第30話 完璧野郎の仮面、俺の口撃でちょっと欠けたぞ


 修学旅行三泊四日。一日目の夕方。

 旅館の玄関でチェックインの列に並んでいた時だった。


 ふと、背後から笑い声が聞こえた。

 振り返ると、神崎が女子と話しながら歩いてきた。


 金髪のロン毛に似合わぬ清潔感と、見慣れた好青年の仮面。


 癒やしの宿ってパンフに書いてたのに、

 着いて早々、ストレスゲージMAXなんですが。


 神崎の隣にいたのは詩乃じゃない。別の女子だ。

 神崎はその子に何か冗談を言ったらしく、女の子は口元を押さえて笑っていた。


「あれ、神崎? 月森がいない……」


 桐山が小声でつぶやく。


 神崎が気づいたらしい。

 一緒にいた女子へ、先に行っててと伝えた後、

 こっちに目を向け、にやりと笑う。


「よう、篠宮。旅行楽しんでるか?」


 その笑顔は、表面だけの薄っぺらい善意。

 だけど、目は笑っていない。完全に、俺を見下していた。


「まあな。お前がどん底に落ちる日まで、毎日楽しいわ」


 ピクリと、神崎の眉が動く。

 だが次の瞬間には、笑みをさらに深くして――


「期限まで、あと二週間だったよな?

 せいぜい、いい夢でも見てな。

 詩乃の隣、俺で埋まってるけど」


 当然、期限の事もそれ以外の事も、詩乃から伝えられていると分かってるのか。

 それでも一か月も泳がせる、と。


 俺と柚葉が繋がってる事はさすがにバレてはないだろう。

 しかし、神崎のことだ。

 俺たちが手を組んでも、なんら問題ないと考えてるだろう。


 ……随分と舐められたものだ。

 だが、それに助けられているのも癪に障る。


「詩乃はどうした?」


「昼過ぎからちょっと具合悪いって言ってたな。

 部屋にでも戻ったんじゃないか?

 まあ、気づいたらいなかったけど」


 怒りで罵声を浴びせそうになるのを必死にこらえる。

 詩乃は本命の彼女だろ? なのに、その扱いか。


「お前……体調崩した彼女、放っといて他の女子と観光か?」


「俺がどうしてようが関係ないだろ。

 指示出せば従うし、黙ってても戻ってくる」


 淡々とした声色。けれどその目は、氷のように冷たかった。

 相手を人ではなく、持ち物として見る、そんな目だ。


「詩乃はお利口さんだからな」


 当然の事のように神崎は言う。


 横で聞いていた桐山が、わずかに眉をひそめた。

 何か言いたげに口が動きかけたが、空気を読んで飲み込んだようだ。


「やっぱり、お前に詩乃は任せておけない。

 恋人が熱出してんのに他の女と観光?

 クズ科の新種がいるとは思ってなかったよ、マジで」


「……随分と吠えるな。

 お前如きが詩乃の相手に相応しいと本気で思ってるのか?」


「俺はお前みたいな完璧超人じゃねえ。

 でも俺は、目の前の彼女くらい、大事にできる男でいたい。

 それだけで十分だろ」


 神崎は数秒黙ってから、ふっと笑った。


「ていうかさ、篠宮には詩乃じゃなくて、お似合いの相手がいるだろ。

 お前と付き合いたがってる女子、いるんだぜ」


「……誰のことだ?」


 神崎は、わざとらしく間を取った。

 その目は笑っていない。口元だけが、いやにゆっくりと持ち上がる。


「――姫野美咲ひめのみさき


 鼓膜を叩いたその音が、頭の奥でじわじわと響いた。

 一瞬で肺が縮み、呼吸が浅くなる。

 視界の端がきゅっと狭まり、足の裏から冷たいものが這い上がってくる。


 横にいた桐山が、わずかに息を呑む音がした。

 旅館のざわめきが遠くに引いていき、そこだけ空気が止まったようだった。


 俺の元恋人。

 そして、神崎に寝取られた女。

 交際中のことは忘れたくても、決して消えない膿の塊――傷そのものだ。


 神崎は、その傷口に指を突っ込み、ぐりぐりと抉るように笑った。


「あいつ、言ってたぜ。

 “直哉とよりを戻したい……”、ってな。

 もう詩乃じゃなく美咲にしとけよ。お似合いだろ?」


 吐き捨てるような声音。


 本当か嘘かは分からない。

 問題は、こいつがわざわざそこを突いてきたという事実だ。


 俺の一番触れられたくない場所を、わざと土足で踏み荒らしてくる。

 その悪意に、胃の奥がねじれる。


 ああ、やっぱり反吐が出る。

 神崎は、俺の過去を武器にすることを何のためらいもなく楽しんでやがる。


「それにさ、詩乃、さっき言ってたぜ。

 “今が一番安心できる。直哉さんといるとちょっと疲れる……”ってな。

 お前、それでもまだ俺よりマシとか、思ってるわけ?」


 ――その声は、変わらず穏やかだった。

 だが、今度は分かりやすかった。こいつは、詩乃の事をなんら理解していない。


「詩乃の顔を、ちゃんと見てから言えよ。

 俺とお前、どっちといる時の笑顔が自然か、見りゃ一発だろ」


 その言葉に、神崎の目が一瞬だけ細くなる。

 ……沈黙が、数拍。


 神崎の口元が引きつり、視線が泳いだ。


「なあ神崎。

 お前、詩乃のこと“自分の女”だって言うけどさ──詩乃を好きなんじゃなくて、所有してるだけだよな。

 だから、詩乃の本当の笑顔、ずっと見逃してきたんだよ」


 言った瞬間、神崎の笑みが一瞬だけ消えた。

 わずかに口を開くが、言葉は出ない。


 笑みの形を保とうと必死だが、目だけがわずかに泳ぐ。視線が一瞬、俺から外れて床をかすめた。

 喉仏がごくりと上下し、口がわずかに開きかけ――何かを呑み込むように閉じられる。


 小声のつぶやきが、俺の耳にだけ届く。


「反論、ないのか?」


 その笑みが、神崎の張りついた表情にもう一段ヒビを入れる。


 口角がピクリと痙攣し、その奥に、はっきりと嫉妬の色が覗いた。

 完璧な演技に、ヒビが走ったのだ。


 それでも必死に隠すように、神崎は鼻で笑う。


「……まあ、いい。

 だが、詩乃は俺の恋人だからな。それが事実だ。偽彼氏くん」


 そう言いながら、ふっと話題を切るように視線を外す。

 旅館へ去っていく足取りは、ほんのわずかに遅く、肩越しの背中に硬さが残っていた。



「……捨て台詞にすら、嫉妬が滲んでたな……」


 桐山が呆れたように呟いた。



 ――今のは、間違いなく刺さった。けど、こんなのはまだかすり傷だ。

 本当に潰すには、もっと深く抉る証拠が要る。


 俺の目的は、あんな男を揺らすことじゃない。詩乃を、あいつの手の届かない場所に引き戻すことだから。


 ポケットの中でスマホを握り直す。

 話す前に録音はしていたが、一線を越える発言はしなかったな、あいつ。そこはきっちり警戒していたらしい。


 だが、この修学旅行の間に、必ず神崎を崩す手がかりを見つけてみせる。


 ……その前に、詩乃の様子を見に行かないとな。

 あいつの隣じゃなく、俺が――ちゃんと。







―――――――――――――――


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