涼夜の霊感少女たち
粘膜王女三世
C編
箱の中の少女の話:1
人間には誰しも、嫌な思い出や消したい過去が存在するという。思い出す度に嫌な思いをしたり、恥ずかしくて死にたくなったりしてしまう、というのだ。
それらはしばしば、『黒歴史』なんて軽薄な言葉で表現される。でも具体的にどんな『黒歴史』を持っているのかを詳しく訊くと、あまりにも大したことがじゃなくていつも拍子抜けする。その程度の過去がもっとも思い出したくない記憶だというなら、幸せなものだと常々思う。
私の抱える過去はそんな程度のものじゃない。その過去から逃れられるなら、消してしまえるなら、未来をどれだけ失っても構わないと、心の底から思えてしまう程なのだ。
それは今より六年前、まだ小学校の四年生だった頃の話だ。
私はYという友人と近所の山の中で遊んでいた。枯れ葉と土に覆われた斜面を歩き回り、比較的平らな、遊びやすい場所を発見しては、ボールを投げ合ったり駆けまわったりした。
そんな中、一人の少女が木々の合間から姿を現し、おずおずとした口調で私達に言った。
「仲間に入れて」
見知らぬ女の子だった。歳は、その当時の私やYと同じで、十歳になるかならないかくらいだっただろう。顔立ちは整っていたが、手足がひょろりと長くやせぎすで、顔色はやけに青白く、他人と目を合わせず土の方を向いてぼそぼそと話す。
「いいよ」
反射的に、私はそう答える。少女は気の弱そうな笑みを浮かべて、「ありがとう」と言った。
やがて一緒に遊ぶ内に、少女がやけに従順で、私達の言うことは何でも聞くことが分かって来た。遊びの中でどうしても発生する損な役回り……鬼ごっこの最初の鬼や、斜面を転がり落ちたボールを拾いに行く役……を押し付けにしても、不満な顔をまるで見せない。Yがくっ付き虫を付けてやったり木の枝で叩いてやったりしても、少女は怒るどころか媚びたようにへらへらと笑う。
そう言う子はたまにいる。気が弱くてどんくさくて、ちゃんと自己主張が出来ずに周りに良いように扱われると言うような。
少女とYと共に山中を歩き回って遊んでいると、やがて、一台の冷蔵庫が不法投棄されているのを発見する。
土の中にめり込むようにして横たわった業務用らしき大きな冷蔵庫は、老朽化して全体がさび付き、あちこちツタが絡んでさえいた。打ち捨てられてもう随分と時間が経っているのだろう。扉は上を向いていて大きく、力いっぱいこじ開けて見ると、中には大きな空間が広がっていた。
「ねえ。ここ、入って見なよ」
Yが少女にそう提案すると、少女は「ええ、でも」と怯えたような表情を見せる。
「いいから入りなよ。言うこと聞けないなら、もう遊ばないよ」
そうYが凄んで見せると、少女は唇を結び、怯えたような表情を浮かべながら「分かった」と媚びるような返事をした。そして冷蔵庫の中に身体を滑り込ませた。
Yが冷蔵庫の扉を閉める。私が中の様子を尋ねると、「真っ暗で何も見えない」というくぐもった声が聞えて来た。
「暗くて怖い。お願い、開けて。中から開けられないの」
私が扉を開けてやろうとすると、Yがその手を取って、ほくそ笑むような声で言った。
「しばらく閉じ込めてやろう」
この時Yに逆らっておけばと、後悔しなかった日は一度もない。
思えばYは、最初からそうするつもりで少女を冷蔵庫の中に入れたのだ。そんな残酷な想像を、思い浮かべるがままに戸惑わず実行するYの愚かしさに、私は何も考えず従ってしまった。
別に少女を閉じ込めることが楽しかった訳じゃない。ただ『空気を読んだ』だけなのだ。Yとは仲が良くて、でも本心をいつでも見せ合える程の信頼関係はなくて、私はYの不況を買うのがなんとなく嫌だった。
たすけて、たすけて、と繰り返し叫ぶ少女を閉じ込めたまま、私とYはその場を離れてボール遊びを始めた。やがて日が暮れ、家に帰る時間になる時まで、私とYは少女のことを忘れてしまっていた。
帰宅してしばらくして、私はそのことに気が付いた。そして途方もなく恐ろしくなった。どう考えても、全てを親に話して少女を救出に行くべきだった。だがしかし、自分のやってしまった恐ろしいことを親に打ち明けることが、どうしてもできなかった。
何かの方法で這い出しているに違いないと自分に言い聞かせながら、私は眠れない夜を過ごすことを選択する。
少女はいったいどうなってしまうのか? もしかしたら、中から出ることが出来ずに、このまま死んでしまうんじゃないのか?
翌日、私はそんな不安をYに打ち明ける。Yは青白い顔をして「見に行こうか」と私に告げた。
Yと二人で山を登り、件の冷蔵庫のところに辿り着く。
恐る恐る冷蔵庫に近づいた私達は、冷蔵庫の中から何か異常な音が鳴っているのを耳にした。
「許さない許さない。殺してやる殺してやる殺してやる」
冷蔵庫全体が強く振動し、軋みを上げるような音を立てていた。地面が抉れる程激しく震える冷蔵庫は、まるで一つの生き物のようだ。
さらには、その内側から、強い憎悪のこもった呪詛のような声が、冷蔵庫の壁を隔てているとは思えない程、ハッキリとこちらに聞こえて来る。間違いなく人の言葉を話しているのに、とても人間の声には思えないような、そんなおぞましい声音だった。
「友達だと思ったのに。友達になれると思ったのに。許さない許さない。殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」
私とYは絶句して、恐ろしさのあまりその場に背を向けて走り出す。
転びそうになりながら斜面を走る私達の背中に、少女が放つ呪詛の言葉が、いつまでも聞こえ続けていた。
私とYはどうにか山を降り、青白い顔で見つめ合った。
あまりの恐ろしさに、全身が震えるばかりで涙すら流れて来ない。
そんな中で、Yが怯えた声で言った。
「このことは誰にも秘密にしよう。そして、さっきの場所には絶対に行かないようにしよう」
私は強く頷いた。本当にその場所には二度と行かず、そのことは誰にも話すことがなかった。
それからはもう生きた心地のしない日々が続いている。
あのまま冷蔵庫に閉じ込めていれば中の少女は間違いなく死ぬだろう。普通に考えれば、もうとっくに冷蔵庫の中で死んで、死体は少しずつ腐ってドロドロに溶けてしまっている。
そうした結果をもたらしたのは間違いなく私達だし、つまり私達は人を殺したのだ。その事実を想起する度、私は気が狂いそうな恐怖に身を焦がし、頭を抱えてのたうった。
だが、腑に落ちないこともいくつかある。
あの冷蔵庫の振動や内側から聞こえる少女の声は、間違いなく正常な現象とは言えないものだった。証拠に、丸一日冷蔵庫の中に放置された少女が、特に弱った様子もなくあれだけはっきりとした声を出し続けられるのは不自然だし、中でどんなに少女が暴れても冷蔵庫はあんなに震えない。
そもそもあの少女にしたって、顔は青白いし存在感もどこか儚いもので、この世の者でないと言われれば納得する。
私達は一体何に魅入られて、何を閉じ込めたのだろうか?
閉じ込められた物は今、どうなっているのだろうか?
あの少女がある種の怪異であり、それを閉じ込めて恨みを買うのと、そうではなくただただ生身の人間を閉じ込めて殺すのと、いったいどちらがマシだと言えるだろうか?
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