キープの君と、彼女たちの秘密

舞夢宜人

春編

第1章 新学期の始まりと壮介の「下僕」としての日常、そして凛の焦燥

第1話

 木漏れ日が鳥居の朱色を鮮やかに照らす。高校の通学路から少し逸れた場所にある、古びたが手入れの行き届いたその神社は、地元では縁結びの神様として知られていた。高校二年生の三月。春の訪れを感じさせる柔らかな風が、壮介の頬を優しく撫でる。彼は深く、そしてゆっくりと息を吐き出し、静かに目を閉じた。


「どうか、この恋が実りますように。そして、願わくば、凛との関係が今よりもっと進展しますように」


 神社の境内には、他には誰もいない。壮介は心の中でそう祈ると、もう一度深く頭を下げた。手の中にある五円玉の感触が、彼の切ない片思いの重みを伝えているようだった。白石凛。幼馴染であり、高校に入ってからは三年連続でクラス委員を共に務める、彼の想い人。周囲からはまるで恋人同士のように見られているが、それはあくまで凛が壮介を「下僕」扱いしているからに過ぎない。壮介自身は、彼女の隣にいられるだけで満足だったが、この関係がいつか、本当の恋に変わることを、心の底から願っていた。彼女に釣り合う男になる。それが、彼が密かに抱き続ける決意だった。


 四月。桜が舞い散る中、壮介は高校三年生に進級した。新しいクラスは、見慣れた顔ぶれが多く、すぐに賑やかな雰囲気に包まれた。そして、案の定というか、当然のように、彼は今年も白石凛と同じ三組、そして再びクラス委員を務めることになった。凛は変わらず、その凛とした美しさでクラスの中心にいる。彼女の周りには常に女子の輪ができ、華やかな笑い声が響いていた。


 昼休み。壮介は自席で持参した参考書を広げ、黙々と昼食をとっていた。彼の席のすぐ前には凛の席があり、その周囲にはいつものように、佐々木梓、高橋梨花、小林遥、山本結衣、伊藤楓といった友人たちが集まっていた。賑やかな彼女たちの会話は、壮介の耳にも自然と届いてくる。


「ねえ、聞いてよ。この間、彼氏とさー」

 梨花が楽しげに声を弾ませる。

「えー、またー? ラブラブだねー!」

 遥が羨ましそうに目を輝かせた。

「でさ、そろそろ、って話になったんだけど、なんか踏ん切りつかなくってさー」

 梨花の声のトーンが少し下がり、壮介は思わず耳を傾けた。

「あー、それわかるー!」

 結衣が大きく頷く。

「でも、高校生活もあと一年だもんね。何か、特別な思い出、作りたいよね」

 梓が知的な口調でそう言った。

「だよねー! やっぱ、初体験ってさ、高校のうちに済ませといた方がいいのかなー」

 遥がやや大胆な発言をすると、楓が「え、ちょっと遥!」と顔を赤らめる。


 壮介は、一瞬箸を止めた。初体験。彼にとってそれは、遠い未来の、そして何よりも凛と経験したいと願う特別な出来事だった。目の前の彼女たちは、そんな話題をまるで今日の献立を選ぶかのように、軽やかに話している。壮介は居心地の悪さを感じ、参考書に視線を落とした。この話題に自分が巻き込まれるのは勘弁してほしい。


 女子たちの会話は続く。

「でもさー、相手が問題だよね。やっぱりさ、ちゃんと優しい人がいいじゃん?」

「わかる! あと、何かあった時に、ちゃんと頼りになる人」

「うーん、でも、そういう人って、なかなかいないよねー」


 壮介は、彼女たちの言葉が妙に耳にこびりつくのを感じた。頼りになる人、か。自分は、凛に「下僕」として頼られているが、それは「頼りになる」とは少し違う。凛は、彼をまるで道具のように扱うが、壮介はそれでも、彼女の役に立てることが嬉しかった。しかし、今、友人たちが話している「頼りになる人」とは、もっと深く、精神的なものを含んでいるように聞こえた。


 彼はちらりと凛の方を見た。凛は普段と変わらない涼しい顔で、女子たちの会話に相槌を打っている。壮介には、彼女がこの話題にどう感じているのか、全く読み取れなかった。ただ、いつもより少しだけ、その瞳の奥に、何か複雑な光が宿っているような気がした。


 放課後。壮介はバレー部の練習に向かおうとしていた。その途中で、クラスの理系志望の女子たちが廊下で集まっているのが見えた。


「ねえ、結城くん!」

 高橋梨花が壮介を見つけると、明るい声で呼びかけた。

「ちょっとお願いがあるんだけど、今いいかな?」


 壮介は足を止めた。彼はまだ、自分に訪れるであろう「変化」の兆しを、微塵も感じ取っていなかった。

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