花色おとめの夜想曲(ノクターン)

はお

第1話 卒業までの練習曲(エチュード)

 つきあっちゃう? と言ったのは、一葉かずはの方だ。

 中三の、夏休み前だった。

 一葉は男子バスケット部で、私は女子バスケット部。

 ずっととなりのコートで練習してきたから、同じクラスになったことはなくても一葉のことは知っていた。バスケのうまさでも外見のカッコよさでも目立っていて、部活でもクラスでも、女の子たちは一葉のウワサをするのが好きだった。

 へえ。いかにも関心なさそうにテキトーな反応をして見せながら、しっかりとみんなの話を聞いていた。だから、一葉がバスケが得意なことだけじゃなくて、成績が良いこともみんなに優しいことも、アニメが好きなことも犬を飼っていることも、全部知っていた。

 同級生の中にはすでに男の子とつきあっているコもいた。日曜日、カレと一緒にショッピングモールに行ってソフトクリームを食べた話や、ポップコーンを半分こしながら映画を観た話を聞くと、いいなあ、と憧れた。

 自分が一葉に恋している……のかよくわからなかったけれど、つきあうなら一葉みたいな男の子がよかった。カッコよくて頭もよくてスポーツもできるけれど、いばったり気取ったりしてなくて、男子にも女子にも好かれている男の子。

 デートするなら場所は……やっぱりショッピングモールかな。花がきれいな季節なら公園もいいかもしれない。ホントは水族館デートがしてみたい。だけど、交通費も入館料も結構かかる。ホントのホントはテーマパークでデートしたいけれど、それはもっとお金がかかる。

 中学生のお小遣いなんて、たかが知れているのだ。

 近所のショッピングモールでデートしたら、学校の誰かに見られてしまうかもしれないけれど、相手が一葉なら見られても恥ずかしくない。一葉はバスケ部のエースでカッコよくて優しくて、女の子に人気がある。きっとみんなにうらやましがられる。

 ショッピングモールでクレープ片手にしゃべったり笑ったりする、ちょっとおしゃれした私たち──なんて空想をするのは楽しかった。

 三年生になってたまたま同じ図書委員になったとき、もしかしてチャンス? と思った。

 自分が男の子に全然人気がない、なんてことはないはずだった。鏡を見れば、ポニーテールの似合う笑顔のキュートな女の子が映る。大きな二重の目が自慢。身長はほぼ平均だけれど、小学三年生からずっとバスケをやっていたから、体に余分なお肉はついていない。

 クラスでも男子の方からよく話しかけてくる。告白されたことはないけれど、誰々くんて真凛のことが好きらしいよ、なんてウワサを耳にささやかれたことなら何回かある。だから、私なんかじゃ女の子に人気のある多田くんには釣り合わない……なんてことはないはずだ。 

 図書委員会では、図書館の本を修繕する二人ひと組の班が一葉と同じになった。──これ、運命? 

 古い本を積み上げたひとつの机に向かい合わせに座って、まず自己紹介しようとしたら、

『知ってるよ』

 と、言われた。

『守谷(もりや)真凛。──部活がとなりじゃん』

 心が、ふわふわっ、と舞い上がった。

『私も、知ってるよ? ──多田一葉』

『部活がとなりだから?』

『正解』

 私の答えにふたりで笑って、本を修繕しながらずっと話していた。作業の場所は図書室の書庫で読書室ではないから、大きな声でなければおしゃべりしても全然おっけーだった。

 古い本のページに損傷がないか確認する。埃は落として、破れた背表紙は補修して……。

 内心はすごく緊張しながら、表面は何気なさそうに、一葉がハマっているとウワサで聞いたアニメの話題を出してみた。あれ、面白いよね。すると、

『そのアニメ、俺も好き』

 一葉はパッと笑顔になって。

 委員会の仕事が終わって帰ろうとすると、

『さっきのアニメの話の続きだけどさ』

 声をかけてきて、一緒に校門を出て、帰り道が分かれるところまで並んで歩いた。それから、委員会のある日はアニメについて語り合いながら一緒に帰るようになって……。

『多田とアニメの話ができるのも、あと少しだねー』

 委員会が変わる時期が近づいたとき、ふたりで歩く帰り道で言ってみた。

『もっと話したい?』

 一葉が足を止めて聞いてきたときは、胸がどきっとした。そういう展開を期待して口に出したセリフだったけれど、一葉がホントにそんな返しをしてくるとは思ってなかったのだ。

『多田は?』

 熱くなる頬を意識しながら聞き返すと、一葉は照れたような表情を一瞬浮かべて、うなずいた。

『話したい、かな。守谷は?』

『……私も、話したい、かな。アニメ、好きだし』

『俺は守谷も好きだけど』

 言葉に心臓を撃ち抜かれたみたいだった。

『守谷は?』

 もう一度聞かれて、私はただうなずいた。顔は真っ赤になっていただろう。頬が腫れたみたいに熱かったから。

 日は沈んでいたけれど、夏の宵の空はまだ明るかった。一葉は、見上げる私の目に、悪戯っぽく笑った。

『じゃ、つきあっちゃう?』

 自分の心臓の音がすごかったけれど、一葉の声はちゃんと聞こえた。つきあっちゃう? ──って。空想が現実になることって、あるんだ。

『……うれしい』

 って言葉が、自然に唇からこぼれ出た。それから、ちゃんと返事をしなきゃ、と気がついた。

『わ、私、男の子とつきあうの初めてで、よくわからないところがあるかもしれないけど、よろしく』

 一葉は軽く目を見開いた。

 ──わ、変なことを言ってしまった? 笑われちゃう? 

