第2話 始動、◯◯作戦!
女神が俺に名刺を差し出す。なかほどに『(株)大谷芸能プロダクション 社長室長』とある。おいコレ、何の冗談だよ。大谷プロといえば、芸能界を牛耳る一流企業。俺の祖父さんはそこの社長なのか! 俺の頭は混乱する。
真顔に戻った栄子さんが続ける。
「お祖父様がお待ちです。直ぐにご案内いたしますので、お乗りください」
と、後部ドアを開ける。レザーのソファーが見える。ミニバーらしきものや、大きなスピーカーも。
なんだよ、これ! ふざけてんのか……。
病気の父さんを見殺した冷たい人が、芸能界の重鎮? 何の冗談だ! こんな車を使うくらい金持ってんなら、あのときに助けてくれればよかったのに! やっぱり、俺は祖父さんが嫌い。大嫌い。会いたくない!
そうはいっても、約束は約束。何より、母さんに心配かけたくない。だから、栄子さんを含む祖父さん一味へのささやかな反抗を思い付き、歩き出す。
「住所は名刺にあるのでいいですよね。俺、電車で行きますので!」
「えっ、あっ、ちょっと。すばる様、すばる様ーっ!」
出費は嵩むが、慌てふためく栄子さんの様子が目に浮かぶ。いい気味だ!
駅が近付くにつれ、人が増える。だから気付いた。栄子さんが俺のあとを追っている。ヒールの音の聞こえない絶妙な距離をとっているようだが、すれ違う男の人の顔が緩んでるから分かる。美しい女神を見る目だ。
駅の中でも同じだし、モノレールに乗ってからは余計。遠くからヒューヒュー言ってる高校生。見てるこっちが恥ずかしくなるくらいデレデレのおっさん。
乗り換えのときはもっと大騒ぎ。祖父さんへの意地を張っただけなのに、結果的には栄子さんを見せ物にしてしまった。女神の車は、俺には似合わなくても、女神のような栄子さんにはピッタリだったんだ。
俺は、後ろめたさから、最後の手段をとる。栄子さんの手を引いて走ること。栄子さんはコツコツコツと音を立てながらも、俺について来る。
「意外に根性あるんですね。そんな上品な靴で、走れるんですから」
風に揺れる声も、この距離では聞こえる。けど、栄子さんの言葉は意外だった。
「あまり、舐めないでくださいまし!」
「舐めるって!」
「こう見えて私、合気道三段です。この業界、身体が資本ですので!」
「そうですか。俺は母さんから肩もみ五段の免状を授かってますが!」
「そっ、それはすばらしい! やりますね……」
栄子さんって、思ったよりもノリがいいのかもしれない。免状のことを話して褒められたのは、これがはじめて。
中央線のホーム。栄子さんはどうしようもないほどの男の視線に晒される。だからここも仕方なしに、栄子さんの提案を受け入れる。
「グリーン車なんて、有料になってから乗るの、はじめてです」
「そうですか。すばる様は堅実なお方なのですね」
栄子さんはそれだけ言って、スマホを取り出すと、誰かと連絡を取っている。仕事のようだ。
御茶ノ水駅で降りる。秋葉原までの一駅は歩くのが俺流。その方が安いから。その判断は間違いだった。午後四時過ぎの学生街の混雑を俺は舐めていた。だから、また仕方なしに、俺は栄子さんの手を取る。
「ヒールなのに申し訳ないですが、また、走りますよ」
「やむを得ませんねと申したいところですが、私はもっといい作戦を存じてます」
「そうですか。だったら、その作戦にしましょう」
「はいっ。では、遠慮なく。名付けて恋人作戦! なんて、どうでしょう?」
と、栄子さんが俺の右腕に絡みつき、身体を預けてくる。開き直って恋人を演じることで、視線を回避するのが狙いっていうのは分かるけど……大きなふくらみがスーツのシルエットだけではないことを右腕に感じる。はじめてだ。弾くようでいてやわらかい感触。薫ってくるシャンプーの匂いはとても上品。
だから俺は第一声で感想どころか「ウホッ!」と感嘆の声をあげるのが精一杯。栄子さんは妙に落ち着いて言う。
「どうしたの、すばる。私の恋人はゴリラじゃないんだけど」
と、余裕の表情。悔しいけど、俺にやり返すスキルはない。顔が熱くなるのを止める手立てすらない。完全に負けている。やはり、俺と栄子さんでは住む世界が違うようだ。
「しょうがないじゃないですか。こういうの、慣れてないんですから」
「そっ、そう、だよね……」
栄子さんの顔が少し赤くなったように感じる。
どうあれ、効果があるかどうかが問題。心配をよそに、恋人作戦は効果覿面。栄子さんをいやらしい目で見る男は激減。代わりに俺にヘイトを向ける男が続出。俺にとっては見慣れた目。我慢するほどでもない。
あるいは、他人と並んで歩く心地よさが俺の中で勝ったのかもしれない。恋人同士でなくとも、友達や仲間、チームメイトでもいい。いつかまた、誰かと一緒に歩きたい。その相手が、栄子さんのような女神だったらいいな。
大谷プロ本社ビルの前。栄子さんが離れる。もう、恋人作戦は終わり。俺は切なさを感じる。栄子さんも同じだろうか? そんなくだらないことを考えて、栄子さんを見る。少し赤かった顔も自信に満ちた表情へと変わり、コツコツと鳴る足音ですら誇らしげだ。
「すばる様。ようこそ、大谷プロへ! こちらへどうぞ」
その言葉のどこにも切なさは読み取れない。妙に落ち着いていて、妙に静か。俺の目と耳に入ったのは、栄子さんの誇りだろう。さすがは社長室長と思わせる、完全なる仕事モード。
そっか。栄子さんにとっての恋人作戦は仕事の一部に過ぎなかったんだ。と、俺は勝手に決めつける。そして何も言えなくなって、栄子さんの後を歩く。
「降りたところで、お祖父様が既にお待ちにございます」
栄子さんに案内されるまま、エレベーターに乗る。加速する箱の中、俺は栄子さんには言えないもやもやした気持ちを、卑怯にも祖父さんへの文句に変えていた。冷徹な男をやはり簡単には許してはいけない、と。元々、言いたいことは山ほどあるんだから!
エレベーターの減速がはじまる。少しの揺れを感じる。俺の気持ちに比べれば、大した揺れではないけれど。この扉が開けばいよいよ、俺は祖父さんに会う。どんな人だろう。母さんがあんなによろこんでたし、悪いようにはしないだろう。感動の面会シーンとなるのだろうか。抱きしめあったりするのだろうか。そうやって、俺が安心材料を探しているうちに、エレベーターが止まる。
チンッ!
扉が開く。差し込む光は、スポットライトよりも強く感じられる。俺は社長室というステージに向けて進む。背後に続くコツリという音を聞きながら。
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