第3話 また明日

 祖父さんや栄子さんの職場。次第に目が慣れてくると、全貌が見えてくる。


 美術館の一角のように広々している割に、全く無駄のない静かな空間。想像していたよりも地味。重厚感のある本棚と、無駄に大きなデスク。壁にかけられた年代物の絵画が、やたらと格式ばっている。窓からは街が見下ろせる。けれど、そこに広がる景色も、この部屋の静けさには勝てない。黒革の応接用ソファーにあるこの部屋の重心が全てを吸っている。


 いいや、重いのは黙って座る男の存在感。質量が半端ない。

 

 父さんの墓石にあるのと同じ紋が刺繍された和服姿。けど、遠い。十五になって初対面だから、どこかよそよそしい。他人と変わらない。


「すばるよ。お前にしかできん仕事がある。やってもらうぞ」


 祖父さんの開口一番がそれだった。『おー、すばるよ。会いたかった!』とか『すばる、君がすばるなんだな!』とかいう涙の面会、感動エピソードとは程遠い。俺のことを社員か何かと勘違いしているんじゃなかろうか。


 仕事の内容説明は、栄子さんがしてくれた。要約すれば、この会社が、四年ぶりに開催するアイドルオーディションの選考委員長。社長の血縁者である俺に白羽の矢が立ったというわけだ。


「……は?」


 そんな反応しかできなかった。そもそも俺は芸能界にはまるで興味がない。人の顔を覚えるのも苦手。アイドルを選ぶなんて仕事、俺にやれるわけがない。そもそもアイドルが何かも理解していない。俺にしかできない仕事って、どういうこと? そもそも俺、まだ中3なんですが! 四月からの就職先なら決まってるんですが!


 何を見て俺に頼んだのかと問い詰める。祖父さんは俺の問いには何も答えない。ただ「やってもらうぞ!」とだけ繰り返す。俺が断り、押し問答が続く。




 結論の出ないまま、時間だけが過ぎる。散会となる。栄子さんに「帰りだけでも送らせてください」と懇願されて、渋々女神の車に乗り込む。栄子さんについてこられて、ここへ来るまでの苦労をもう一度味わうよりはマシ。苦肉の策ってわけだ。


「すばる様。一人で出来なくともチームでなら出来るということ、ありません?」


 栄子さんの、堂々たる意見だ。学校のクラスで孤立してる俺とは大違い。栄子さんの『そんなの簡単です!』と言わんばかりの笑顔を見ていると、こっちが恥ずかしくなる。自分の小ささに気付いてしまう。俺の中で何かへの引っ掛かりを生む。


「チーム、ですか……」


 俺はこの言葉が好きなのかもしれない。だって……たしかに感じたんだ。


 恋人作戦のとき。俺達は本当の恋人ではなかったが、いいチームだったのではないか。二人の利害が一致していたわけではないが、目的は一致していた。栄子さんへのいやらしい目線の除去、という。


 栄子さんも『チーム』という言葉に反応する。


「そうです。チームですよ! 成功者はみんな、よきチームに恵まれるものです」


 と、小さな顔が大きく見えるくらいに接近してくる。この車は広いんだから、もう少しパーソナルスペースを広く取ってもいいのに。頼むから、俺の膝に添えた手を退けてくれーっ。接近したまま、栄子さんは笑顔になり続ける。


「毎日話してて楽しい相手とチームを組むのです。誰もが羨むようなチームを作るのです! 互いに信じ合うチーム! 互いに頼り合うチーム! 信頼のチームを」


 力説だ。俺は、恥ずかしさのあまり、悪いクセを出す。


「って言っても……俺には友達がいないですよ。毎日話す相手なんてもっての外!」


 自虐だ。自分で自分を虐げるんだから、人間は残酷な生き物だ。


「そうでしたか……」


 軽くいなされてしまったようだ。栄子さんは俺との距離をとる。窓の外の遠くを見つめる。その先に何があるのか、俺には分からない。


 それでも、『それなら友達を作ればいいですよ』ではなかっただけマシと思う。『だったら、私が友達になりますよ!』とかだったら、俺は舞い上がっていただろうか。そうに違いない。また、一緒に歩ける心地よさが味わえるのだから。


 いやいや、そもそもそんな展開にはなり得ない。なったとしてもシラけるだけ。栄子さんはあくまで大谷プロの社長室長。敬語なのがその証拠。自虐ネタを取り揃えた専門店みたいな俺のことなんか、興味を持ってくれるはずもない。


 栄子さんが喋らなければ、この車には他に喋る人がいない。時間ばかりが過ぎてしまい、ついには俺の家の前に停まる。


 栄子さんはわざわざ車から降りて、最後に一言。


「それではすばる様、お休みなさいませ。また明日」


 明日って、何だっけ? 特別な日、だったかな……。




 自室に篭る。


『これはピンチですぞ!』


 さくらだ。


「どういうこと?」

『宣戦布告ですよ、栄子の!』


「呼び捨てはやめなさい」

『いいえ、栄子は栄子。私にとっては敵なのですから』


「それがイマイチ分からないんだけど」

『本当ですか? ご主人様、鈍感ですね』


「悪かったな」

『既にフラグが立っているのにお気付きでないんですか?』


「フッ、フラグだって⁉︎」


 それって恋愛とか、そういう系? 全くそうは思えなかったけど。えーっ、そうなのーっ、えーっ! もし、そうだったらいいな。また一緒に歩ける。こんなにうれしいことはない。


『そうです。チーム作りのフラグです!』

「あっ、そういう……」


『はい。他に何か思い当たることでもあるんですか?』

「いやっ、ないよ。ないない」


 本当はあるけど、恥ずかしくって言えないーっ!


『ですよね。そしてフラグは立てたら回収しなくてはなりません』

「まぁ、そうなるね」


『ご主人様はその先に何があると思いますか?』

「何って……」


 言いながら思い出す。栄子さんは車の窓から見ていたものは何だったのか。


「……チーム作りは祖父さんの仕事を手伝うためのものだよなぁ……」

『そうです、仕事です。ご主人様はやりたくない仕事をしなくてはなりません』


「だっ、だよなっ!」

『はい。そしてさらに先には……いいえ、そこまでは言いますまい』


 ん? さくら、何を言いかけた? それはあとまわし。


「アイドルオーディションの選考委員長なんて、やりたくないよ」

『ですが、フラグが立っているのは事実です。回収するしかありません』


「それってつまり……俺は詰んでいるってこと?」

『いいえ。たったの一つだけ、方法があります!』


「本当! どんな方法?」

『へし折るのです!』


「なっなるほどーっ。で、具体的には?」

『よく、分かりません!』


「へっ?」


 今、なんて?


『そんなの、ご自身で考えてください!』

「くっ、肝心のところで、ダンマリとは……」


『まぁ、栄子は明日から足繁く通ってくることでしょう』

「マジ?」


『短くとも一週間、長ければ一ヶ月。機会なら充分にありますよ』

「あり過ぎだよ……」


 もし本当に明日、栄子さんが来たとして、俺はどうすればいいのだろうか……。ふと思い出したのは女神の車の中での栄子さんの言葉。『信頼のチーム』という。


 栄子さんは、社長室というチームの一員。しかもリーダー。そこに俺はいない。


 疲れているのに、なかなか寝付かないので、俺は数える。羊ではない。栄子さんが至近距離で言った『チーム』という言葉の回数だ。臨場感たっぷりに思い出しながら。


「一、二、三、四…………」

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