タチバナ研究所
第8話 研究所訪問
先週、進捗と納品見込みを連絡した時に、いつでも構わないから好きな時に研究所に来るようにと言われている。
だからといってアポ無し納品はさすがにダメだろう。
5年前にごみごみした社会から逃げ出した俺が言うのも何だが、少なくとも到着予定くらい事前に伝えてから出向くのが社会人というものだ。
用意しておいた額に作品を嵌め込み、しばし眺める。
エスキースの時点で決めていた通り、タイトルは『姉妹』だ。
挿箱の横にペンで姉妹と書き入れる。
額装した『姉妹』をグラシン紙で丁寧に巻いて挿箱に入れた。
途中、多少ぶつけても破損しないように、挿箱の上からクッション材で2重に撒いてテープで留めた。
「これでヨシ。さぁ、アポ取ってGo!だ」
画家にとって、手塩にかけた作品を送り出すことは本当に感慨深く、ある意味儀式に近い意味合いさえ持っている。
娘の嫁入りに例えるロマンチストだっているのを知っている。
彼等はギリギリまで、どう言い訳したら自分の手元に残せるかと悩むそうだ。
俺のような貧乏画家は躊躇うこと無く送りだせるんだがな。
◇
循交を乗り継いで、15時前にはタチバナ研究所前のターミナルに着いた。
道路から50mほどのところに高さ5mはある白亜の塀が聳え立ち、手前に敷き詰められた緑の芝生と鮮やかなコントラストを描いている。
塀の向こうには緑地があるらしく、林の林冠部分と、ガラス張りの建物が数棟垣間見える。
広大な土地と防壁、近未来的な外観の施設群。
さすが世界の最先端技術を研究する施設だ。
きっとセキュリティも最新なんだろう。
そんな場所にアポ無しで押しかけたら、連行されたかもしれない。
一般道から舗装された道と歩道が塀に向かって続いている。
突き当たりには大型トラックがそのまま入れるような金属製の巨大な門が備え付けられ、すぐ横に人用の通用口と詰め所がある。
まっすぐ通用口に向かうと、詰め所の中に数名の人影が見えた。
このご時世、本物の警備員をこれだけ配置出来るのはすごいことだ。
来客用のブザーを押すと、目の前のガラスに紺色の制服に身を包み、暗赤色のベレー帽を被った警備員が表示された。
「お世話になっております。画家の坂崎と申しますが、受付はこちらで宜しいでしょうか?」
「坂崎様ですね。お待ちしておりました。念の為、ご用件と訪問先をお願いします」
いかつい見た目に反し、フレンドリーな対応だ。
もっとピリピリしているものだとばかり思っていたが、民間組織だからかもしれない。
「はい。利根川様宛に絵の納品に伺いました」
「ありがとうございます。それでは通用口を入られましたら、真っ直ぐ行くと受付があります。連絡を入れておきますので、そちらで指示に従って下さい」
「わかりました」
言い終わらないうちに、すぐ隣にある通用口が数cm浮き上がるような動きを見せ、滑らかに、そしてゆっくりとスライドし始めた。
通用口だというのに、その圧倒的な重量感と厳重さに目を奪われ、開き切るまで目が釘付けになってしまった。
驚いたことに、扉の厚みときたら予想外に分厚く、ゆうに30cmはある。
加えて戦車の装甲板のような5層構造になっている。
わざわざ通用口で分かりやすいように見せているのは、突破しようという試みが無駄だとアピールする狙いがあるんだろう。
戦車砲を持ってしても突破が難しい通用門とは恐れ入った。
しかしそれも当然か。
ここは普通の研究施設ではない。
国、いや、世界にとっても最重要といえる施設なのだから、外部からの攻撃も織り込み済みなのだろう。
さっきの警備員も民間人の格好をしてはいたが、実は自衛官だったりするんだろうか。
分厚い塀の内側は最新鋭の設備が整った研究施設が建ち並んでいる。
さぞや未来的な建造物や見たことのないタイプのアンドロイドが闊歩しているんだろうと思ったのだが、意外と普通のオフィス街のような佇まいだった。
拍子抜けと言えなくもないのだが、妙にキョロキョロしなくて済むのは地味にありがたい。
ひときわ大きなビル向かって弧を描くように続く遊歩道を進んでいく。
右手はガラス張りの建物、左手は芝生だ。
白衣を着た研究者と思しき人たちが、思い思いの場所で議論を交わしている。
ところどころに設置された花壇や噴水そばのベンチには、コーヒーなどを飲みながら資料を読む人もいる。
服装がもっとラフだったら、大学のキャンパス内だと言われても信じてしまっただろう。
だが、よく見ると、遊歩道が交差する場所や建物のエントランスには警備員が配置されており、物々しい雰囲気から機密を扱う研究所なんだと実感させられる。
そんな光景を眺めているうちに、遊歩道の終点、大きな建物の真正面に到着した。
高さ3m以上ある巨大なガラス製自動ドアを抜けると、『GATE』と書かれた巨大で煌びやかなオブジェが鎮座するエントランスだった。
何もかもに圧倒され、ため息を吐きつつ見上げれば、ビルの5階まで吹き抜けになっている。
研究所というより巨大企業の本社そのものだ。
視線を戻すと、奥に高級ホテル然とした見るからに品の良いカウンターが見える。
あれが受付なのだろうが、4名全員女性なのは、不思議と前時代的な印象を受ける。
所長か、採用担当の回顧趣味に違いない。
荷物を抱えて真っ直ぐ受付に向かうだけのことなのだが、あたかも貴族の社交界に紛れ込んだ平民のような場違い感から、逃げ出したい衝動に駆られる。
サラリーマン時代の飛び込み営業だって、ここまでの緊張はなかったと思う。
受付担当の顔をまともに見ることも出来ず、背中に妙な汗をかきながらもカウンターの向かって左端 —— 最も下手で、言われるがままに記帳を済ませ、ゲストカードを受け取った。
「坂崎様、ご案内します。こちらへどうぞ」
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