第23話 シエルの確信と、匿名の影

国営放送で生中継された記者会見の映像は、世界の裏側で静かに、だが確実に波紋を広げていた。アキト・シンジョウの虚像が崩れ去り、その裏に隠された真実が白日の下に晒された瞬間は、多くの人々に衝撃を与えた。しかし、その背後で一体何が起こったのか、その真の「介入者」が誰なのかを理解する者は、ごく限られていた。


シエルは、屋敷の執務室にある巨大なディスプレイで、その衝撃的な記者会見の一部始終を冷静に見つめていた。彼の瞳は、シンジョウの顔色、会場のざわめき、そして画面下に流れる速報テロップの全てを捉え、瞬時に解析していく。シンジョウが放った「曖昧な言葉」が、完璧な「本音の意訳」によって完全に無力化された事実を目の当たりにし、シエルの完璧なロジックの中に、決定的な「確信」が生まれた。


(お嬢様の成したことは、まさに人智を超えた領域だ。これは、彼女がニューラリンクの「成功」として到達した境地……)


シエルの脳内では、これまで漠然と感じていたお嬢様の「規格外の才能」が、ニューラリンクの「成功作」としての彼女自身の存在と、それによって可能となる圧倒的な技術的介入であるという確信へと、静かに、しかし確実に「変化」していく。フルーツウォーターの微細な温度差、オムレツの完璧な食感、瞬きすら無駄と断じる思考、そして転売市場の壊滅、アビスの再分配、そしてシンジョウの失墜。それら「点」としか見えなかった全ての事象が、今、お嬢様の「無駄の排除」という哲学へと繋がる、巨大な「線」としてシエルの脳内で結びついた。


彼の演算モジュールは、セレーナが使用した「本音の意訳」の技術を解析しようと試みる。それは、単なる声の合成や情報操作ではない。相手の思考ロジックを逆算し、その深層心理に隠された真意を、本人の言葉で再構築する、彼の理解を超える領域の技術だった。シエルは確信した。この「現象」は、単なる個人能力ではない。お嬢様の思想を具現化する、人類には未知の「構造」が働いているのだと。


セレーナが完璧に匿名化し、政府機関と信頼できる大手メディアに証拠をリークしたため、外界では誰もその存在を特定できない。世界は、ただ「アビスとシンジョウという巨悪が、謎の力によって一掃された」という結果だけを知っている。それは、セレーナの「働いたら負け」という哲学の、究極の体現でもあった。


その頃、セレーナは、豪華なベッドの上で、満足げに微笑んでいた。彼女の顔には、最高の効率で「面倒事」を排除し終えた後の、深い安堵が浮かんでいる。ヘッドフォンからは、彼女が夢中になっているゲームの軽快なサウンドが流れているが、その音量も、彼女の快適さを阻害しないよう、完璧に調整されている。


「あー、やっとこれでまた思う存分、働かない生活に戻れるわね。あの意味のない言葉を聞かずに済むのは何よりだわ。私の耳には心地よい静寂が戻ってきたわ。無駄なノイズが消え去って、私の快適度は最高潮よ」


セレーナは、心底からの喜びを込めて呟いた。彼女にとっての「平和」とは、世界がどうなろうと、自身の怠惰な日常が揺るがされないこと。シンジョウという「無駄」が消え去ったことで、彼女の城塞は再び、絶対的な安寧の領域となったのだ。


窓の外では、今日もまた、大都市の喧騒が遠く響いている。排気ガスの匂いや、街頭のスピーカーから流れる群衆の歓声が、セレーナの部屋にも微かに届く。しかし、彼女はページをめくる手すら止めなかった。電光掲示板には、市民生活における「義務労働率は6.9%のまま、変化なし」というニュースが、何事もなかったかのように表示され続けていた。セレーナの城塞の外の世界では、彼女の「怠惰」とは対極にある、別の種類の「効率」が日々追求されていることを暗示するかのように。しかし、その「効率」を巡る静かなる戦いは、セレーナの介入によって、決定的な局面を迎え、世界は、見えない変革の波に飲まれ始めていた。


シエルは、お嬢様の平穏な「怠惰」を守るため、そして自身の内に生じたこの「疑問」の答えを探るため、音もなく次の準備を進めていくのだった。彼の完璧な執事としてのシステムは、すでに次の「無駄の排除」へと、静かに、そして容赦なく動き始めていた。そこには、彼自身の「問い」が残されたままだった。彼は、お嬢様がニューラリンクの「成功」として世界をどのように変えていくのかを、その目で観測し続ける覚悟を決めていた。

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