第4話 女皇への謁見
輪国で最も尊く、崇敬される一族が住まう皇宮。かの宮は親兵局から少し離れたところに位置する。そもそも親兵局自体がその性質上、輪皇がもつ神器の権能によって周囲から隠されていた。
親兵局を守護するように囲んでいる森林。そのなかに一際大きな樹木があり、太い幹には黄金色の渦輪があった。先導していた額が渦のなかに手を伸ばすと、まるで吸いこまれるかのように眼前から姿を消した。
桜夜と蓮夜は唖然とし、得体の知れない物象に警戒心を抱く。
「そんな怖がらんでも大丈夫やって。この『ねじれ』は親兵局と皇宮を行き来するための出入り口やから」
「出入り口……」
桜夜の鸚鵡返しに、伊織は「そ」と頷く。
「いわば空間と空間の繋ぎ目。さ、はよ行き!」
「ちょっ……!」「わ!」
伊織が姉弟の背を押したことで桜夜と蓮夜の手が『ねじれ』に触れ、両者はたちまち黄金の渦に呑みこまれた。
入った瞬間、
「な。何もなかったやろ」
後からやってきた伊織が言い、桜夜たちは辺りを見渡した。視界には思わず気圧されてしまうような景色が広がっていた。
「ここが皇宮です」
先に着いていた額が眼前に構えている広大な宮城を見据えて言う。
汚れ一つない純白の城壁に、威厳ある灰黒の瓦と
「すごい……!」
「すごいやろ~。ボクらが今から行くのは、真ん中にある
蓮夜の感嘆に続いて、伊織が説明する。
「行きましょう。寧子様がお待ちです」
再び颯爽とした足取りで歩き始める額に、桜夜と蓮夜、それから伊織が後を追った。
親兵が普段出入りする裏門を潜り、皇宮中央に厳然と構えている壮麗な宮殿へと歩を進める。黄央殿はその名の通り黄金色の柱や装飾が光り輝く殿舎で、ところどころ神々の紋様が施されていた。
回廊を渡り、輪皇の
「寧子様の御成です」
輪皇の到着を告げると同時に、額と伊織がすぐさま叩頭した。輪皇に対する絶対的な忠義が垣間見える行動の速さに内心驚きつつ、桜夜と蓮夜もおずおずと首を垂れる。
すると、衣擦れの音と規則正しい足音が姉弟の耳朶に響いた。その洗練された所作に、周囲の空気が瞬く間に得も言われぬ緊張感に包まれる。
「顔をあげてください」
神楽鈴を思わせるような、神秘的な美声が頭上に降りかかる。言われて、桜夜たちは視線を御座に戻した。
花も恥じらうような、見目麗しい女性が御座に腰を下ろしていた。
黒曜石の如く清純な光沢を放つ
特筆すべきは、彼女が首から下げている拳大の黄玉。おそらくあれが輪皇に代々継承される〈空間〉と〈天〉を司る神器だろう。
――この
自分と二つしか年が変わらないというのに、浮世とは隔絶された佇まいと威光が桜夜の目を釘付けにする。蓮夜も惚けた面持ちで可憐な女皇を見つめていた。
「寧子様。ご姉弟をお連れしました」
「ありがとう、額。伊織もご苦労様でした」
「いやいや、労われるほどのことでは」
輪皇相手でも
寧子は桜夜と蓮夜に視線を戻して、天女の如き美麗な微笑をたたえる。
「もうわたしのことを知っているかもしれないけれど、改めて名乗りましょう。わたしは輪ノ宮寧子。気軽に寧子と呼んでちょうだい」
「清水桜夜です」
「お、弟の蓮夜です!」
緊張して声を上擦らせる蓮夜に、寧子はくすくすと鈴を転がすように笑みを零す。
「そんなに緊張せず伊織みたく楽に構えてと言いたいところだけど、やっぱりそれは難しいわよね。あ、それぞれ下の名前で呼んでも?」
「はい。もちろんです」
桜夜の首肯に続き、蓮夜も顔を激しく縦に振る。
「恐れながら寧子様。あの者は楽に構えるどころか御身に対して不敬極まりない態度を改めようとしません。ここはいま一度、相応の厳罰を下していただきたく」
すかさず額が進言する一方で、伊織は虚空に向けてぴゅうと口笛を吹いていた。相変わらず馬が合わない二人に、寧子は困った風に
「まあ、伊織の奔放さは今に始まったことではないし、わたしがああしろこうしろと言ったところで、彼が反省して日頃の行いを改めるとは思えないわ」
