第12話 頑張れる理由

 塾の時間が終わり、私は自転車に鍵を差し込む。かごにカバンを入れて前輪のライトをつけたあと、スタンドを跳ね上げる。

 電柱にとりつけられた、白い光の防犯灯。

 きっと通行人がいれば、浮かない顔をした私が見えるに違いない。

 忘れないうちに、スマホを取り出し、今から帰るねのスタンプを送る。

 スマホをポケットにしまいこみ、サドルにまたがって、自転車を発進させた。

 母の手書きの文字がフラッシュバックする。

 家に帰る足取りが重い。ライトが消えてしまわない程度にゆっくりとペダルを漕ぐ。

 学校にも、家にも。居場所がなければ、一体どこにいけばいいというのだろう。

 近くにトー横のようなたまり場があるわけじゃない。あったとして、そこにいく度胸もない。

 だから私は、家に帰る。寄り道もせず、決められた場所から場所へただ往復をする。

 なにかが変わってほしいと思いながらも、なにも変えられないまま、いつもの日常をたどる。

「森川さん!」

 ついに幻聴まで聞こえるようになったのか。ストレスだろうか。自分にやれやれという感情しかわかない。

 都合のいい妄想を振り払うように、ペダルを踏みこむ。

 シャーっという音とともに、黒い自転車がにゅっと並走してくる。

「森川さん!」

「う、わあ!」

 反射で片方のブレーキレバーだけ、強く握ってしまう。

 中学のときの担任の先生が言っていたことが走馬灯のように流れていった。

 ――高校に入って自転車通学をするなら、必ず両方のブレーキをかけなあかんよ。

 そのあとのセリフが流れてこない。無音で先生がしゃべっている映像だけ脳裏によぎる。

 前輪だけブレーキがかかるんだっけ、後輪だけブレーキがかかるんだっけ。

 とにかく転倒の原因になるということだけ、うっすらと思い出した。

 ガシャン!

 自転車がバランスを崩し、倒れた。

 少し離れて急ブレーキがかかり、追い越す形になった自転車が止まる。

「大丈夫!?」

 倒れた自転車のタイヤがからからまわっている。

 私が立ち上がると、駆け寄ってきた人が倒れたままの自転車を起こしてスタンドでしっかりと固定してくれた。飛び出たカバンも一緒にかごへ入れてくれる。

「びっくりさせちゃってごめんね」

 間違いない。十字路に立っている防犯灯に照らされていたのは、清水先生だった。

「……どうして」

「忘れ物を届けに」

 ちょっと待ってて、と言いおいて、清水先生は自分の自転車まで戻っていく。

 戻って来た時にきなり色のエコバックを手にしていた。

「ノート、僕が持ってたままだったから」

 中を確認すると、確かに私のノートが入っていた。

 あまり楽しくはない話をしたからか、ノートの返却をお互いに忘れていたらしい。

「ありがとう、ございます」

 ノートを受け取り、エコバックは返す。

 清水先生はエコバックを丁寧に折りたたんだ。

 私はカバンにノートを入れながら、ふと疑問を口にする。

「でも、よく行き違いになりませんでしたね」

 ノボリから私の自宅まで自転車で帰るには、いくつかルートが存在する。

 そしてこの道は、スマホの地図アプリが推奨するルートとは違う。

 ああ、と清水先生はこともなげに言う。

「一番明るい道を通ると思ったから」

 私は納得した。

 この道を少し行くと、24時まで営業している大手スーパーがある。私はいつも、そこの角を曲がって帰っていた。

 ノボリは大きな道路からそれた住宅街ど真ん中にある。個人経営の店舗がちらほらあるが、帰る時間には軒並み閉まっている。防犯灯はあるといえど、大規模マンションもないので、夜は最低限の明かりだけの道が多い。

 スーパーまで自転車を走らせると、自宅がある夕凪までは、大部分は国道沿いの歩道を通る。車通りも多く、ところどころ遅くまで開いているチェーン店がある。

 帰り道のルートはなんにも話していないのに、頭がいい人だな、と思った。

「それじゃあ、気を付けて帰って――」

「あの」

 なぜだか呼び止めてしまっていた。

 清水先生は怪訝な顔をしながらも、足を止めてくれる。

「どうしたの?」

 頭をフル回転させる。考えろ、考えろ。どうして私は呼び止めた。

「――聞きたいことが、あって」

「聞きたいこと?」

 なんの考えもなしに引き留めてしまったことを悟られたくなくて、私は自分のスニーカーを見る。

「――どうして、東京から関西こっちに来たんですか?」

 十字路はしんとしていた。

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