第14話
「――最近、お前が来ないから。俺の机、グシャグシャなままなんだわ」
「…?」
唐突な話の切り替わりに、思わず眉をひそめて先生の顔を覗き込もうとする。
けれど、そんな俺に気付いたのか、自分の顔を見せないようにさらに腕の力を込められた。
「薬、昔は適当な場所に置いてたから、すぐ見つからなくても焦らなかったけど。お前が来てからは整理するようになったから、ここ数日、見つからない時はちょっと焦った」
「……」
「あと、俺が随分前にフッた生徒がやって来て、お前のこと、本気で心配していた。『月島くんがこのまま倒れてしまったら、先生のこと失恋した時以上に逆恨みしますからね!?』とも、言われちまった」
「………」
どうして、俺に都合のいいことばかり、言ってくれるのだろうか。
というより、なぜこの人は。
「俺が帰ってくる」のを前提に、会話してくれているのだろうか。
「あと、お前がいねーと。単純に、つまんねぇんだ」
お前が、必要なんだ。
迎えに来るのが遅くなって、悪かった。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、そのまま言葉を続けられた。
「……るな、って」
「ん?」
「……先生が、言ったんじゃないですか。もう来るな、って。そんなの、勝手すぎる……っ!」
だから、もう先生に会っちゃいけないと思っていた。
嫌われてしまった俺は、先生と顔を合わせちゃいけないんだと。
「………あ?
言ったか?そんなこと」
――思って、いたのだが。
当の先生が、呆気にとられた声を出す。と同時に、腕の力も緩んだため、思いっきり胸を押して距離を取り先生の顔を覗き込めば。声と同様、驚いたように目を見開かせていた。
「……言いました、よね?それに、俺といるの嫌であの後、出て行ったんですよね?」
「……言ってねーよ。出てったのだって、そんな理由なワケないだろ」
その言葉に唖然としていると、大体、と丸くなっていた目がすわり、肩を強く掴まれ視線を無理やり合わせられる。
「大体、お前は一応、俺の助手ってことになっているんだ。まだ受験生でもないのに、勝手に辞めさせるとか、んな無責任なことしねーし、させる訳ねーだろ」
「……けど!あの日先生は、『帰れ』、って。だから、もう会いに行けないって、思って……あ、れ?」
なんだ?同じような意味で言われたと思ったけれど。
何か、引っかかるような。
「あー……それなら言った覚えあるな。なら、ちゃんともう一度、聞かせてやる」
違和感を感じる俺に、先生はまっすぐ目を合わせ、口を開く。
「俺は、『今日はもういい』、『寮に帰れ』、としか言ってねぇぞ。もう2度と来るなとか、そんな馬鹿なこと。一言一句、言った覚えはない」
「………あ」
『だから、今日はもう、いい。もう、寮に帰れ』
確かに。俺はそう言われた。でも、だからと言って、明日は来ても構わないとか、そんな風に思えるほど心臓に毛は生えてないわけで。
(だとしても……えっと?)
思考力が停止して、そのまま固まっていると、何かが頭の上に乗る。
目の前の先生が片手を上げて、多分俺に向かって押し付けるような、優しく叩くような動きをしていて。
頭の上の正体が先生の掌だと分かっても、やはりうまく頭が働かなかった。
「……で?他に、何か聞きたいことはないのか?」
思わぬ事実に何も考えられなくなっていると、先生がそう促す。そう言われても、急には思いつかない。
けれど、気付いたら。
「……俺、先生が好きなんです」
考えるより先に、声が出た。
「――そうか」
「……気持ち、悪くないんですか?」
「あー」
俺の再告白を無表情で受け取る先生に恐る恐る聞けば、途端に歯切れ悪く、困ったように何度も目を彷徨わせ。
それから、バツが悪そうに、俺に向き直る。
「……よくわからん」
「はい?」
正直と言えば、あまりにも正直すぎる返事に、俺が戸惑う。基本白黒はっきりさせる人が曖昧な答えを出すことはそうない。
「いつもなら、告白されるな、って思った時点で鳥肌が立つんだが、それもなかったし。むしろ俺から聞き出すとかしねぇし」
「……でも。最悪だ、って」
あの時。確かに先生は、そう言っていた。
俺に向けて言っていたと、思っていたのだけれど。
「最悪だったよ。あの宇宙人から聞いたことをネタにして、ちょっと揶揄ってやろうと馬鹿な思いつきをした結果、お前を追い詰めて。……俺こそ、教師失格だっての。自分にされたら嫌なはずだったのに、お前なら大丈夫だろって。年下のガキに、無意識に甘えちまってたようだ」
「……」
先生の言葉を信じるなら。最悪だって言ったのは、俺にじゃなくて、自分自身に対してで。それはそれで、別に先生は悪くなかったんじゃ、と言いたいけれど上手く言葉にできなくて。
――そもそも、あの時。先生はどんな表情で、あんなことを言っていたのだろうか……?
「大体、嫌だったらお前を出て行かせるし。出て行ったのは俺の勝手だし…つか、俺の部屋なのに、なんで俺が出て行ったのかとか、後で気付いたというか……」
歯切れ悪く、もごもごと言い訳をする先生。
と言うか、どうしよう。ちょっと、頭の中の整理が追い付かない。けれど。
とりあえず、わかったことが1つ。
俺は先生に。
嫌われずにすんでいた、ようだ。
しばらくブツブツなにごとかを言っていた先生だったが。先程から黙ってしまったままの俺を不審に思ったのか、顔を覗き込んでくる。そして、眉をひそませた。
「……泣いてるのか。お前」
「泣いて、ませんよ」
「嘘つけ」
「嘘じゃない、です」
分かっていた、自分でも。
目の奥が熱くなって、視界も歪んでは明瞭になって、またぼやけていく。
それでも、俺は、泣いてないと言い張る。
そうでもしないと、押し殺していたものが溢れ出して、自制出来なくなってしまうだろう。
せっかく、先生に嫌われずに済んだんだから。
これ以上、みっともない姿を見せたくない。
それで、満足すればいいんだ。
「……大丈夫ですよ、先生」
だから、俺は無理矢理でも笑ってみせる。
だって、これ以上何を望むんだ?
