第4話 幸せそうな顔
なんとなく。
そう、なんとなくだった。
先週藍原さんが言っていた母親に対してのお母様という呼び方。それがどうしても気になって。
今度会った時にって言われてしまったから私はそれを聞きに行く必要があった。
はぁ……分かってる。違うってことは知ってる。
そんなの建前と言い訳。
本当のところは藍原さんのことを自然と考えていて、それが理由。
なんとなく期待して、また話したいな、とか考えてみて。
聞きに行くのだって彼女のことをもっと知りたいからで……。
なんだこれ、恥ずかしすぎるだろ。
知りたいとか、なんか子供っぽい。友達でもないのに。
「ほんと何やってんだろ」
ぼやいてみても、どのみちいつもの通学路からそれる道はもう遥か後ろの方で、今更我に返ったところで戻る気にもなれなかった。
というより戻りたくはないのかも。先に進みたいとすら。
水曜日の茜色が広がる空。先週と同じ曜日同じ時間。
柄にもなく面倒なことに足を突っ込んでいる自覚をして、嘆息しながらあの駄菓子屋を目指していく。
居た。
先週と同じようにラムネ瓶を片手にあの竹の椅子に座っていた。
前回は藍原さんだと知らなかったから飲むときの姿をしっかり見たことはなかった。
今改めて見るとラムネを飲む彼女はこっちまでほほを緩めてしまいそうになるほど幸せそうな表情で飲んでいた。
ラムネをあれほど幸せそうに飲む人が世界にどれほどいるだろうか。
少なくとも私は藍原さん以外に知らない。
しかしそう考えると先週飲んでしまったラムネが、今になって後悔の味をにじませて来る。
あんな幸せそうに飲む飲み物を私は空気を読んでという理由で一口飲んでしまった。藍原さんの幸せを取ってしまったんじゃないかって。
いやほんと私には全く関係ない話なんだけど。
大体ラムネをくれたのは藍原さんの方からだし。藍原さんはまだ他人みたいなものだしそこまでのぎりは——
「あっ、加藤さん」
言い訳したり自問したりしていたところに藍原さんが私を見つけて声をかけてくる。
てかこの状況まずくないか? 柱の陰に隠れて、私、ストーカーしてたみたいだ。ちょっと前から少し離れてどうするべきかとうなっていたし、変な目で見られかねない。
「また会いましたね」
「うん、また」
また会った、と言うより会いに来たといったほうが正しいけれど、と心の中で自嘲する。
「お隣どうぞ」
「ありがとう」
ストーカーじみた行為の言い訳する前に、藍原さんはどうぞと隣を勧める。
どうやらストーカーだとは思われていないみたいだった。
この間と同じように開けてくれたスペースに座る。
座ってみて、やっぱりなんだかおさまりがいいなって。
「はいっ、ラムネどうですか?」
「いやいいよ。今日はラムネの気分じゃないから」
「そうですか……で、でも飲みませんか? おいしいですよ?」
「う、うん知ってるけど……」
藍原さんの飲んでほしいみたいないい方に困惑する。
あんな幸せそうに飲んでいたのになぜ? あれは演技だとは到底思えない。
となるとどんな思惑が? どんな理由であれ私は藍原さんからその幸せを奪う気にはなれないんだけど。
……ていうか先週は流されるがままで気にしなかったけど、これ間接キスだし。
いや別に同性だし私は全然いいんだけど、ほんと全然。
けど藍原さんは、とか考えてみたりするわけで。藍原さんってなんかお嬢様みたいだし。
「ほら、これだと間接キスだし藍原さんはそういうの気にしないの?」
「えっ? ——あっ、間接キス……そういえばそうでしたね」
藍原さんの頭にはそいうことはなかったようで少し驚いてから、苦笑する。
反応から察するに藍原さんはそういうのを気にしない人のようだ。まあ先週ので分かっていたことではあるんだけど。
天然とひとくくりにもできるし。もっと言えば少し距離が近くて抜けている。
「やっぱり嫌ですよね人が口付けたやつ」
