第7話 鮮血

 翌朝、藤原家の使者が邸宅を訪れた。

 表向きは秋房の護衛任務に私が同行し、「古の封印地」へ案内する手はずだったが、柚姫の安全確保を名目とした陰陽師たちの車列は、まるで檻の目を一つ一つ確かめるかのように、私を値踏みする視線に満ちていた。


「芦原斗真殿、ご案内をよろしくお願いいたします」


 使者が恭しく頭を下げる。その慇懃な態度に、私はただ静かに頷き返した。

 感情を読み取らせぬよう、心の内側で冷ややかな計算を巡らせながら、秋房が待つ車列へと足を進める。


 玄関では、九歳の昴が落ち着きを湛えた瞳で見送っていた。その柔らかな微笑みに、


「おにいさま、父上、どうかご無事で。昴、お留守を守っております」


 と、健気な声が続く。私は努めて明るく、


「昴、よい子だ。父上が帰ったら、一緒に術の稽古をしましょう」


 と応じた。


「はい、おにいさま! その約束、楽しみにしております!」


 昴は一礼し、小さな手を軽く振る。その大人びた仕草の奥に、まだ微かな子供らしさが滲む。その純粋な瞳が、私の胸を締め付けた。だが、今は感傷に浸る時ではない。この先に待ち受ける偽りの舞台に、全神経を集中させねばならない。


「よう、斗真。元気だったか。久々に会えてうれしいぜ。あー、仕事じゃなかったらお母さんや昴にも会えたのになー、ちくしょう」


 秋房の屈託のない声が、わずかながら私の緊張を解く。


「会いたがっていましたよ。休日がもらえたら是非ともあってあげてください。団欒しましょう」


 私がそう促すと、秋房は豪快に笑った。


「だな」


 その言葉に、彼なりの決意が滲む。私もまた、この茶番を成功させるため、改めて気を引き締めた。



 ◇

 神社に到着すると、柚姫が車から降り立つ。十二単を簡略化した装束が風に揺れるたび、周囲の陰陽師たちの警戒が露骨に強まる。秋房が私の肩を軽く叩いた。


「お前、気負うなよ」


 彼の気遣いに、私は静かに父を案じた。


「父上こそ、油断なさいませぬよう。九重、父上を頼む」


 九重は傍らで狐耳をぴくっと動かし、主の言葉に力強く頷く。さて……。いよいよ、この芝居の幕が上がる。秋房が私を促し、柚姫の元へと歩みを進める。私もまた、父にならい、恭しく膝をついた。


