りしめた。

 ――あんなやつの隣に、詩乃をいさせたくない。

 少なくとも、今日の夜くらいは。


 あいつじゃなく、俺が詩乃を救ってやりたい。




   ◇ ◇ ◇




 俺と桐山は男子用の大部屋に案内されることになったが――

 その途中で、俺はある人物に声をかけた。


「雪村先生。

 しの……月森さんと、ちょっとだけ会えませんか?」


 そう言った瞬間、雪村先生の顔が少し曇った。


「ごめんね。今、月森は体調がよくなくて寝込んでてさ。

 予備室はもういっぱいで女子部屋にいるから、男子は入れないんだ」


「そこを何とか……お願いします……!」


「君が彼女のことを大事に思ってるのは分かるよ。

 でも、これは本当に無理。

 他の女子のプライバシーもあるからね」


 きっぱりとした声。

 それでも、俺の目を見て、先生は少しだけ柔らかく言葉を重ねてくれた。


「でも大丈夫。完治するまでは、私たち教師や女子部屋の子が面倒見てるから。安心して。

 君が心配してたってことも、私からちゃんと月森に伝えておくから。……だから君は安心して休んで」


 その言葉に、無理にでも頷くしかなかった。


「……わかりました。月森さんをお願いします」


 俺はそう言って、静かに頭を下げた。


「君の気持ち、ちゃんと伝わってると思うよ、きっと」


 雪村先生は優しく微笑んだ。




 その後、案内された男子部屋は、広々としていて、どこか古風な作りだった。

 畳の上に布団が数枚並んでいる。


 そして、部屋の中央に、妙なふすまがあった。


 “開けるな”と書かれた貼り紙。

 小さな鍵付きの留め具が、ふすまの合わせ目に上下数カ所取り付けられていた。


「開かずのふすまかよ。

 この旅館、明らかにふすまにだけ予算全振りしてね?」


「いや、予算じゃなくて呪術的な何かを感じる」


 桐山に冗談で返して笑い合ったけど、俺の胸の内はざわついていた。


 もし、これだけ施錠してる理由が、向こうが女子部屋だからだとしたら――詩乃があっちにいるのかもしれない。


 俺の勝手な憶測だ。


 だけど、笑い合ったはずなのに、気づけば胸の奥が、ひどくしぼんでいた。



   ◇ ◇ ◇



 夜。

 桐山たち他、数名が布団の上で枕投げをしていた。


「ほら、篠宮も混ざれよ! 修学旅行つったら枕投げだろ!」


「何、その高等教育。言っとくけど、俺、令和の人間だからな?」


 普段なら俺も混ざってそうだが、今は詩乃の事を考えると、そんな気になれなかった。


 ――すると。


「ちょっと男子!」


 入口のふすまが開かれる。

 雪村先生が怒りの形相で立っていた。


「隣の部屋に体調悪い子がいるの! 野暮な事言うけど、大人しくしてあげて!」


「「はい……。すみません……」」


 雪村先生の珍しい怒声に、

 桐山、他数名。土下座する勢いの謝罪。


 ――やっぱり、隣に詩乃がいる。


 ……胸がざわついた。



   ◇ ◇ ◇



 深夜。

 隣の部屋に詩乃がいる――それだけで胸がざわついて、全く眠れなかった。


 夜の帳が降りて、旅館の大部屋もようやく静けさに包まれた。


 桐山たちの寝息が聞こえる中、俺だけが天井を見つめていた。


 詩乃のことばっか考えてる自分が、ちょっとキモい。

 ……とか言いつつ、さっきLINE送って、未読で少し凹んでる。


 やっぱ寝込んでんのかな。

 どうしても心配だった。


 そのときだった。


 ふと、隣のふすまの向こうから、小さく――本当に小さく、咳き込む音がした。


 ……まさか。


 息を殺して耳を澄ませる。

 数秒の沈黙のあと、また、かすかな咳。


 俺は、ふすまの前にそっとにじり寄ると、声をひそめて呼びかけた。


「……詩乃?」


 馬鹿か俺、こんな夜中に。

 と思いつつ、声は勝手に出てた。


 その一言に、しばらく返事はなかった。


 けれど、諦めかけたその瞬間――


「……直哉、さん……?」


 鼓膜を震わせたのは、掠れた、でも確かに彼女の声だった。


 ふすま越しに、俺は目を見開いた。


「やっぱり……そこにいたんだな」


「……ごめんなさい、驚かせちゃって……声、届くなんて思わなくて」


「いや、俺こそ……こんな夜中にごめん。

 でも、声が聞こえたから。……気になって」


 ふすま一枚隔てたその向こうに、詩乃がいる。


 手を伸ばせば、あと数十センチで届く距離なのに――ふすまは、厚くて重い。


「……体調、大丈夫か?」


「はい……少し寝たら、楽になりました。

 薬ももらったので……夕方に私のこと心配してくれてたって、雪村先生から聞きました。……ありがとうございます」


「そっか……楽になって良かった」


 安堵の息が漏れる。でも、本当はもっと近くで、ちゃんと顔を見て、そう言いたかった。


「……神崎さんとずっと一緒にいたけど……正直、息が詰まりそうで……。

 でも、直哉さんの声を聞いたら、ふっと楽になって……救われた気がしました」


 ――その瞬間、胸の奥が熱くなる。

 彼氏の役目を放棄したあいつじゃなくて、俺の声が詩乃を少しでも救えた。

 その事実が、胸の奥でじわりと広がって……どうしようもなく嬉しかった。


「……そっか。

 俺も……詩乃の声聞いたら、やっぱり安心した」


 ふすま一枚隔ててるだけなのに、心は確かに近づいている気がした。


「……修学旅行なのに、つらい思いさせてごめんな」


「謝らないでください……直哉さんの声が聞けただけで、私……十分なんですよ? ……やっと眠れそうです」


 その言葉が、夜の静けさの中で、まるで心に直接落ちてきたように感じた。


「……でもさ。俺ばっか詩乃に会いたい会いたいって言ってる気がしてさ……。

 重くない? 俺」


 少し情けない声になった。でも、それが素直な本音だった。


「全然、私も同じだから……」


 即答だった。

 たったそれだけで、胸の中がじんわり温かくなっていく。


「私……直哉さんに何度でも会いたいです」


「俺も、何度でも会いたい。

 できることなら今すぐそっちに行きたいくらいだ」


 言ってから、自分にドン引きした。

 ――いや誰だよ、そんな歯が浮くセリフ言わせたの。俺か。


 ふすまの向こうで、小さな息が詰まる気配がした。


「私も……今すぐこっちに来てほしいくらいです」


 詩乃が明らかに照れた口調で、それでもはっきりと言葉にした。

 会話が途切れても、空気は優しく繋がっている。


 誰も起きてこない深夜だからこそ、こんなにも素直になれるのかもしれない。


「……そろそろ、寝ようか」


「うん。……おやすみなさい、直哉さん」


「おやすみ、詩乃」


 それだけで、心が不思議と温かく満たされていく。


 目を閉じても、すぐ隣に彼女の気配がある。


 声をかけたら届く距離。だけど、触れられない距離。


 それでも、俺たちの気持ちは――ちゃんと、つながってる。



 でも、今夜いちばん詩乃に近いの、俺じゃなくてふすまだもんな。

 ……いいなあ。お前、板のくせに。

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