出られない館:3
食堂と呼ばれる部屋は広かった。
長いテーブルは十人やそこらは座れそうだった。それが2セット設置されていた。僕とIは向かい合ってサイトウが用意したという食事を口にした。焼いた魚と肉とジャガイモの煮物と漬物とキノコの味噌汁と和え物と飯。
食事中の僕らはそれぞれ自分の世界に入っていた。Iはもそもそ一人で箸を動かしていたし、料理を見るなり腹の虫がなり始めた僕は、何日ぶりかも分からない食事に舌包みだった。夢中だった。美味かった。余程腹が減っていたらしく食べ始めると止まらずに僕は飯を二杯もおかわりした。
「たくさん召し上がるんですね」
Iが食が進んでいない様子で口にした。
「無性に腹が減っている。俺は何日気を失っていたんだ?」
「二日ほど。ただそういう場合、通常はお腹が空かないものなんですけどね」
「正直に話してくれる気にはなったかい?」
「何をですか?」
「この館はいったいなんなんだ?」
「ここはわたしの生まれながらの家で、両親と祖父母と二人の妹と何人かの使用人に囲まれて暮らしていました。しかし祖父母は亡くなり父は気が触れ別館に閉じこもり、母は父と離婚して館を出て行きました。二人の妹の内一人は母の元へと身を寄せていて、もう一人の妹は一緒に暮らしてはいますが、あなたに会いたくないとのことで今もお部屋に引き籠りです」
「何故その妹は俺に会いたがらない?」
「シャイな子なんですよ」
「俺はどうして中に囲われているんだ?」
「わたしの恋人だからです」
「ちゃんと話をして欲しいんだが」
「……わたしにはまだ話す勇気がないんですよ。もちろん、いつかすべてをお話しなければならないとは思っています。あなたの記憶喪失だって、恒久的なものではありませんから」
「話すのが遅れれば遅れる程、君への不信感は増していく」
「もう少しだけ待って」
「良いだろう」
僕が言うとIは微かにほっとした表情で席を立ちあがった。そしてサイトウを呼んで食事の残りを手で指した。
「これは片付けておいてください」
「体調でも悪いんすか?」
「気分がすぐれなくて……。ごめんなさいね。せっかく作っていただいたのに」
「いやぁ良いんすけどね。そんなことは」
サイトウは懐からライターを取り出すと、残りの食事に火をつけた。
紙に火が付いたかのように、食事はチリチリと燃え始めた。僕が唖然としている間に火は料理全体に燃え移った。そのころになると料理は三次元のものではなくなり、料理の描かれた単なる紙になっていて、瞬く間にそれらは全焼しその場から消えた。
跡には灰も残らない。
「おい。今の……」
「今日はもう休みます。おやすみなさいMくん。サイトウさんも」
Iは食堂の外に向かって歩き出し、最後に僕の方を振り向いて言った。
「酷いことをしてしまってごめんなさい。でも、いつか全部話すから」
部屋にはサイトウと二人残された。いや二人と言って良いのか悪いのか分からなかったが、とにかく僕はサイトウの方を見た。サイトウは澄ました顔で僕に言った。
「あんまりお嬢様を悲しませちゃダメっすよ」
「だったら真実を話すべきだ。俺は子供が何をしても最後には許すことにしているが、嘘を嘘のままにしておくことだけはしないことにしている」
……だったような気がする、という話ではあるが。
「お嬢様はもう子供じゃないっすよ。それにね旦那、旦那とお嬢様がただならぬ仲だったっていうのも、これがてんで嘘っていう訳じゃないんすよ」
このサイトウから何かを聞き出せそうな気がする。と言っても特別な手管は必要なく、僕は食いついた様子をあからさまにサイトウに迫る。
「どういうことだ?」
「旦那がこの館に来るのも初めてじゃないんすよ。俺が作られたばかりの頃のお二人は、本当に仲睦まじいものでしてね。一緒に庭を散歩したり、テレビを見て笑ったり、一緒に妹を可愛がったりね。青春ってのはああいうのを言うんすかね? オイラは実は少しお嬢様に憧れてましたから、羨ましいやら悔しいやらで」
