第8話

 映画の上映会は、日曜の午後。


 いつもなら、人混みなんてごめんだと思っていた。でも今日は違う。


 胸の奥が、ふわふわと宙に浮いたみたいに落ち着かない。

 駅から映画館までの道のりも、いつもより短く感じた。


 ふとした瞬間に視線を向ければ、隣にいるのは、梓。


「ほんとに当たったんだね、これ、ふふっ、嘘みたい」


 嬉しそうに、無邪気に笑う梓の声が、耳にやわらかく届く。

 風のように軽やかで、それでいて不思議と胸の奥に残る声だった。


(かわいいな)


 たった今、そう思ってしまった自分に、少し驚く。

 どうでもいいフリしていたのに、本当は、ずっと楽しみにしてたんだなって思い知った。


 ポケットの中のハガキをそっとなぞる。


(こんな日が来るなんて……)


 映画館の前には、予想以上の行列ができていた。


「すごいね、こんなに人いるんだ」


 驚いたように目を見開く梓。その仕草がどこか子どもっぽくて、思わず口元が緩む。


(こんな人混みの中でも、ちゃんと俺の隣にいてくれてる)


「人混み、平気?」


 気になって、少しだけ聞いてみる。

 梓は一瞬きょとんとして


「ううん、ちょっとだけ緊張してる。でも」


 そう言って、俺の袖をちょん、とつまんだ。


 その仕草が、あまりにも自然で。

 まるで昔からそうしてきたみたいだった。


 なのに、俺の心は初めて触れられたみたいに、軽く跳ねた。


「伊吹くんがいるから、平気」


 その一言で、胸の奥がぎゅっと詰まった。


(ほんとにズルいよ、お前)


 俺の方こそ、全然平気じゃない。

 少しでも意識を逸らさないと、顔が爆発しそうだった。


 劇場の中は薄暗くて、どこか非現実的だった。


 まるで夢の続きに迷い込んだような空間。

 指定された席に腰を下ろすと、不意に。


「あ、ごめん」


 隣から小さな声。梓の指が、俺の指にかすかに触れていた。


「いや、俺の方こそ」


 慌てて返した言葉に、梓がそっと微笑み、指先を重ねてくる。

 思わず動けなくなる。そこから流れ込んでくる温度が、あまりに優しくて。


(こんなぬくもり、知らなかった)


「今日、伊吹君と来れてよかった。ありがとね」


 その声に振り向くことすらできず、ただ前を向いたまま頷いた。

 口を開けば、きっと声が震えてしまう。


 映画が始まった。


 スクリーンに映るのは、未来を変えようとする少年の物語。


 少年は何度も過去に戻り、大切な人を救おうとする。

 でも、どれだけ抗っても、世界は元に戻ろうとする。


 それはまるで、決められた運命に抗うほど、巻き戻されてしまうような、

 目に見えない修正力に引きずられていくようだった。


 でも、少年は諦めない。

 たったひとつの「もしも」の未来を、ただ信じて。


(どこか、似てる)


 思わずスクリーンから目を逸らし、梓の横顔を見る。


 綺麗だった。


 何度も見てきたはずなのに、今日は、まるで別人みたいで。

 まっすぐスクリーンを見つめるその目には、どこか影があった。


「未来ってさ、変えたら、ちゃんと幸せになれるのかな」


 ぽつりとこぼれたその呟きに、胸がざわついた。


「え?」


「なんでもないよ。映画、ちゃんと見よう」


 そう言って笑った梓。けれどその目には、うっすらと光が滲んでいた。


「あ、変なこと言っちゃったね。えへへ……」


 わざと明るく振る舞うその笑顔が、かえって苦しくなる。


(どうして、そんな顔、するんだよ)


 きっと、俺には見えていない何かを、梓は抱えてるんだ。


 俺はそんな彼女の隣にいることしかできなかった。


 上映が終わる頃には、外の光はだいぶ和らいでいた。

 劇場を出た瞬間、冷たい風が頬をかすめる。


「ちょっと、似てたね。あの映画」


「似てたって、どこが?」


「内緒。言ったら、バグっちゃうかも」


 そう言って笑う顔は冗談っぽくて、でも目の奥は、真剣だった。


(なにを見てるんだろう)


 彼女の「視線の先」が、自分と同じとは限らない。

 そんな気がして、少しだけ胸が痛んだ。


 けれど。


 ふと、声に出してみた。


「でも、指先が触れ合うなんて、ノートには、書いてなかったな」


 誰に聞かせるでもない独り言。


 それでも、胸の奥からじんわりとした熱が湧いてきた。


(今だけは、たしかに俺の現実なんだ)


 心臓はまだ、どこか落ち着かないまま。


 でも、きっとこの一瞬だけはまちがいじゃない。






最新話まで読んで戴きありがとうございました。


もし、結構面白い! 続きが気になる!


と思ってくださいましたら、

★評価とフォローをお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る