「ですが……!」
「額。反対にあなたはもう少し肩の力を抜いてもいいのよ。前にも言ったでしょう。輪皇になったからといって、そんな堅苦しい姿勢をとる必要はないわ」
「……お気遣い、痛み入ります」
なおも恭しく頭を下げる実直な額に、寧子はまたもや微苦笑を浮かべる。
「額も伊織も両極端なのよね」
「ははは、ほんまですねえ」
「誰のせいでわたしが頭を悩ませていると思っているの」
嘆息交じりに言い、寧子は桜夜と蓮夜に向き直った。
「話が逸れてしまったわね。ごめんなさい。本題に入りましょう」
寧子が凛とした面持ちに切り替えたと同時に、自然と桜夜たちの背筋もぴんと伸びる。
うら若き女皇の澄んだ黒瞳が、桜夜を真っ直ぐに見据えて離さない。
「突然、見ず知らずの者たちに同行を強制され、挙句こんなところに連れてこられて困惑しているでしょう。あなたたちには申し訳ないことをしました。でも、どうしてもあなたたちを見過ごすことはできなかったの」
寧子は一息おいて、自身の意向を打ち明ける。
「単刀直入に言います。桜夜と蓮夜には、これから
突拍子のない発言に、姉弟は大きく目を見開く。
「なぜ、私たちが皇宮に?」
わけがわからないと言外に問う桜夜に、寧子は神妙な声音で続ける。
「伊織からすでに聞いているかもしれないけれど、嵐慶はまだあなたたちが生きていることを知らない。でも、あちらにも情報収集に特化した隠密集団がいる。そのうえ、もともと幕府軍に属していた武士たちや佐幕派の町人、侠客たちが次々に沈丁花に加わっていることから、いずれあなたたちの存在が知られ、嵐慶は再び龍蛇の力を利用しようとするでしょう。万が一あなたたちが捕まってしまうようなことがあれば、きっと非人道的な扱いを受ける」
的を射た寧子の指摘に、桜夜は返す言葉が見つからなかった。
頭のなかで、想像上の主が凄絶な面差しと低声をもって己を侮蔑する。
『神でもなく、ましてや人ですらない。お前たちは崇高な存在に成り損なった
かつて、嵐慶に突きつけられた残酷な事実。
異形は陽の下を歩けない。一生、暗影に身を潜め、残忍かつ獰悪な邪心の赴くままに生きていくほかない。それが邪神の子孫たる者の
それゆえ桜夜が己の意志で殺めることができないと彼が知った時は、怒髪天を衝いて桜夜を強く
『異形のくせに人を殺せないだと? はっ、面白い冗談だな。笑わせてくれる。それで清純な神を気取ったつもりか。戯言を吐くのも大概にしろ』
それから桜夜は任務のたびに組紐を強制的に切られ、一時的に蛇女となって将軍の障壁を破壊してきた。蛇女の髪を縛る組紐、そして龍男の手首を締めつける数珠型の腕輪には、一族が生まれつき抱いている神力の暴走を抑えるまじないがこめられており、それを断ち切られてしまうと人ならざる本性が発露してしまう。
相当な訓練を積まない限り、蛇女龍男の状態で理性を保つことは難しい。力尽きるまで際限なく暴乱し続ける変化を解くには、訓練を積んで自制できるようになるか、他者による攻撃で意識を失うことしか方法がなかった。
――できることなら、この身に流れる神血だけをすべて洗い流したい。
「あなたたちだって、わたしが守るべき民であることに変わりはない。それに、あなたたちはこれまで想像を絶するような苦難を強いられてきた。だから、
――慈悲深いお方だ。
普通の人間ならば間違いなく自分たちを化け物と蔑み、異端の存在に恐れを為し、こちらが手を伸ばしてもそれを払い除けようとするのに。対して寧子は温情を与え、手を差し伸べようとしてくれている。
仁道を行こうとする為政者の鏡とも言うべき寧子の姿に、桜夜は素直に感心した。だが――
「恐れながら、そのお気遣いは建前で、本当は輪皇軍の脅威となり得る我々を敵軍に渡したくないとお考えなのでは」
鋭く切り込んだ発言に、寧子は目を眇める。額も険ある眼差しで桜夜を咎めた。
