第13話 危機との遭遇・3

「怖い思いをさせてしまったかしら?」


ジークリンデが学生たちに視線を向けた。

口を半開きにした学生たちからの応えはない。

無理もない。

妖精や女神に喩えられるほど、彼女の美貌は常軌を逸しているのだから。


「そうでもなさそうだ。第一艦隊に助けられたなんて、彼らがレポートを書き始める頃には自慢話のネタになってるかもしれないよ?」


ニールは冗談めかして笑った。


「私たちに救助されるなんて、大概ろくでもない状況ですけどね。

……ねえ、もしかして引き渡しの間、学生さんたちは放置されてしまうのかしら。

それと、そろそろお昼時ですよね。どうなさるおつもり?」

「そうだった! すっかり忘れてた」


ニールは焦って頭を掻く。

八隻の麻薬密輸船に、武装商船一隻。

それに、行方不明だった男爵令嬢の救出まで加われば、大戦果と言っていい。

喜ばしいが、応援を呼んだとしても、しばらくはクルー総動員での対応になるだろう。

学生たちの相手まで手が回るとは思えなかった。


「ええと、どうしたものかな」


ジークリンデは想定済みだったようで、先ほどの問いかけは確認に過ぎなかった。


「私の落ち度でもありますし、こちらの食堂を利用していただいたらどうかしら?

