第13話
奇妙な契約を結んでから数日。
蓮、心遥、幻の三人は、以前と変わらぬ学園生活を送っていた。
しかし、水面下では、彼らの関係性は複雑に絡み合い、香奈の暗躍は着実に進行していた。
放課後、蓮が教室を出ようとすると、香奈が突然、彼の前に現れた。
蓮は警戒して身構えるが、香奈の表情は意外にも穏やかだった。
「蓮くん、少し、話せるかな?」
いつもの高慢さは鳴りを潜め、まるで以前の「付き合っていた頃」の香奈に戻ったかのようだった。
蓮は訝しみながらも、彼女の申し出に応じた。二人で人気のない渡り廊下に出る。
「あのね、蓮くん。この前は、本当にごめんなさい」
香奈は深々と頭を下げた。蓮は驚いて目を見開く。
「……何が目的だ?」
「目的、なんてないわ。ただ、私が間違っていたって、心から反省してるの。あれから数日経って、私も頭が冷えたわ。酷いことしちゃったって…… 謝って許してもらえることじゃないよね」
香奈は顔を上げ、蓮をまっすぐに見つめた。その瞳は潤んでおり、憔悴しているようにも見えた。
演技だ、と蓮は頭の中で警鐘を鳴らすが、あまりにも真剣な香奈の様子に、動揺を隠せない。
「私は、蓮くんのこと、本当に好きだったの。だから、周りが見えなくなって、あんなひどいことをしてしまったわ……。でも、もう二度と、あんな真似はしない。だから、もう一度、友達として、私と話してくれないかな?」
香奈の言葉は、まるで彼の良心に訴えかけるかのようだった。
彼女が自分を諦めていないことは明白だったが、この場で完全に拒絶することも難しい。
蓮は内心舌打ちしながらも、曖昧に頷くしかなかった。
「……分かった」
香奈は、その言葉を聞くと、安心したようにふわりと微笑んだ。
その顔には、蓮の知らない、どこか病的な執着の光が宿っていた。
一方、香奈は蓮だけでなく、心遥にも接近を試みていた。
昼休み、一人で購買にいた心遥に、香奈が声をかけた。
「小守さん、ちょっといいかな?」
心遥は、驚いて振り返った。
香奈は微笑んでおり、その顔にはいつものように人気モデルのオーラが漂っていた。
「この前は、本当にごめんなさい。私、蓮くんのことだけじゃなくて、小守さんのことも傷つけてしまったわ」
香奈は深々と頭を下げた。
心遥は戸惑いつつも、恐る恐る言葉を返した。
「いえ、私こそ香奈先輩に偉そうなことを言ってしまって……」
「そんなことない。小守さんは正しいことを言っただけよ。私の方が、自分の気持ちに囚われすぎていたの」
香奈は心遥の手をそっと取り、その柔らかな感触を確かめるように握った。
その手は冷たかったが、心遥は特に違和感を感じなかった。
「あのね、小守さん。私、少し、小守さんのこと、教えてほしいの」
香奈は、心遥の瞳を覗き込むように見つめた。
「小守さんが、どうしてあんな特別な力を持っているのか、とか……。人外と、どうやって付き合っていけばいいのか、とか。私、結界師の家に生まれたけれど、あなたの足元にも及ばないわ。だから、もしよかったら、私に色々と教えてくれないかな? もちろん、蓮くんや白鷺くんのことも、二度とあんな風にはしないって誓うから」
香奈の言葉は、まるで心遥の心を溶かすかのように優しかった。
心遥は、香奈が心を入れ替えたのだと信じ始める。
彼女の優しさと、困っているように見えた香奈の姿に、心遥は心を動かされた。
「私こそ、何も知らないので教えて頂けたらと思います」
心遥がそう答えると、香奈の顔に、満足げな笑みが浮かんだ。
それは一瞬で消え去り、すぐに悲しげな微笑みに戻ったが、心遥はそれに気づかなかった。
その日の夜、蓮は自宅で落ち着かない様子だった。
心遥と幻との契約は結んだものの、香奈の態度が急変したことに一抹の不安を覚えていた。
(香奈のやつ、何を考えているんだ……)
蓮がそう考えた時、幻からの念話が脳内に響いた。
「蓮くん、香奈先輩のこと、警戒した方がいいよ」
「分かってる。あいつ、妙に態度が違う」
「うん。小守さんにも近づいてるみたいだから、気を付けてあげて」
幻の言葉に、蓮は思わず顔をしかめた。
心遥が香奈に騙されていないか、心配になったのだ。
「あの契約、本当に意味があるのか? 『助けて』と心の中で思わないと発動しないなんて、意味ないだろ」
蓮は苛立ちをぶつけた。
幻の契約は、相手が心の底から助けを求めた場合にのみ、他の契約者に危険を知らせるというものだった。
それは、本人が自覚しない限り、あるいは強い精神的ショックがない限り、発動しないという盲点があった。
特に心遥のように、優しく、人を疑わない性格の人間には、発動しにくい可能性がある。
「それは、信頼の証だよ、蓮くん。それに、僕は小守さんが僕を本当に必要としてくれるまで、待つよ」
幻は飄々としたまま答えた。
蓮は幻の能天気な態度にさらに苛立ちを覚えたが、確かに心遥は人を疑わないタイプだ。
もし香奈が巧みに騙そうとすれば、「助けて」とは心の中で思わないかもしれない。
蓮は、心遥の無垢な優しさが、かえって危険に繋がるのではないかと不安に苛まれた。
香奈の甘い誘惑は、心遥の持つ純粋さを利用しようとしている。
そして、幻の契約の盲点は、その危険を察知する上で大きな課題となることを示していた。
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