「今の言葉は看過できませんね。寧子様に対しあまりに不敬です」
「それは重々承知しています。ですが、私たちは疑り深くならざるを得ない極めて複雑な立場にありますので。それに、もしあなた方が私たちの立場であったなら、きっと同じ心境になっているでしょう」
虚を衝かれ、額は反駁できずに口を閉ざす。返す言葉が見つからずに黙す彼女に、伊織はからからと笑いながら言った。
「まったくもって桜夜ちゃんの言う通りやわ。それにしても、額ちゃんが言い包められるなんて珍しい」
「……二度とそのうるさい口をきけないようにしますよ」
「え、なんでそんな怒ってんの? ボク、そんな気に障るようなことゆってないで。ていうか、額ちゃんがボクを黙らすって絶対に無理無理」
「地に額を擦りつけて謝罪する覚悟はあるようですね」
小馬鹿にしてくる同僚を、寧子は青筋を立てて睥睨する。
対極的な副長同士が不毛な応酬を繰り広げている一方で、桜夜と寧子は静謐な光をたたえた瞳で互いを見据えていた。
寧子は静かに瞑目し、再び怜悧な黒瞳をのぞかせる。
「確かに、その考えがなかったと言えば嘘になるわ」
「寧子様!」
「でも、すぐにあなたたちを恐れるのはやめた」
額の懸念をはらんだ呼声を制止するかのように、寧子は続ける。
「輪皇軍の兵士たち、それからわたしの親兵たちは、どんな危険や困難があったとしても必ずそれを打ち砕く強さがあると信じているから」
仲間への信頼がありありと見てとれる婉麗な微笑と
桜夜は感嘆し、蓮夜と額に至っては恍惚とした面様で彼女を凝視していた。伊織もいつも嫌みな笑みではなく、主からの期待に応えるような凛乎たる笑みをたたえている。
「それに、わたしだって曲がりなりにも神器所有者よ。いざという時は、己が持ちうる力をすべて使い果たすまで」
寧子は胸元にある黄玉にそっと触れる。
最強の神力を保有すると言われている〈
一つの神器で二つの神力を発揮できるのは〈黄心〉のみ。まさに輪国の頂点に君臨する人物――輪皇が持つに相応しい神器だ。
「寧子様がお力を使うまでもありません。私たちが全身全霊をもって、貴方様をお守りいたしますから」
「それはボクも同感。珍しく額ちゃんと意見が合ったな」
飄々とした朗笑を向けてくる伊織に額が辟易する様子に、寧子は口元を綻ばせる。
「二人とも。気持ちは嬉しいけど、あまり無茶はしすぎないようね」
強固な絆で結ばれている主従たちを目の当たりにして、桜夜は花瞼をわずかに伏せた。彼女たちはあまりにも眩しすぎる。慕い慕われる関係に思わず羨望してしまうほどに。
「姉ちゃん……」
隣から自身を案じる弟の声がする。それと同時に父から託された言葉が脳裏を過った。
「……父は」
桜夜が口火を切ると、主従たちが一斉に注目する。
「央都決戦で果てる前、私に言いました。蓮夜とともにどこかで静かに暮らせ。蓮夜のことを頼んだぞ、と。ゆえに蓮夜の身に迫る危険はすべて私が排除しなければなりません」
不屈の覚悟と信念に、蓮夜は言いかけた言葉を呑みこんで口を噤んだ。
「異端である我々には敵が多すぎる。もはや誰一人として信用できない。だから姉弟で懸命に強く生きろと、父の遺言にはそんな意味がこめられているのだと私は思っています」
「桜夜……」
「たとえ輪皇であらせられる寧子様のご意向といえど、私たち姉弟に対する弊害や利権が捨てきれない以上、貴女様のご意向に沿うことはできません。それゆえ私たちは今すぐここを去ります。もし、不敬罪として今この場で私たちを斬り捨てようものなら――」
桜夜は〈水牙〉を創成して、蓮夜を庇う体勢をとる。同時に伊織と額も神器を手にして桜夜に鋭利なものを向けた。
「相手が誰であろうと、躊躇なくこの牙を振るいましょう」
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