その後は遊覧飛行で時間を潰していただければ。

艦橋や機密区画の見学は無理ですが、展望デッキにはご案内しますよ」


作業に数時間かかるのであれば、それが最善だとニールも思い至る。


「願ってもない申し出だけど……いいのかい?」

「問題ありません。手が空いている者もおりますから」

「そうか。ありがとう」


ジークリンデは小さく扇を振って通話を切った。口元にはわずかな笑みが浮かび、すぐに消えた。


「ローレライでの遊覧飛行が決まりました。

皆さん、迎えが来るまで、こちらでしばらくお待ちください」


ウィグナー警部の言葉に、学生たちは歓声を上げた。

武装商船との遭遇から一転、特別体験への期待に沸き立つ。

悠然と接近する戦艦〈ローレライ〉の姿が、ジークリンデと入れ替わりでメインスクリーンに大きく映し出された。


さほど間を置かず、迎えのシャトルが寄越された。

五家当主が使用するだけあり、学生たちの目にはどこもかしこも「とんでもなくお高そう」に映る。

学生たちは、遠慮がちに高級感あふれる座席へ身を沈めた。


もっとも、〈ローレライ〉はすぐ目の前だ。

心臓に悪いほど豪奢なシャトルの旅もすぐに終わり、学生たちはぎこちない動きで戦艦ローレライへと足を踏み入れる。

きらびやかさとは無縁の艦内は、軍艦らしい殺風景さを保っていて、学生たちは一様にほっとした表情を浮かべた。


「ようこそ。私はローレライの副長、フィリップ・ラザール中佐です。皆さんの案内を務めます」


ラザール中佐はにこやかに自己紹介をし、学生たちを招き入れる。


「どうぞ、こちらへ」


学生たちは感動半分、呆然半分の表情でラザール中佐の背中を追った。

二度と訪れることのないであろう艦内を、一歩一歩確かめるように歩く。

学生たちは重厚な雰囲気に飲み込まれ、恐る恐る壁に手を触れてみた。


展望デッキまでの道中に限られてはいたが、ラザール中佐の案内で、第一艦隊旗艦〈ローレライ〉の内部を巡ることができた。


壁や床には特殊素材が使われており、あえて足音が響くように設計されているのだという。


「辺境伯閣下がお乗りになる艦ですから、警備には万全を期しています。

万が一侵入者がいても、居場所を“自己申告”していただけるというわけです」


かつん、とラザール中佐が軍靴の踵で床を鳴らす。


「水洗いで簡単に汚れが落ち、すぐに乾く。

しかも音がよく響く――一石三鳥の優秀な素材です」


血痕を拭き取ったばかりとはおくびにも出さず、ラザール中佐は壁に手のひらを当て、軽く叩いてみせた。

ほんの数分前、返り血にまみれた白兵隊がこの廊下を駆け抜けて帰ってきたとは思えないほどに、艦内は静まり返っていた。



案内された食堂はというと――なんというか、本当に「食堂」だった。

威勢のよいおばちゃんが、大皿を両手に抱えて忙しなく歩き回っている。


「っらっしゃいー! あれ、副長。若いお客さんたちだねぇ」

「学生さんたちだよ。ニールのところからの預かりもんさ」


下町の食堂さながらの空気感で、そこには軍艦らしい威圧感も、豪華さも、まるでなかった。ちょうど昼時とあって、学生たちが到着した時には、すでに多くの乗組員たちが食事をとっていた。

賑やかな声と湯気の立つ熱気が、室内に満ちている。


「ここは乗組員の要望で、こうなっているんですよ。食事は気楽にとりたいからってね」

「軍艦とは思えない雰囲気ですね」

「逆に考えてみてください。食事中まで緊張していては、消化に悪いでしょう?」


学生たちの笑い声が、和やかに食堂全体へと広がっていく。


「さあ、好きなものをどうぞ。味は保証しますよ。

なにせ、辺境伯閣下の食事も手がけているスタッフですからね」


ラザール中佐はカウンター越しにおばちゃんに声をかけ、学生たちに料理を取るよう促した。


ナイジェルは気付かなかった。

エプロンの胸元にひっそりと「中佐」を示す記章があったことに。


食事を終えた学生たちは、少し緊張した面持ちで、案内された貴賓専用の直通エレベーターへと乗り込んだ。向かう先は、滅多に立ち入ることのできない――戦艦最上部の展望デッキである。

艦体後方の最上部に位置するその部屋は、プラネタリウムを思わせる半球状の天井を持ち、張り巡らされた巨大なスクリーンには、全天の宇宙空間がリアルタイムで映し出されている。

入室した途端、足元の重力が失われ――宇宙そのものに溶け込んだかのような感覚が、ナイジェルたちを包んだ。

ドーム窓に見えるが、もちろん違う。

もし本物の窓であったなら、防御構造上の深刻な弱点となり、戦艦としては致命的な欠陥にほかならない。

展望デッキから望む宇宙には、ローレライを護衛するように、戦艦・巡洋艦・駆逐艦・工作艦など、五百隻を超える艦艇が整然と展開していた。

ここは王族や五家の当主だけに許された特別な空間であり、並の貴族には足を踏み入れることすらできない領域だ。

帝国との首脳会談に用いられることもある。


「展望デッキ内でしたら、撮影していただいて構いませんよ」


先ほどの食堂とは打って変わった荘厳な空気に、身の置き場に困っていた学生たちも、ラザール中佐の一言に背を押され、やがて表情をほころばせ、思い思いに歩き始めた。


現実離れしたひとときののち、〈ブルージェイ〉からの通信が入り、事後処理の完了と帰投の案内が伝えられた。

学生たちが名残惜しげに展望デッキを離れようとしたとき、一人の学生がラザール中佐に問いかけた。


「――あの、辺境伯閣下は、いつもこの艦に?」

「いいえ。他のローレライ級で指揮を執られることもありますし、地上で政務に追われ――いえ、励まれていることも多いのですよ。あとは……そうですね、ローレライがマイヒ・メル宇宙港に停泊している場合、閣下がお乗りでないと考えて間違いありません」


ラザール中佐の返答は、ナイジェルの知識と合致していた。それが妙に嬉しかった。

辺境伯が首都星を訪れる際、彼女の乗艦が停泊するのは、マイヒ・メル宇宙港ではなく、宮殿敷地内の貴賓専用港――聖ブランダン宇宙港と決まっていたからだ。

第一艦隊はナイジェルたちを〈ブルージェイ〉に送り届けると、厳然たる隊列を保ったまま、宇宙の深奥へとゆるやかに進んでいった。

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