 焦っていると、一葉は開いた目を細くした。笑ったのだけれど、その笑顔はとても優しかった。

『えっと、こちらこそ?』

 と、私に手を差し出して。

 その日、初めて、一葉と手つなぎして帰った。その夜はなかなか眠れなかった。私、一葉と『カレカノ』になったんだ。

 でも、自分から、カレができたの、と周囲に言いふらすつもりはなかった。これからはいつも一緒に帰ったり、休みの日にはどこかへでかけたりするわけだから、黙っていてもみんなそのうち一葉と私がつきあっていることに気づくだろう。

 今までも、一葉に廊下で会って挨拶するだけで、

『真凛、多田と話せるの?』

 一緒にいる女の子に聞かれることが何度かあった。

『図書委員会で一緒だから』

 そう答えると、えー私も図書委員を選べばよかったー、なんてうらやましがられた。だから、一葉とつきあうことになったことがみんなに知られたら……。

 ──うそっ、真凛、多田とつきあってるの?

 ──多田からコクったの? マジで? 

 ……なんて騒がれそうだ。

 初めてのデートは、部活を引退したあと、夏休みの地元のお祭りだった。人が多くてはぐれないようにずっと手をつないでいた。たこ焼きも綿菓子も半分こした。

 学区内のお祭りだから、クラスメイトにも部活の仲間にもすれ違った。私と一葉がつきあっていることは、ついにバレてしまった。

 夏休み中で学校がなかったから、教室で女の子たちに囲まれてうらやましがられるなんて展開はなかった。けれど、空想した通りのメッセージはスマホに幾つも届いた。みんな私たちがつきあっていることに驚いて、いつから、どんなふうにつきあうようになったのか、興味があるみたいだった。メッセージを返しながら、私の頬は緩んでいた。──つきあい始めたのは、夏休み前でね。仲良くなったのは、図書委員会でアニメの話で盛り上がったのがきっかけでね。

 みんな、いいなー、とか、よかったね、と返事をくれた。お似合いじゃん、と送ってくれたコもいた。夏休みが終わってひさしぶりに学校に行ったときは、私と一葉は公認になっていた。

 一緒に流星群を見る約束をしたのは、冬休みに入る直前、模試の成績が返ってきた日だった。

 私は一葉と同じ高校を志望していた。生徒のほぼ全員が大学進学するそれなりに偏差値の高い公立高校で、一葉の成績は余裕で合格圏内だったけれど、私はそうじゃなかった。

 返ってきた模試の答案用紙に赤く記された数字は、良くなかった。目標にしていた点数には全然届いていなかった。放課後、担任の先生に職員室に呼ばれて、本番の入試でこの点数を取ったら合格するのは難しい、と言われてしまった。

 一葉は先生との話が終わるのを図書室で待っていてくれたのだけど、私が落ち込んでいるのを見て、公園に誘ってくれた。

 学校の裏手の丘にある公園だ。これまでも、学校が終わるとまっすぐ家には帰らないで公園に寄り道しておしゃべりしていくことはあった。

 公園はとても広い。丘ひとつ全部が公園だ。入り口に近い遊具スペースで小さな子どもたちが遊んでいることはあったけれど、花壇と噴水を通り過ぎて階段を上れば、丘に点在する広場にも、広場をつなぐ遊歩道にも、人がいることはあまりなかった。

 遊歩道を黙って歩いて、私たちが腰を下したのは──天体観測広場。

 『広場』と名前がついているけれど、教室より狭いくらいの場所だった。地面にはタイルが円形に敷き詰めてあって、そこに東西南北の方位が刻まれている。

 丘の公園の中でいちばん高い場所にあって、全方位に見晴らしがいい。南に置かれたベンチに座れば北の空が、西側のベンチに座れば東の空が見渡せる。天体観測広場の名前通り、夜になれば星を見るためにここを訪れる天文ファンがいるのかもしれない。が、私たちはここで誰にも会ったことがなかった。いつでも、ふたりだけになれた。

 成績の話をするうちに、私は泣いてしまった。志望校を変えることも考えるように先生に言われたことを話す途中で、こらえきれなくなってしまったのだ。

 一葉の模試の得点を聞くと、当然のことだけれど、全部の教科で私のスコアを上回っていた。数学は十点以上差があった。

 悪い成績を取ったのもショックだったけれど、一葉に置いていかれるような不安な気持ちになった。一葉と同じ高校に行きたい。でも、無理して受験して、私だけ落ちたらどうしよう。

