第4話 月に照らされた約束

 唐国の都にも、春の祭が訪れた。街には灯がともり、天には金糸のような花火が咲いた。けれど、宰相である天陽は、屋敷の宴を抜け出していた。理由は、ひとつ。


 「人が多すぎると、疲れてしまいますね……」


 その夜、偶然にも、庭の奥の竹林で、優夜もまた祭の喧騒から離れ、ひとりで月を見上げていた。


 「あなたも、逃げてこられたのですか」


 そう笑った彼女に、天陽はふっと眉を下ろした。


 「逃げ……か。否定できませんね」


 二人きりの竹の間に、月の光が降っていた。その月は、唐と和の国の空とを、等しく照らしている。


 「故郷が、恋しくなることはありますか?」


 優夜の問いに、天陽は少しだけ考えて、言った。


 「……まだ、そこまでの余裕はありません。日々のことに、追われるばかりで」


 「それでも、きっと。……あとになって、ふと、寂しくなる日が来ると思います」


 「……あなたは?」


 「私は、今日。少し、さびしかったです」


 彼女はそう言って、風に揺れる竹を見た。さびしい。けれど、それを誰のせいにもせず、淡く微笑むその姿に、天陽は胸の奥が痛むのを感じた。


 「……すみません。私は、あなたに何も与えられていない」


 「そんなことはありません。私は、あなたに――」


 彼女は言いかけて、唇を閉じた。夜の静けさが、二人の間に張りつめる。やがて、天陽が低く、けれどまっすぐに言った。


 「私に、時をくれませんか」


 「……?」


 「今はまだ、私には心に余裕がない。ただ……あなたを蔑ろにしているつもりはありません。あなたと、向き合える日がきたならば、必ず」


 その言葉は、彼の誠実そのものだった。愛の言葉でも、恋の囁きでもない。ただひとつの、約束。


 「……わかりました。お待ちします、いつまでもとは申しませんが」


 優夜は、竹の葉をそっと摘んだ。それは、返答のしるしのように。


 「でも……宰相様」


 「うん?」


 「あなたはきっと、急がなくても、大丈夫な方です」


 そう言って笑った彼女の笑みに、天陽は目を細めた。彼女が他人の心に寄り添うように、自分にもこうして、余白を与えてくれるのだと。


 その夜。空に浮かぶ月は、二人を静かに照らしていた。


 何も起こらぬ、ただそれだけの一夜。けれど、心の奥底では、たしかなものが芽吹いていた。

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