――先生が俺を拒絶しないでくれた。その事実だけで、十分だ。
「看病、ありがとうございます。どこかのお人好しな先生のおかげで、早く治りそうです。だから――」
もう、大丈夫ですと。
そう、告げる前に。
――視界が、反転した。
一瞬呆けていた俺だが、目の前に先生の顔があることに気付いて、押しのけようとする。けれど、起きたばかりの上、既に腕を掴まれベットに縫いとめられた俺の身体は、その力すら思うように込められなかった。
「……お前。何でいつも、そうなんだ?」
「へ?」
「ガキの癖に、そうやって何でもかんでも飲み込んでるとこ。ムカつく」
本当に腹立たしそうのか、眉間に皺を寄せながら、掴んだ俺の腕が強く握り締めてくるその容赦のなさに、思わず顔をしかめた。とはいえ、後ろ頭の下に掌があるのは、怪我してる俺へのせめてもの配慮のつもりなのかもしれない。
「……やっぱり迷惑、でしたか?なら、もう少し分かりやすく言ってもらえると有難いんですけど」
「気にすんな。単にムカついたから押し倒しただけだ」
「……どう違うのか、わからないんですけど」
先生の真意が、掴めない。
長い間ずっと一緒にいた。良いところも、悪いところも。全部見てきたつもりだったけれど。
目の前の先生が、何を考えているのか。
今の俺には、推し量ることが出来ないでいた。
「………お前の笑顔自体は、別に嫌いじゃねーよ」
妙に近い先生との距離に混乱していた俺は、真顔のまま唐突に言われた言葉の意味を図りかねていた。
「ついでに、いつもみたいに怒鳴られるのも、反応が面白いから悪くない。あと、泣き顔も、もう最初に見たことあるから別にどうでもいい」
何を言いたいのか、さっぱりわからない。大体、そのことと、今先生がムカついてることとの繋がりが見えない。
「――けど。さっきの表情は、ウザい」
そう言って、真剣な表情のまま、掴んでいた腕を片方離し、指の背で頬をそっと拭うように撫でられる。
「泣いてるくせに、無理やり笑うとか。意地っ張りにも程がある」
「…………」
その言葉を聞いて、やっと理解する。俺が嘘をついたことを指摘しているのだと。
「そうやって。何もかも一人で抱え込もうとするお前が気に食わねぇ」
「……何で、先生が気にするんですか?」
その声は俺を詰ってるはずなのに、なぜか優しく聞こえるのだから。どう反応すればいいのか、わからなくなって目をそらす。
「関係、ないじゃないですか。俺のことなんて。先生にとってみればただの一生徒で、助手なだけじゃ、ないですか……」
強いて言えば、中等部からよく顔を合わせてる、それなりに付き合いが長い生徒とも言えるかもしれない。
でも、先生にとってはそれだけなのだ。
俺のような邪な思いを持っている訳じゃないのに、だから……。
「……それじゃ、ダメなのか?」
「え?」
先生のその言葉は、俺の予想のどれも違う答えで。真意を確かめようとそらした顔を元に戻せば。いつのまにか額がぶつかりそうな程の短い距離の中、視線が合い――既に流れ出る涙を掬うように、目元にそっと口づけを落とされた。
「ぇ………?」
瞼に柔らかいものが触れた感覚に呆けている隙をつ彼、そのまま零れ落ちる涙を舌で、ぺろりと掬い取られる。
(な、んで)
思わぬ先生の唐突な行動に、体を固まらせている間にも、頬に、額にと。温かい温度が、降り注いでくる。
訳がわからず頭の中が混乱している間に、とうとう唇にまで、落とされそうになって、思わず目を強く瞑ってしまう。けれど、予想された感覚はすぐに降りてこず。一拍後、額がこつりと触れられた。その感覚に目をおそるおそる開けば、もう一度真っ黒な瞳の中に、俺が映っているのが見えて。
その中の俺は、馬鹿みたいに涙が溢れ出て止まらないでいるのが見えた。
「――ただの一生徒で、俺の助手で。それが理由じゃ、ダメか?」
「………っ」
その言い方は、ずるい。
先生の瞳に映る自分が、余計みっともなくて、涙で顔がぐしゃぐしゃで――なのにそんな俺を見つめるその人の目元が柔らかく、細められて。
「…そうだ。そうやってガキらしく、感情のままに泣けばいい」
そう言って、2人一緒にベッドに横になり、自分の元へ俺の体を引き寄せて抱きしめられる。そしてそのまま優しく背を撫でてくれる温度に、涙と押し殺していた嗚咽が喉から漏れ出してしまう。
「っ、あ……」
その声を押し殺そうとする前に、先生に背中をポンと、強く叩かれてから耳元で囁かれる。
「泣いちまえ。もう、我慢する理由は、ねぇだろ?」
その一言で、俺の中の何かが、切れた音がした。そして。
「う……ぁ、あ……ああ…ッ!!」
何も考えられなくなった俺は、子供みたいに縋りつき、泣きじゃくる。
そんな俺を、先生は怒ることも、鬱陶しそうにもせず。
ただ黙って優しく、抱きしめ返してくれたのだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます