終わる世界の『起』⑦――青
いきなりガクンと衝撃がきた。ただ単純に驚いて、声もなく目を見張る。
目の前に灰色のものが迫っていた。何かを考える暇もなく全身を衝撃が襲い、ワンテンポ遅れてそれが痛みだと思い出す。
手を突いて身を起こすと、どうやらバイクから転落したようだ。少し後方でバイクが横転しており、オレは瓦礫の上に倒れこんでいる。薄暗さも増していて、日没が近い。
祖母の家に入ったのは昼過ぎだったはず。お袋……母親の死亡を確認したあと家を出て、バイクを走らせ続けていたようだ。でも、ここは一体どこなのだろう。メシも睡眠も最後にとったのがいつなのか判然としない。無茶をした覚えはないのだが、思ったより消耗しているのかもしれない。
やたらと重い身体を起こす。バイクの元に戻ると、前輪がひしゃげてしまっていた。瓦礫に乗り上げてしまったのだろう。これじゃどんなにガソリンを入れても、もう走らない。
「くそっ……」
蹴り上げてはみたものの、蹴りも悪態もやる気なしだった。バイクがあったところで行くあてなどないのだ。今までだってそうだったじゃないか。オレには居場所なんてない。誰にも必要とされないなら、オレだって誰も必要としない。そんなことももうどうでもいい。とりあえずこのまま泥のように眠ってしまいたい。もう、このまま、何も考えずに済むように――。
「助けて……!」
横手から声がした。次の瞬間、白猫が目の前を横切った。いや、猫ではない。全身真っ白な少女だ。頭の後ろでひとつに束ねられた長く白い髪が、尻尾のように揺れている。
よろめいている少女の後ろ姿から視線を移す。赤ら顔の中年男が走ってきていた。警察の制服を着ているが、あからさまなほどの悪漢だ。嗜虐的な笑みを口元に貼りつけ、血走った目をいやらしく細めながら、ビール腹を揺らしてドテドテと近づいてくる。
「やめろ!」
気付けば二人の間に立ち塞がっていた。見ず知らずの子供を助ける義理もつもりもなかったのに、オレが一番嫌いな『権力を振りかざす勘違いした大人』の突然の出現に、勝手に身体が動いてしまったのだ。
――まあいい。風向きもおあつらえ向き。こんなヤツなら例のブツでイチコロだ。
「これが見えないか!」
ウエストポーチに手を突っこみ、取り出したスプレー缶とライターを紋所よろしく構える。中年警官は警官帽を被っていない不潔な頭を掻き毟りながら、ニヤニヤ笑いの口元を更に醜く歪ませた。
「そいつがどうした?」
予想外の反応に少したじろぐ。それでも動揺を見せないようにしながら、「もしかして、知らないのか?」と訊いてみた。
「溶けちまうんだろ。でも一体どっちの得物が早いかね? クソガキが、ヒーロー気取りでしゃしゃり出やがってよ」
おもむろに懐から取り出されたのは黒光りする鉄の塊だった。一瞬後悔しかけたが、よく見ると警官はパンパンになったボストンバッグを提げている。開口部からはみ出ているのは、様々な財布や宝石のアクセサリーだ。それに何より、ヤツは懐から銃を取り出して構える間に、安全装置を外す動作をしていなかった。これまでの強奪の際、威嚇射撃で撃ち尽くしてしまったのだ。
弾は残っていないはずだと踏んで、警官の動向に気を払いつつ、ジワジワとウエストポーチに再度手を差し入れた。
「おっと、余計な真似はするな。ま、その子供騙し以上の武器なんて、ガキには調達できねえだろうけどな」
警官は銃を振って牽制しながらも、余裕綽々に笑っている。
指先が目当ての丸いフォルムを察知した。引っ掴むと同時に素早く前方に投げつける。
蛍光ピンクのボールは警官の頭上にあった傾いた看板にぶつかって破裂した。狙いが逸れてしまい、中のインクはほとんど警官にかからなかったものの、日没寸前の薄闇の中では正体が掴めなかったらしい。飛びかかった蛍光ピンクのインクを例の紫の粘液だと勘違いして取り乱している。その隙に投げた二個目が見事警官の真上で破裂し、ヤツの血走った両目を塞いだ。
「くさっ! と、溶けるっ。助けてくれえ!」
警官は最早錯乱して暴れている。訓練なんかでカラーボールを使ったことぐらいあるだろうに、特徴的な匂いを嗅いでも気付かないほどだ。もしかしたら警官の装備を剥ぎとったただの偽者なのかもしれない。
「行くぞ!」
警官に背を向け、少女の隣を走り抜ける。やっぱり銃声は聞こえてこない。
しばらくして振り返ったら、少女がよろめきながらそれでも必死にオレを追いかけているのが見えた。
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