第5話 藍原さんと雫

 藍原さんの視線から逃げて、横開きの扉をガラガラと開けから入ると息をつく。


 なんの異常もないはずなのに全力疾走の後みたいに心臓が高鳴っていた。

 ほんと手触られて恥ずかしがるとか痛すぎる。


 いや違う、違うから。


 あのきれいすぎる顔がいけないんだ。あの美少女に手を握られたら誰だっておかしくなる。……たとえ同性であっても。

 そうだそういうことにしておこう。そうじゃないと何かがおかしくなる気がする。


 謎の言い訳をしながら深呼吸をして高鳴る胸を収める。


 収めてからよろよろと近くの冷凍庫からパピコを探し出す。


 小学生の時に記憶していたラインナップだったから今でもまだあるのかと心配していたけれど、覗いた中身はほとんど変わらなかった。


 それから駄菓子屋のおばあちゃんと会計の合間に少しだけ会話して(私の顔を覚えていたのには驚いた)友達を待たせているからと断ってから藍原さんのところに戻る。


 戻って藍原さんの目にまだ『なんで』と書かれていたらと心配したけれど、もう書かれていなさそうなのを見て胸をなでおろす。


「わぁーパピコだぁ……。私パピコって食べるの初めてなんです。CMで見てたべたいなぁーって思っていたんですけど食べる機会がなくて」


「えっ、初めてってマジで?」


「はいっ、マジです。……そういえば思い出したんですけどアイスも食べるの久々だぁ」


「えっ」


 パピコの外袋をはがしながら、初めてもまぁあるかと考えていたらそんな衝撃発言。やっぱり藍原さんってお嬢様なのかも。

 だとすれば毎日ケーキとかマカロンとかがおやつにでてくるのだろうか。


 パピコを二つに分けてから、お嬢様な藍原さんと分けるものがパピコでよかったのかと若干の不安がわいて出てくる。

 ラムネが好きな時点で全然そんなこと不安に思う必要はなさそうだけど。変な想像したせいかも。


 少しの不安を抱えたまま藍原さんがパピコを口にする様子をながめていると。


「わぁあ、やっぱりおいしいですねパピコ。へぇー、こんな味なんだぁ」


 言葉だけじゃなくて表情にも行動にも気持ちがあふれ出ていた。


「そんなに喜んでくれたなら私としてもうれしいよ」


「はいっ! あっ、いえ。あの、私のラムネもたくさん飲んでいいですからね」


「たくさん飲むとなくなるから少しだけね」


 嬉しそうに声を上ずらせる藍原さんを微笑ましく思いながら自分のパピコに口を付ける。


 杞憂も杞憂だった。

 なんでも素直に喜ぶ藍原さんに限って舌が肥えててーとかの心配は無意味だった。

 結局は先週の別れ際に聞いた、お母様っていう言葉に引っ張られていただけかも。


 でもすると逆にお母様という言葉が異質さを増す。

 やっぱりお嬢様なのかなとか考えたりして。


 考え始めるともっと気になって聞かないわけには行かなかった。


「藍原さんって実はお嬢様だったりする?」


「ふぅえぇ~そうみえますかぁ?」


 藍原さんは両ほほに手を当てると照れたように体をくねらせる。

 ほんと可愛いな……いや、じゃなくて。


「あの、お世辞とかじゃなくて……」


 藍原さんはまだ理解できないという風にきょとんとするので、先週のお母様と呼んでいた件について言及する。

 そこでどうやら合点がいったようだった。


 けれどそれから納得気な表情から一転、苦い顔へと変えていく。


「あー……それはですね、口が滑ったと言いますか」


 うーん、口が滑って母親のことをお母様と呼ぶ……とりあえず私の周りにそういう子はいない。世界中を探せばいそうではあるけれど……。

 さすがに言い訳としてはムリがある。


 そんな疑惑の感情が顔に出ていたか、藍原さんは私を見て気まずそうな表情をしていた。


「やっぱり無理がありますよね……あ、あの、でもでも、ほんとに口が滑っただけなんです。家で呼んでいる呼び方が出てしまっただけで……。あぅ、恥ずかしいです」


「あー、そういうことね」


 家でお母様って呼んでいる以外はなるほど、納得できる。

 私も家でママと言っているのを何かの間違えで友人に聞かれでもすれば死にたくなる。そういうことだ、多分。


「ならやっぱりお金持ちなんじゃ?」


「えーっと、はい。両親はたくさんお金を稼いでいるとは聞いています」


「ん?」


「うん?」


 一瞬私と藍原さんの時間が止まる。


 それってお嬢様なんじゃ、という言葉がのどまで出かかってハッとした。


「あっ、ごめん。確かにお嬢様って言葉定義があいまいだったかも。私の中でお金持ちって意味だったから」


「いえ、こちらこそすみません。そういうことだったんですね。私の中でのお嬢様って貴族や王族のイメージだったので。私、てっきりそういう方のことを言われているものかと……」