「お初にお目にかかります、一等調伏官芦原秋房の長男、芦原斗真でございます。藤原の姫君に置かれましては、ご機嫌うるわしゅう」


 私は型通りの礼を尽くす。


「貴方が秋房殿の御子息、斗真様ですね。なんとも大人びた、礼儀正しい立派な方ですこと」


 柚姫が扇を開いて笑う。その仕草と共に、名の通りの柚の香が周囲に漂い、私の鼻腔をくすぐった。

 それは単なる芳香ではない。微かに霊力を帯びたその香りは、相手の心を揺さぶる魅了の術か。彼女の隙のなさを見定める。


「私など、多少霊と話が出来るのが取り柄の子供でございます。父上の助けにはなれど、力にはなれぬ若輩者」


 謙遜の言葉を口にする。柚姫は優雅に微笑んだ。


「まあ、御謙遜を。秋房殿がここまで強くなれたのは息子のおかげだと、いつも」

「父は……親馬鹿ですから」


 私は苦笑を漏らす。それは偽りのない事実だ。彼の強さは、確かに私という存在によって引き出されたもの。しかし秋房の普段の言動は、それとは関係ない気がする。


「ですが、九重殿を秋房殿のもとに引き合わせたのは、斗真様のご手腕とか。その手腕、ぜひとも見とうございます」


 柚姫の微笑みは、探るような色を帯びる。ああ、やはりそれが本命か。私の真の力を測ろうとしている。


「御随意に」


 私は迷いなく頷いた。


「封印地は境内の奥にございます。ご一同、参りましょう」


 私が先導し、苔むした石段を上る。足元からは、昨日埋めたばかりの符が放つ、古めかしい霊気がかすかに漂っていた。背後からは柚姫の視線が刺すように感じられる。


「して、斗真様。この場所をいかにして知ったのです?」


 探るような問いに、私は用意した言葉を返す。


「古の霊から教わりました。詳細は……秘してございます。その霊との約束ですので」

 柚姫の目が細まるが、それ以上は踏み込ませない。秋房がすかさず割って入る。

「姫様、さあ、早く参りましょう。俺の式神も待っておりますゆえ」


 私たちは目的の社殿跡に到着する。私が符を埋めた場所を指し示す。


「ここにございます。掘り返してください」

「わかりました」


 陰陽師が土を掘っていくと、すぐに古びた符が姿を現した。途端に、そこから漏れ出す霊気に、周囲にざわめきが広がった。


「本物の古封印符……!」

「ここに、強大な式神が封印……」

「この符の文様……賀茂……いや、安倍……土御門か?」

「紙の質からして数百……いや千年はたっているな。よくぞこんな形を保って……」


 陰陽師たちの興奮と驚嘆が混じり合ったざわめきが満ちる。彼らはそれが本物の古い呪符だと信じている。昨日作り立ての千年物だがな。内心で冷笑を浮かべながら、私は確信した。

 よし、看破はされていない。この芝居は完璧だ。


「では式神契約の儀式を」


 柚姫が促す。私は符を拾い上げる。その手触りは、古の霊力を帯びたかのように重い。


「契約者の指定はありません。どなたでも可能と思われます」


 そして柚姫は一人の陰陽師の名を呼んだ。その陰陽師の名は――。


「藤原家が分家、藤峰白水ふじみねしろうずに命じます。この式神と契約を結びなさい」

「はっ!」


 陰陽師が一歩前に出る。藤峰白水。まだ若い。秋房よりも若いだろう、二十代になったばかりという感じか。その身に纏う霊力は決して弱くはないが、いまだ荒削りで、経験不足は否めぬであろう。その実力もまた然りだ。私の計算通りだ。


「式神解放の儀式にございます。我ら陰陽師も協


 陰陽師たちが白水の周囲に陣を組む。複数人で強化した結界の中へ符が丁寧に置かれた。準備は整った。儀式が始まる。白水を主体とした陰陽師たちが陣を張り、古の呪文を唱える。その声は、重厚な響きを伴って空間に満ちる。


「「天皇皇霊、地皇霊神、陰陽調和、五行帰一。吾が魂魄、汝が真名を縛す。霊気結び、契約成る。従え、仕えよ、永劫の鎖に。太乙玄門、開きて応ぜよ――急々如律令!」」


 符が眩い光を放ち、そして――黒骸が解き放たれた。


「おお……!」


 陰陽師たちの感嘆が漏れる。これでよい。ここまでは私の思惑通り、順調に進んでいる。あとは白水が黒骸と契約を果たせばよい。


「我に従え、汝の真名は――黒骸なり!」


 白水が叫ぶ。符に刻まれた名はこの式神の真名。それを唱えたものは、式神の魂を掌握できる。

 後は単純な霊力の綱引きだ。雑霊を集めて作った急ごしらえの式神だ、藤原家が抱える一人前の陰陽師であるなら、容易に支配できよう。

 そしてそれをもって、私に対する、芦屋道満の転生では無いかと言う疑念は晴れるはずだ。

 他にも式神を知らないかと迫られるやもしれぬが、それはその時に対処すればよい。これでようやく――長年の重荷が、肩から降りる。


 その時だった。


「グォオオオオオオ!」


 獣じみた咆哮が響き渡る。

 鋼の体毛、六本の巨腕、鋭い牙を剥き出しにした黒骸の霊気が、突如として制御を振り切り、際限なく膨れ上がった。


「うわああっ!」


 巨腕が無造作に白水を薙ぎ払い、木造の社殿が轟音と共に崩れ去る。

 ――まさか、失敗したのか? あの程度の雑霊の集合体を、一人前の陰陽師が支配できなかったというのか!?