「やっ、違くて。理由は別にあるっていうか」
「そうなんですか?」
「ほ、ほらさっきラムネをすっごい幸せそうに飲んでたから」
口ごもりながら藍原さんの手元にあるラムネを指さす。
「ラムネ好きみたいだからそれを奪うのはなんか申し訳ないなって……」
これを言ったら私がさっき声もかけずにかげて見てたことがばれるわけで、ストーカー容疑をかけられに行ってるのと同義なんだけど。んでも嘘言ったらややこしくなりそうだし。
それに裏表のなさそうな藍原さんに嘘をつくのはなんかちょっと嫌だ。心に傷を負う、とまでは言わないけど、胸の奥にわだかまる感じ。
きっと嘘をついてしまったら寝る前の布団の中で先一か月の間は毎夜悩む。それぐらいは残る気がする。
先週の蚊の件で嘘ついてしまったのだって少しもやったぐらいだし。
だから伝えたんだけど……ストーカー扱いされたらそれはそれでお布団に
けれど私の心配をよそに、藍原さんは納得したような表情をしてから考えるようなしぐさをする。
「んー、そうですね……加藤さんの言う通り、私は多分ラムネが結構好きです。でも二人で飲んだ方が幸せだと思いませんか? 独り占めするより二人で分け合ったほうがおいしく感じると思うんですよ」
漫画とかアニメでしか聞いたことないセリフだった。
分けたら幸せ。
友達同士で少し分け合うみたいなのはするけれど、それって結局相手のが欲しくて自分のも渡すみたいな、どっちにもメリットがあるからみんなそうするわけで。
私にはあんまり理解できないものだった、けど。
「なんかいいね、それ」
「ですよねっ」
ほころぶような笑顔を向けてくる。
そういう考え方って藍原さんの内面を表しているようで私は好きだ。
今までの印象とは違う幼い考えだけど優しい考え方。
普通の人が使ったのなら、つついたらすぐに崩れてしまいそうだけど、藍原さんならしっかりと根を張って簡単には壊れなさそう。そう感じさせられた。
ふと藍原さんに触発されてアイディアが思い浮かぶ。
「じゃあさ私もラムネもらう代わりにパピコ買ってくるから一緒に分けようよ」
「えっ、申し訳ないですよ」
「いいよいいよ。もらいっぱなしっていうのはあれだし。その代わりラムネ半分もらう、か、ら……」
言ってから気が付いたけど私ちょっと痛いことしてる? 友達でもない相手と兄弟とか姉妹みたいにラムネとアイス分け合うとか。
友達でも嫌がる人は嫌がるだろうし。
あぁ、もう、柄にもないこと言って。藍原さんに影響されでもしたのか、はずいんだけど。
「い、嫌だったら全然いいんだけど……ていうかありえないよね、ごめん友達でもないの——」
「そ、そんな嫌じゃないです! むしろすごくいいなって思います」
私が予防線のようにまくし立てていると藍原さんの手が私のものに伸びてくる。両の手で優しく包むとぎゅっと。
一緒に肯定を体で表現するように身を乗り出す。
突然のことに呆けてしまった私は空気を何度か
「あ、えと……」
「あっ、すみません。馴れ馴れしかったですよね……」
「いや、それは別にいいんだけど」
「ん?」
慌てて手を放した藍原さんに応えて止めると藍原さんからの疑問の視線が刺さる。
……良い、別に良い。手を握るぐらい。
同性だし、ていうか友達とかと普通に握るし。だから別に特別なことではないはずで。まして馴れ馴れしいとかでは絶対になくて。
けどなんだか胸のあたりが押されたように感じる。
それに心臓も少し早くなったような。
……どうも私は美少女に手を握られてドキドキしてしまったらしい。いや乙女かよ。
「わ、私パピコ買ってくるから」
藍原さんの『なんで』と書かれた目から逃げるために、今しがた自分が提案して藍原さんにも快く受け入れられたことを口実に使う。
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