 実に藍原さんらしいと思った。ちょっとメルヘンチックというか。

 んでも確かに、お嬢様と言われればそちらをイメージする人もいるだろう。


「でも意外かも。藍原さんってすごく素直な感情見せてくれるから。失礼かもだけどお金持ちの子ってちょっと高慢そうなイメージっていうか、藍原さんには似合わないなって」


「それは……そう思われても仕方がないかもしれませんね。少し違いますけど私が生徒会長だというと少しだけ距離を取る方もいますから」


 遠くを見るような目で語る藍原さんからは、実際にそういうことをされてきたんだろうといことがうかがえた。

 私も実際それをしてしまっていた立場だったし、私以外の人たちもそうなのだろう。


 自分とは違う人のことは何かと遠ざけたり嫌だと思ってしまうから。


「あ、あのっ、私いいなって思うんです。私友達がいないのでさっきみたいな意見の違いによる喧嘩? は今回の場合は正確ではないかもですけど。親しい人同士で違いを楽しむっていう経験に憧れていたのですごく楽しいです」


「ならこの勘違いもよかったのかもね」


「そうかもです」


 違いを楽しむ。私にはない考え方だった。


 普通友達って好きなものが同じ同士で集まって、同じものをコンテンツを共有して、同じ情報に触れて。わかると共感して。

 同じでないと安心できない、友達でいられないものだと思っていたから。


 でもそういう安心とは遠くても違いを楽しむのっていいなとは思う。


 藍原さんと居ると知らない価値観や考え方を知れて楽しいし。私の知らない面を見つけると彼女の魅力がもっと増したように思える。

 藍原さんの言う違いを楽しむってそういうところなのかも。


「恥ずかしながら私、友達がいないので加藤さんと居ると楽しいんです」


 普通友達とか近しい人でも改まって出ないと言わないことを、藍原さんはまっすぐに私に届けてくれる。


 だから多分、今から言葉を伝える私は私じゃない。


 藍原さんが私をきっと狂わせた。

 親しみやすい笑顔とか、普段の凛とした表情のギャップだとか。


 普段の私を縛るこれ以上先に進まないという線を軽々と超えさせる。


「じゃ、じゃあさ。私たち友達にならない? ほ、ほら、毎週水曜日? ここでだべるぐらいでもいいからさ、友達になりたいなって……」


 恥ずかしさを押し込んで提案すると、藍原さんはワクワクした表情で顔をほころばせる。


「もう私たち友達じゃないんですか……?」


 言ってからクスッと笑う。


「うわぁ~、今すごく顔が熱いです。私一度言ってみたかったんですよね、こんなキザなセリフ。すごくドキドキしちゃいます」


 熱くなった顔を冷やすようにパタパタと手で風邪を送る。


 それからじっと私の顔を見た藍原さんは私の手に腕を伸ばして、つかんだ両手を胸のあたりまで持ち上げる。


「それじゃあお友達として今後ともよろしくお願いしますね。えっと……美咲さん」


 そのしぐさとポーズではまるで、告白をして付き合うカップルのようだった。

 普通友達って友達になろうと言ってなる物ではないし、それが特別感をより際立たせていた。


 クリっとした瞳が私を、私だけをじっと見つめて、何かを求めるように訴える。

 何を求めているかは分かっていたけれど、恥ずかしさに押しつぶされた私は思わず。


「うん、しず——藍原さん……」


 日和った。完全に日和った。

 自分から見ても今のはさすがにない。


 それを藍原さんが許すはずもなく、むすーっとした顔で見てくる。


「あーっ、かとうさ、美咲さんだけずるいですよ。名前呼びしてくださいっ」


「いや、だってなんかはずいっていうか。今まで半年間藍原さん呼びだったし」


「恥ずかしくありませんよ。今こそ心機一転今日から私は雫です」


「えぇ、やっぱり恥ずかしいし……」


 藍原さん。雫さん。雫ちゃん。


 やっぱり似つかわしくないと思えてしまう。


 私の藍原さんのイメージは今までの完璧で生徒会長で、きれいでかわいくて。遠くで眺めてふと目が吸い寄せられる子……。

 今更それを変えるなんて。


 ……いや、でもそれなら藍原さんはもう私の中にはいないのかも。


 今の藍原さんは天然で無邪気で距離が近くてまっすぐで。

 ラムネが好きで。


 それが今の私の中での藍原雫だから。


 藍原さんじゃなくて。


「……雫。ならさ、雫って呼び捨てなら」


 遠慮がちに言うと藍原さんは花が咲くみたいにぱぁーっと笑顔を見せてから。


「はいっ、全っ然かまいません。いえ、むしろそっちの方がうれしいですっ」


 私の欲しい言葉をくれた。


 ほしいと思いながらきっと藍原さんはそう言ってくれるだろうなと想像していたその言葉を。



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