「くっ、調伏しろ!」


 陰陽師たちの間に、動揺と焦りが広がる。


「我秦広王に願い奉る、五行烈焰、赫々たる光邪を焼き払え!炎気応ぜよ、急々如律令!」


 陰陽師たちが祭文を諳んじ、炎の玉を打ち放つ。しかし、その炎は黒骸の鋼の体毛に弾かれ、まるで水滴のように霧散し、傷一つつけられない。


「ガァアアアアアア!」


 黒骸はその巨腕を容赦なく振るい、陰陽師たちを次々と吹き飛ばしていく。

「おいおいおいおいおいどうなってんだよこりゃあ!?」


 秋房の戸惑った声が響く。ああ、それは私が聞きたい。まさか――藤原の陰陽師たちが、ここまで無力だというのか!?

 黒骸の咆哮が社殿の残骸を震わせ、崩れた瓦礫が土煙を巻き上げる。藤原家の陰陽師たちは慌てて陣を組み直すが、足元は乱れ、統制が取れない。


「我秦広王に願い奉る、五行烈焰、赫々たる光邪を焼き払え! 炎気応ぜよ、急々如律令!」


 再び炎が巻き上がるが、黒骸の鋼の体毛に弾かれ、かすり傷すら与えられぬ。


(雑魚すぎる……)


 私は内心で深い溜息をついた。これでは、九重の狐火にも及ばぬではないか。あまりにも見込み違いだ。


「我秦広王に願い奉る、五行烈焰、赫々たる光邪を焼き払え! 炎気応ぜよ、急々如律令!」


 別の陰陽師が叫ぶが、炎はまたも無力。黒骸が巨腕を振り、周囲の木々が次々と折れる。まるで嵐のようだ。


「おい、どうなってんだよ!? こいつ、ただの式神じゃねえぞ!」


 秋房が叫ぶ。秋房までそう言うとは――もしや千年ぶりで作り方を見誤ったか? 私の式神が、ここまで暴走するとは想定外だ。九重が鋭く狐耳を立て、臨戦態勢で身構える。


「斗真様、危険です! 退避を!」


 九重の焦りの声に、私は首を振る。


「私は大丈夫だ。九重、父上を守れ!」


 その瞬間、地中から新たな気配が蠢いた。黒骸の荒れ狂う霊気に呼応したかのように、蛇のような胴体に無数の眼が不気味に輝く妖魔が、ぬらりと這い出す。

 なんだこれは。こんなものは――私の計算にはない。黒骸が呼び覚ましたのか。完全に計算外だ。

 蛇眼の妖魔が陰陽師たちを粘着質な視線で睨みつけ、その尾が鞭のようにしなる。脆弱な結界が一瞬で砕け散り、陰陽師たちの悲鳴が上がる。

 そんな時、柚姫が扇を振るい、冷静な声で侍女に命じた。


「撤退の準備を。この式神、そして新たに現れた邪霊は強力に過ぎます。一度建て直さなくては」

「姫様、しかし――!」

「黙しなさい。藤原の名に泥を塗るつもりですか?」


 柚姫の声は氷のように冷たい。

 ああ、彼女は賢明だ。この状況で頼れるのは、一等調伏官である秋房と、その強大な式神。そして、芦屋道満かもしれぬ子供――私の動きを注視している。だが、今はその注視を利用させてもらおう。

 黒骸と、新しく現れた蛇の妖魔を調伏することは――私にとっては容易い。だがそれは決して、やってはいけない事だ。

 それをしてしまえば、私への疑念は確信へと変わるだろう。故に――


(九重、お前は蛇を調伏せよ。私は黒骸を使う)


 私は黒骸に倒される。そしてその後で、蛇を調伏した九重が黒骸を調伏して私を助けるという算段だ。黒骸は私の命令をも受け付けない暴走状態のようだが、構わない。その方がより真実味が増すというものだ。もとより、あの程度の式神に倒される私では無い。


「グォオオオオオッ!」


 黒骸が耳をつんざくような咆哮を上げ、私に迫る。

 鋼の巨腕が振り下ろされ、空気を切り裂く。

 これでよい。私の計画通りだ。


 そう、これでよかったたのに。


 その刹那、


「斗真あああぁっ!」


 秋房の叫びが響き、彼は私の眼前に飛び出した。

 黒骸の巨腕は、その身を庇う父を直撃する。


 鈍い音と共に、鋼の爪が深々と秋房の身体に食い込み、肉を裂く音が響いてくる。


「――」


 私の顔に、赤く熱い鮮血が――生々しく飛び散った。

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