第28話 絶対に成功させたい!美術館デート

 美術館の前で詩織を待つ。約束の時間より10分も早く到着してしまった。緊張のためだろうか。


 ぼくは周囲を見回す。


 平日の昼間ということもあり、人影はまばらだ。


 今日はただデートをするだけではダメだ。詩織からみのりの居場所について何かしらのヒントを得なくてはいけない。


 しかし、どうやって話を持っていけばいいか。昨夜から色々と考えてみたが、みのりの話をしないでみのりのことを聞き出すなんて、そんな魔法みたいなこといくら考えても方法は思いつかなかった。

 結局、いい方法も思いつかないまま当日を迎えてしまっていた。


「創太君、お待たせしました」


 振り返ると、詩織が立っていた。


 純白のサマーワンピースは膝上丈で、上品な花柄のレースが裾に施されている。薄手のベージュのカーディガンを肩に羽織り、胸元には一連のパールネックレスが美しく映えている。

 足元は白いローヒールのパンプスで、小さなリボンがアクセントになっていた。髪は普段よりも少しカールを効かせ、小さなパールのヘアピンで片側を留めている。


 まるで雑誌から抜け出してきたようなコーディネートだった。清楚で上品、それでいて女性らしさも感じさせる完璧な装いに、ぼくは思わず見とれてしまう。


 ぼくだけではなく、行き交う人々もつい目で追ってしまう。それほどのヒロイン力が今日の詩織にはあった。


「詩織さん綺麗だね」


 お世辞ではなく、本心からそう思った。詩織の表情がほころぶ。


「ありがとうございます。創太君もとても素敵です」


 詩織が当たり前のようにぼくの腕に手を回してくる。恋人同士のようなポーズに、ぼくは少し戸惑った。


「それでは、中に入りましょうか」


 美術館の中は静謐な空気に包まれていた。平日ということもあり、観客はほとんどいない。まるでぼくたち二人だけのプライベート空間のようだった。


「今日は特別展もやっているみたいですね」


 詩織がパンフレットを見ながら言う。


「『人間の内面を描いた絵画展』ですって。面白そうじゃありませんか?」


「え? あ……うん、そうだね」


 大理石で敷き詰められた廊下を進み展示室へ向かう間、詩織は楽しそうに話しかけてくる。しかしぼくは今日のミッションのことで頭がいっぱいでまともな反応を返すことができなかった。


 最初のフロアは印象派の作品が中心だった。モネやルノワールの明るい色彩の絵画を見ながら、詩織は楽しそうに解説してくれる。


「この光の表現が素晴らしいんです。見る角度によって全く違った印象になるんですよ」


 詩織の豊富な知識に感心しながら、ぼくは機会を窺っていた。どうやってみのりの話題に持っていこうか。


 しかし、詩織の方が一枚上手だった。


「創太君、何か心配事でもありますか?」

 

 突然立ち止まり、下からぼくの顔を覗き込むように質問にする。その時になって、ぼくは展示物も見ないでうつむいたまま歩いていたことに気づいた。


「え?そんなことないよ……」

 慌てて否定するが、詩織の疑惑の表情は晴れない。


「そうですか? でも、今日はずっと上の空になっているみたいで……」


 詩織の瞳がぼくを見つめる。その視線には何か探るような色が含まれていた。


「もしかして、佐伯さんのことが気になっているんですか?」


 ドキリとする。詩織は最初からぼくの目的を見抜いていたのか。


「ご、ごめん……」


「いえいえ、責めているわけではありませんよ」


 詩織が微笑む。しかし、その笑顔には冷たいものが混じっているように感じる。


「創太君が心優しい方だということは知っています。あの子のことを心配するのも当然ですよね。でも今は私のことだけを考えてほしいです」


 固まって動けないぼくの手を取って、詩織が次の展示室に誘う。「次は今回の特別展示ですよ。私すごく楽しみにしてたんです」


 明るい笑顔の詩織に連れられ、何とか愛想笑いを張り付けた顔で、ぼくも次の展示室に向かった。


* 

 

 特別展のフロアに足を踏み入れた瞬間、ぼくは身震いした。


 それまでの明るく開放的な印象派の展示フロアとは打って変わって、ここは薄暗く、重苦しい空気が充満していた。天井の照明は意図的に暗く抑えられ、各作品を照らすスポットライトだけが、絵画を浮き上がらせている。まるで地下室や洞窟の中にいるような錯覚を覚える。


 壁に掛けられた絵画は、どれも暗い色調で統一されている。深い紫、血のような赤、不吉な黒。

 それらの色彩が織りなす世界は、人間の負の感情——嫉妬、憎悪、狂気、絶望——を露骨に描き出していた。

 


 ぼくは無意識のうちに詩織から少し距離を取る。なぜ彼女は今日のデートにこの美術館を選んだのか。


 不安が胸の奥でざわめく。詩織の本性を知っているぼくはこの薄暗い空間で、二人きりで過ごすことへの恐怖が募っていく。


 詩織が何を考えているかさっぱりわからない。何かを企んでいるとしてもこんな公共の施設の中で手を出してくるということはないだろう。しかし、恐怖は少しずつぼくの心を支配していく。


 詩織がある絵画の前で立ち止まる。それは女性がガラス瓶の中に閉じ込められた男性の生首を見つめている絵だった。


 女性の表情には狂気じみたものが宿っていた。血走った目、歪んだ笑み、いとおしそうにガラス瓶を抱きしめる手。まるで無邪気な子供のような悪意のない残虐性を描いた恐ろしい絵画だった。


「この絵、素敵だと思いませんか?」

 詩織の声が、暗闇の中で不気味に響く。ぼくの背筋に冷たいものが走った。


「愛する人への想いが、ここまで美しく表現されているなんて」

 ぼくにはその絵が美しいとは思えなかった。むしろ恐怖すら感じる。絵の中の女性の表情が、詩織と重なって見える。将来ホルマリン漬けになった自分を想像し軽い吐き気をもよおす。


「愛って、時として人を狂わせるものですよね」

 詩織が続ける。その声音に、普段の上品さとは違う、何か危険なものが混じっているような気がした。


「でも、それが本当の愛なのかもしれません。理性を失うほどに相手を想う気持ち」

 詩織の横顔を見る。薄暗い照明の中で、その表情には絵画と同じような危険な光が宿っているように見えた。ぼくの心臓が早鐘を打つ。この場所から早く出たい、そんな衝動に駆られる。


 そんなぼくを見つめて優しく微笑むと彼女は腕を組んで、次の絵へとぼくをいざなう。


 次の絵は、複数の女性が一人の男性を取り合っている場面を描いたものだった。


 女性たちの表情は皆、憎悪と嫉妬に歪んでいる。絵の中の女性たちは各々に凶器を持ち、逃げる男の足元にはすでにこと切れた女性の躯が描かれている。


「この絵も興味深いですね」

 詩織が解説を始める。


「愛する人を巡って争う女性たち。でも、本当に愛しているなら、邪魔者は排除するべきだと思いませんか?」

 ぼくは言葉に詰まった。詩織の発言は明らかにみのりのことを指している。


「詩織、それは……」


「あら、創太君は優しいんですね。でも、時には厳しさも必要だと思うんです」

 詩織の蛇のように絡んだ腕に力が入る。引き寄せられるように体が傾き、彼女の顔が近づいた。


「愛する人を守るためなら、どんなことでもするべきだと思いませんか?」

 


 


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あとがき


 詩織と創太が急接近?!今後の展開にご期待ください。


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 小説完結済み、約15万字、50章。

 

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* * *


 過去の作品はこちら!


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