第10話

 出口を塞ぐ巨大な石の番人を前にして、私たちは完全に追い詰められていた。

 ゴーレムの振り下ろした拳が、私たちがさっきまでいた場所の床を、砕け散った石の破片と共に、見るも無残なクレーターに変えていく。その威力たるや、恐ろしいという言葉さえ生ぬるい。直撃していれば、間違いなく一撃で息絶えていただろう。

 私の背中を、冷たい汗が滑り落ちる。足の震えが止まらない。あんなにも大きな敵を前にして、私たちに何ができるというのだろう。

 彼の攻撃魔法も、この石の巨人には歯が立たない。炎の槍が、まるで子供の玩具のように、あっけなく弾き返されてしまった光景が、脳裏に焼き付いている。

 このまま、私たちはここで終わってしまうのか。リアナ様の真実を明かすことも、この学園の歪んだシステムを破壊することも、何一つできないまま。

 そんな絶望が、私の心を支配しかけた、その時だった。

 ゴーレムが、再び、その巨大な腕を振り上げる。今度は、私の方を狙っているようだった。

 動けない。足が、石のように固まって、一歩も動けない。

 死ぬ。

 その一言だけが、頭の中を駆け巡る。

 けれど、その一撃が私を襲う前に、横から強い力で、私の体が突き飛ばされた。


「動くな!」


 彼の鋭い声が、私の耳を打つ。気がつくと、私は、広間の端の方へと押し倒されていた。彼が、とっさに私を庇って、危険な場所から遠ざけてくれたのだ。

 ゴーレムの拳が、空を切って、地面に叩きつけられる。またしても、激しい地響きと共に、大量の石屑が宙を舞った。

 私の心の中で、何かが弾けた。

 駄目だ。このままでは、彼まで巻き込んでしまう。

 私は、ただ守られるだけの存在じゃない。彼と運命を共にする、本当のパートナーなのだから。

 私にだって、できることがあるはずだ。

 立ち上がると、私は、広間の周囲を見回した。何か、何か使えるものは。

 その時、私の目に映ったのは、広間の床の隅に、細い亀裂が走っているのを発見した。そこから、わずかに緑の芽のようなものが、顔を出している。

 植物だ。

 この古い遺跡にも、長い年月を経て、外から種が運ばれ、わずかな明かりと水分を求めて、たくましく根を張っている植物たちがいる。

 私の魔法は、攻撃には使えない。けれど、植物たちと心を通わせることは、できる。

 その時、ゴーレムが、再び彼に向かって、重い足音を響かせながら歩み寄っていく。彼は、攻撃魔法を次々と繰り出すが、やはり、その分厚い石の装甲に阻まれてしまう。

 このままでは、彼の体力が持たない。

 私は、心を決めた。

 床に膝をつき、亀裂から顔を出している小さな植物に、そっと手を触れる。

 最初は、何も感じなかった。けれど、次第に、その植物の中に宿る、か細いけれども確かな生命力が、私の手のひらに伝わってくる。

 そして、その植物を通じて、私は、この遺跡の床下や壁の中に、実はたくさんの植物の根が張り巡らされていることを知った。長い年月をかけて、この古い建造物に、まるで血管のように、植物の根のネットワークが形成されていたのだ。

 私の魔力を、そのネットワークに流し込んでいく。

 すると、今まで静かに眠っていた植物たちが、私の呼びかけに応じて、一斉に目覚め始めた。

 床の亀裂から、壁の隙間から、天井の僅かな穴から、次々と、緑の蔓が伸び始める。

 その光景を見て、ゴーレムの動きが、一瞬だけ止まった。

 今だ。

 私は、植物たちに語りかけた。言葉ではなく、心で。

 お願い。あの大きな敵の動きを、少しでいいから、止めて。

 植物たちは、私の願いに応えてくれた。

 無数の蔓が、まるで生きた縄のように、ゴーレムの足首や腕、そして胴体に絡みつき始める。一本一本は細いけれど、それが何十本、何百本と束になると、石の巨人の動きを封じるだけの力を持つようになった。

 ゴーレムが、困惑したように、絡みついた蔓を振り払おうとする。けれど、一つの蔓を引きちぎっても、また別の場所から、新しい蔓が生えてくる。

 その隙を、彼が見逃すはずがなかった。


「今だ!」


 彼の叫び声が、広間にこだまする。

 彼は、素早く、ゴーレムの背後に回り込むと、その関節部分――蔓によって動きが制限されている、膝の裏側に、正確に、強力な風の刃を叩き込んだ。

 ゴーレムの巨体が、バランスを失って、大きくよろめく。

 さらに、彼は、畳み掛けるように、今度は、もう一方の足の関節部分を狙って、連続して攻撃を繰り出す。

 私も、植物たちの力を借りて、ゴーレムの上半身の自由を、さらに奪っていく。

 蔓は、ゴーレムの腕を、胴体に縛り付けるように、何重にも巻きつく。

 そして、ついに、ゴーレムの片足の関節部分に、大きな亀裂が入った。

 ガラガラと、石の破片が崩れ落ちる音。

 ゴーレムは、その巨体を支えきれなくなって、崩れるように、床に倒れ込んだ。

 地響きが、広間全体を激しく揺らす。

 それでも、ゴーレムは、まだ動いている。片腕を使って、床を這うようにして、私たちに向かってこようとする。

 けれど、その動きは、もう、以前のような脅威ではなかった。

 私たちの連携が、この絶望的な敵を、確実に弱体化させていた。

 彼は、最後の攻撃を放つため、両手を天に向かって掲げた。

 今度は、炎ではなく、光の魔法。

 彼の魔力が、まばゆいほどの光の奔流となって、ゴーレムの頭部――その赤いモノアイへと、一直線に放たれる。

 ゴーレムの動きが、ぴたりと止まった。

 頭部の赤い輝きが、ゆっくりと、その勢いを失っていく。

 やがて、ゴーレムの全身から、あの不気味な赤い輝きが完全に消え去ると、それは、ただの石の塊へと戻っていた。

 私たちは、やったのだ。

 あの絶望的な敵を、二人の力を合わせて、打ち破ったのだ。

 植物たちも、その役目を終えると、静かに、元の場所へと戻っていく。

 私は、全身の力が抜けるのを感じながら、その場にへたり込んだ。

 大きく息を吸い込む。まだ、現実感がない。本当に、勝ったのだろうか。

 彼も、同じような気持ちだったのだろう。彼は、崩れ落ちたゴーレムの残骸を見つめながら、肩で息をしている。

 しばらくして、彼が、私の方を振り返った。


「よくやったな、ルティ」


 その言葉は、彼が私にくれた、最も大きな賞賛だった。

 彼の瞳の中に、私への信頼と、そして、それまでとは違う、特別な感情が宿っているのを、私は確かに感じた。

 私たちは、もう、『天才と落ちこぼれ』という関係ではない。

 困難を共に乗り越えた、運命の共同体。

 そして、それ以上の、何か温かい絆で結ばれた、かけがえのない存在同士なのだ。

 この共闘を通じて、私たちの間に生まれた信頼は、もう、言葉では表現できないほど、深く、そして強いものになっていた。

 互いへの特別な感情が、否定できないほど確かなものとして、私たちの心の中に、しっかりと根を下ろしていた。

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