「そうなのか」
「ええ。なんで旦那の飯にはちょいとばかりオイラの想いを込めてあるっす」
「なんだ想いって?」
「そりゃあもう目くそ、鼻くそのオンパレー……ああやめて! 腕を掴んで折らないで! ひぎぃいそんな折り紙みたいにしたって鶴にはならないのぉおお! あぁあああ! いきゃああああああ!」
僕はサイトウの紙のようにペラペラな身体を丁寧に折りたたみ、珍妙なオプジェを作ってやろうとしたが、暴れるので上手く行かなかった。折り紙は得意だったと思うのでかなり芸術的な作品が仕上がったはずなので残念だった。
「二度とするな。良いな?」
「はい。あ、もちろん冗談ですので。はい」
「なら良い。で、俺はあの子にどうしてやれば良いんだ?」
「そりゃあ思いに応えてあげれば良いんじゃないすかね? 今の時代、二十五ならまだ生娘なんでしょうけど、それでも縁談の話とか全部断ってる訳っすからね。それでいっつもあんたのことばっかり付け回して……オイラはそりゃあもういじましくていじましくて」
「その物言いだと、やはり俺は、あの子の気持ちに答えてなかったのか?」
「…………」
サイトウは黙り込んだがそれは流石に察しが付く。Iは口では嘘を吐いてはいるが、態度や言動の端々から、実際には僕たちが恋人同士でなかったことは一目瞭然だ。
「どうして俺はあの子の気持ちに答えなかったんだろうな?」
「そう思うんすか?」
「あの子の俺への想いは本物だ。それは分かる。そしてあの子は綺麗だ。それもとびっきり。俺は面食いだし手のかかる女の子は好きな方だし、好かれてること自体は正直、そこまで悪い気はしない」
本心だった。バカっぽくて可愛くてその癖金持ちだなんてかなり良いじゃないか。今は真実を聞き出す為に厳かに接しているが、内心ではころころ変わる表情を見ていると心ときめかされることもある。僕には過ぎた上玉だと言えるだろう。
そんな女に好かれておいて、僕は何故付き合っていないのか。何か理由があったのだろうが……。
「……旦那の言う通り、お嬢様があんたを想ってること自体は真実なんすよ」
サイトウは悲し気な声で言った。
「旦那の為ならお嬢様はきっと火の中水の中、望めばきっとどんなことでもしてくれるんでしょうね。そりゃあもうあんなことやこんなことや、もっとモノスゴイことまで大喜びで……。ああっ。想像したらオイラまたムカついて来たっす! こりゃあ明日の飯こそは本当に想いを込めて作らなきゃっすね! もう目くそ鼻くそじゃ済まないっすよ。旦那の飯だけ便所の水で炊いてやりまいたたたたたたっ、やめて! そんなに一杯折れ目付けないでっ。ひぎぃいいっ! いけない形になっちゃうのぉおおお!」
僕はサイトウのペラい体をあちこち折り曲げて芸術的なオブジェを完成させた。下半分は鼻を伸ばした象でその上に両手を挙げた人というその作品は、記憶を失う前の俺が相当に折り紙に精通していたことを思わせる素晴らしい出来栄えだった。
「……俺も寝るわ」
僕は飯を食い終えて立ち上がった。
「風呂とか入れんの?」
「……ご用意しております。もうお嬢様も出られた頃でしょうからどうぞ。お着換えも浴室前においてありますので、今着ている服は籠の中に放り込んでください」
珍妙なオブジェから元のペラい人型に戻りながらサイトウは言った。
言われた通り僕は風呂に入った。
ヒノキで出来た見事な湯で、水回りの掃除もなされていて不潔ではなかったが、やはり建物自体が古く不気味な印象があった。
風呂から上がるとあてがわれた客室に引き上げて、ベッドに寝転んで泥のように眠った。
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