 ぽろぽろと涙をこぼしている私に、答案を見せて、と一葉は言った。

『うっかりミスが多かったんだよ』

 私が渡した数学の答案用紙をしばらく見てから、一葉は口を開いた。

『ここは計算ミスだし、ここはプラスマイナスを間違えてるし』 

 ひとつひとつ指摘されたミスの点数を数えると、五点以上あった。

 他の教科も見直すと、なぜここを間違えちゃったんだろう、という箇所がいくつも見つかった。答えを書く欄がずれていた、なんてものもあった。ケアレスミスがなかったら、得点は二十点近く高いはずだった。余裕……とはいかないけれど、志望校の合格圏内には入っている。

 ぼう然とする私に、一葉は、

『緊張してたんだよ』

 と、笑いかける。ケアレスミスをゼロにするのは現実には無理だろうけど、落ち着いて問題を解けばミスを少なくすることはできるよ、と。

 緊張していたのかもしれなかった。大事な、最後の模試だったから。

 一葉の気負いのない笑顔を見ているうちに、ぐちゃぐちゃだった心が少しずつ静かになった。私を安心させてくれるその笑顔をずっと見ていたいような気持になって、黙って一葉を見つめていたら──。

 広場には夕日がオレンジ色に差していた。そのオレンジの光が不意にさえぎられて、一葉が間近に私の顔を見た。片手を、ぽん、と私の頭にのせた。

『落ち着けば、大丈夫』

 ささやくように言って、小さく笑った。

『受験、がんばろうな』

 一葉は、すぐに、照れたようにそっぽを向いてしまったけれど。

『……がんばる』

 その横顔に言っていた。絶対に一葉と同じ高校に合格する。

 帰ろう、と腰を上げた一葉に、私はふと思いついたことを口にした。

『ねえ、いつか、ここで一緒に星を見よう? 天体観測広場なのに、私たち一度も星を見てないじゃん?』

 一葉は少しおかしそうに笑った。赤い空を指差す。そこには、ぽつん、と白い大きな星があって。

『金星──宵の明星、ってやつ』

 私は両手を口に当てた。えっ、うそ、星、見えてるじゃん。私、めっちゃ恥ずかしいことを言っちゃったかも……!

 一葉は私に向き直った。いつもの柔らかな笑顔だった。

『でも、どうせなら、流星群が見たいな』

 流星群──夜空いっぱいに流れる星が心に浮かんだ。手をつないで流星群を見上げている自分と一葉の姿も。

『高校生になったら、見に来よう?』

 自分の空想に心が弾んで、そう言っていた。

『私、がんばって、合格するから』

『合格祝い? いいよ』

 一葉は笑ったままうなずいて、そうすると八月だな、とつけたした。──二月にもふたご座流星群があるけれど、それだと高校入試前になってしまう。高校生になってから観るなら、八月のペルセウス座流星群かな。

 私は知らなかったけど、流星群って、毎年決まった時期に観られるものだったのだ。二月のふたご座流星群、八月のペルセウス座流星群、そして、十一月にはしし座流星群……。一葉はそんなことも知っていたんだ。

『ペルセウス座流星群、いいじゃん。八月なら、ちょうど夏休みで』

 一緒の高校に合格して、初めての夏休みに一葉とここで流星群を見る。──すごく、いいじゃん。

 私はがんばって勉強した。

 志望校に合格したときは、きゃー、って叫びそうなくらいうれしかった。私より成績の良い一葉も、もちろん、合格した。

 クラスメイト達もそれぞれに進路が決まった。みんな喜んでいた。

 けれど、浮かない顔の女の子がひとりいた。つきあっているカレと高校が別になってしまい、ふたりの関係が自然消滅するんじゃないか、と心配していたのだ。──今までのように学校で会うことはできない。カレは野球部で練習や試合に忙しく、休みの日もなかなか会えないかもしれない。そのうち、毎日顔を会わせる同じ高校の女の子と仲良くなって……。

 千鶴ってコだった。

『いいね、真凛は同じ高校で』

 ため息と一緒にそう言われ、

『大丈夫だよ。高校が別れても、ずっとつきあってるコたちだって、たくさんいるよ』

 私はそのコを励ました。

 でも、現実は、別れちゃうカップルの方が多いんだろうな──と、こっそり考えていたけれど。ていうか、中学でつきあっているカップルって、そんなに長くは続かないことが多いんじゃないかな。数か月で別れちゃうカップルなんて、何組も見た……。

 でも、自分と一葉はこれからも続くと思っていた。

 だって、別れる要素がない。一葉はカッコよくて優しい。不満はない。高校も同じで、今まで通り学校でも会える。もしかして──将来、自分が一葉より素敵な男の人に巡り合って告白されたら、別れちゃうかもしれないけど? ……とまで考えて、私は心の中でくすくす笑った。冗談でーす。



 つきあっちゃう? と言ったのは一葉の方だった。

 別れよう、と言ったのも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る