第14話
学園内には目に見えない緊張感が漂い始めていた。
香奈は表面上は友好的な態度を見せているものの、蓮は彼女の底知れない執着と悪意を肌で感じ取っていた。
心遥が香奈に騙されていないか、そして何より、心遥が危険な目に遭わないかと、蓮は常に神経を研ぎ澄ませていた。
幻との契約で危険を察知できるとはいえ、心遥が「助けて」と心から願わない限り、その能力は発動しないという盲点が蓮を苛立たせていた。
幻もまた、心遥を注意深く観察し、彼女が本当に自分を必要とする瞬間を待っているようだった。
そして、学園内の一部の生徒、特に結界師の血を引く者たちの間では、不穏な噂が囁かれ始めていた。
彼らの間では、ここ数日、学園に「外部」の結界師が訪れているという情報が密かに共有されていた。
その目的は不明とされていたが、人外と関わりの深い生徒たち、特に蓮や幻のような存在にとっては、その噂だけで十分に警戒すべき事態だった。
香奈は、連日、昼休みや放課後に心遥に接近し、巧みに会話を試みていた。彼女は、心遥の持つ「人外の力を抑え込む能力」、そして蓮や幻といった強力な人外との関係性について、穏やかな口調で探りを入れてくる。
「ねぇ、心遥ちゃん。この前、蓮くんが興奮した時、どうして落ち着かせることができたの? 私、あんな力、見たことないわ」
「幻くんも、どうして心遥ちゃんの前ではあんなに大人しいんだろうね? 彼、本当はもっと恐ろしい妖力を持っているって聞くけど……」
香奈の質問は、一見すると純粋な興味からくるもののように聞こえた。
心遥は、香奈が本当に自分の力に興味を持ち、人外との付き合い方を学びたいのだと信じていた。
彼女は、香奈が心を入れ替えたのだと信じ、話せることは素直に話して聞かせた。
心遥は、自分の能力が結界師の規範から外れた異質なものであること、そしてそれが周囲に理解されにくいことも承知していた。
だからこそ、香奈のように「教えてほしい」と歩み寄ってくれる存在に、わずかながら心の扉を開いていたのだ。
しかし、彼女の言葉の裏で、香奈の瞳は冷たく光り、心遥から引き出した情報を、自身の復讐計画のピースとして慎重に吟味していた。
もし情報が足りなければ、それらしく捏造することも厭わないだろう。
蓮は、香奈が心遥に近づくたびに、全身で警戒信号を発していた。
彼は、香奈の顔に浮かぶ親しげな笑顔の裏に、底知れない悪意が潜んでいることを看破していた。
なるべく、二人にさせないようにしたが、昼休みや放課後など、常に付きまとうわけにもいかなかった。
そもそも心遥に危機感が無い為「何? なにか用なのか?」「ちょっと一人になりたい」「トイレに行きたいだけだ!」等と、逆に蓮が不審がられてしまう始末だった。
蓮は、何度か心遥の犬の散歩を待ち伏せし、「香奈は何か裏がある」「二人っきりになるな」「気を付けろ!」と忠告したが、「香奈先輩は本当に私と仲良くしてくれている」「失礼なことを言うな!」「決めつけるな!」と怒られてしまう。
しかも、タイミングを誤ると心遥のシスコン兄が襲撃してくるため、蓮は大変な思いをしていた。
心遥は香奈の悪意に全く気づいていないため、心の中で「助けて」と願うこともない。
もどかしさが蓮の胸を締め付けた。
一方、幻もまた、校舎の陰からその様子を静かに、しかし鋭い眼差しで観察していた。
彼もまた、香奈の真意を見抜いていたが、心遥が自ら危険を察知し、「助けて」と願うまで、敢えて直接介入しようとはしなかった。
彼の目的は、心遥に自ら「下僕」として自分を頼らせること。
そのためには、ある程度の危機が必要だと考えている節があった。
しかし、学園内の空気は、確実に変わってきていた。
蓮が教室の窓から校庭を見下ろすと、これまで見たことのない制服姿の役員が、妙に目を光らせて周囲を観察しているのが見えた。
彼らの顔には、どこか厳格な表情が浮かんでおり、その視線は、人外である蓮や幻、そしてその二人に近しい心遥を捉えているようだった。
結界師一族の本格的な監視が始まっていたのだ。
その日の放課後、蓮と幻、心遥が裏庭で顔を合わせると、蓮は重い口を開いた。
「どうやら、俺たちの周りが騒がしくなってきたな」
幻は顔色一つ変えずに頷き、心遥は不安げに二人を見上げた。
「……何か、あったのか?」
蓮は心遥に、学園内で感じた違和感、そして外部の結界師の存在について簡潔に説明した。
幻もまた、自身の情報網から得た「監視の目」の存在を肯定した。
「香奈先輩が、私たちのことを話した?」
心遥の言葉に、蓮は深く頷く。
「おそらく、な。奴らは俺たちの秘密を探っている。お前の力も、危険視されているだろう」
三人の間に、重苦しい沈黙が落ちる。
奇妙な共同戦線は、彼らが想像していた以上に、早くも試練の時を迎えていた。
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