第13話 見えない進路
遠くから、集合住宅の植え込みにいるであろう虫の声が聞こえてくる。
「東京にも、大学はありますよね。関西の大学を選んだ理由って、なにか――」
顔を上げて、あっ、私はまた、余計なことをしてしまった、と悟った。
防犯灯に照らされた清水先生の顔は、確かに、なにか痛みをこらえるような顔をしていた。
私が言葉を紡げないでいると、清水先生はにっこりと笑う。
さっきの表情なんて、まるでなかったことみたいに。
「志望校に落ちて仕方なくこっちに来た、とかじゃないよ。だから気にしないで」
虫の声が響く。
家々に明かりはついているけれど、生活音の類は聞こえない。
「祖母の家がこっちにあって通いやすいし」
微妙に答えになっていない回答だと思った。清水先生は東京で生まれ育ったと聞いている。それなら実家は東京都内のはずだ。関東の大学事情はあまり詳しくないけれど、少なくとも関西よりは大学の数は多いはず。
偏差値・学部学科・距離感。譲れない条件があったとしても、自宅通学できる選択肢がゼロなんてことはないだろう。
絶対に関西、『かくかくしかじか』でなければいけない。そんな唯一無二の理由。
福井の恐竜学部ならともかく、ちょっと私には思いつかない。
けれど清水先生は堂々と、ひょうひょうとしていて、それ以上の詮索は、なんであろうと答えないと、遠回しに示している。
なんとなく、規制線がはられている、と感じた。
「……そうだったんですね」
無理やり会話を成立させる。軌道修正ができたかは分からないけれど、きっと黙っているよりはましだった。
「引き留めちゃってすみません、今日は、ありがとうございました」
私はぺこりと頭を下げると、清水先生の空気がやわらかくなった。
「うん、気を付けて帰ってね」
私はスタンドを跳ね上げ、自転車にまたがり、ペダルを漕ぐ。清水先生がノボリに帰った様子はなかった。
背中にささやかな視線を感じる。振り返りはしなかったけれど、その場にたたずんで、私を見送ってくれているように思えた。
六月になった。
カレンダーが平日でも土日でも、私のやることは変わらない。
塾のない日は家にこもって、ひたすら映像授業を受ける。塾の課題、学校のワーク。それらをこなして、頼まれた日には母が朝まわした洗濯物を干して、どうしてもしんどいときはベッドで寝る。
少なくとも平日は、朝起きる時間と寝る時間は通学していたときと同じようにしている。
生活リズムが崩れないように、当たり前のことを当たり前のようにするだけだと、自分を律している。
だからその日は突然だった。
二階にある自分の部屋で勉強をしていると、インターフォンが鳴った。
家にいると、思ったよりも訪問者が多いことを知った。
母からは、ドアホンで相手を確認してからなら居留守をつかっていいと言われている。よくわからない勧誘なら出なくていいが、荷物の配達等であれば受け取る、という具合に。
下に降りて台所横に設置しているドアホンの画面を確認しに行くと、見覚えのある顔が映っていた。
待宵東文理コース、一年一組担任の羽生先生だ。
……家に来るなんて聞いてない。
居留守を使ってしまおうか。
なんとなしにリビングの方を見て、言葉を失った。
一階のダイニングは、引き戸を開けるとリビング兼父のPCスペースと繋がっている。父が部屋にこもって一人でパソコンをいじっている時以外は、出入りしやすいように引き戸をあけ放つことにしている。
リビングには前庭に出られる大きな窓があり、夜間はカーテンと雨戸を閉め、日中は雨戸をあけてレースのカーテンのみ閉めている。
平日の日中、引き戸は開け放たれていた。それだけならまだよかった。レースのカーテンの閉められ方が不十分で、隙間から訪問者と目があってしまった。
羽生先生も、こちらに気付いた。
これで居留守は使えない。
私は観念して、通話ボタンを押した。
『羽生先生、森川です』
『羽生です。……ちょっと話せない?玄関先でいいから』
『わかりました』
私は通話ボタンを切り、玄関へと足を運んだ。
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