第3話
「わかりましたか?だから、馬鹿な質問する暇あるなら、さっさと仕事に戻って、集中してください。あまり来ないとはいえ、いつ生徒さんが来るかなんてわからないんですから」
納得してくれそうなことに内心安堵してから、俺はまた薬棚の方へ向き直り、仕事を再開する。治療の時に真面目なことはいいのだけれど、使う度にこうぐしゃぐしゃになってしまっては、次の患者さんが来た時に困るだろうに。全く。本当に仕方のない人なんだから、俺の先生は。
「……それでも、お前は。そんな俺に、ずっとついてきてくれてるんだよな?」
しばらく沈黙が続き、俺が薬品の整理をしていれば。またも唐突に質問を重ねてきたその言葉に、俺は思わず手を止めてしまう。
いつになくしつこくありませんか、とか。
あんたこそ、何で今日に限ってそんなに強気なんですか、とか。
そんな風に、適当に、誤魔化しの言葉はいくつもあったはずなのに。
……そんな些細な言葉すら口から出せずに、黙ってしまったまま、当たり障りのない言葉を脳内で何度も巡らせてしまう、のは。
「……当たり前、じゃないですか。俺は、先生の助手なんです。助手は、先生のことをそれなりに尊敬しながら、手助けする立場なんですから」
「助手でもあるが、そもそもお前はまだ未成年で高校生だろ」
「委員会の仕事で、俺の将来のためだからやってることです。それなら、理事長さんの秘書さんだって。理事長さん、破天荒ばっかりで大変なのに、あの人をカバーする秘書さんは、ホントすごく尊敬していて」
「そりゃ大人だからな。ビジネスライクってやつだ」
お前は、そうじゃないだろう。
何の確信か、そう断言してくる先生が、いつもなら呆れつつも鋭いなと感心してしまえるのに。
今はどうしても、酷く腹立たしくしか思えなくて、仕方なかった。
「……それから、そうだな。最近、気付いたんだが」
先程から整理する手を止めてしまった俺の肩に無造作に手を置いて、強引に自分の方に振り向かせてから顎を掴んできて、こちらの顔を覗き込んできた。
「お前、俺が仕事してる時、こっそりと見てくるよな?」
「……」
「そん時に俺がお前と目を合わせると、すげー勢いで視線を逸らしてくるよな。しかも、顔真っ赤で」
「……きっと、部屋が暑かったんですね。あと先生が匂ったか」
「夏にはまだ早いだろ。まあ、確かに春は過ぎたが、クーラーの出番はまだ先だ。あと今は暇すぎるから、毎日風呂は入ってる」
「……そう、ですか。それは、失礼しました。匂うのは、気のせいだったかもしれません」
咄嗟の言い訳がこれ以上出てこなくて、頭が真っ白になる。何より、このまま傍にいたら、早く鳴り響く心臓の音が、バレてしまいそうで。
「……先生の顔、よく見たら案外カッコイイし。それで、ついドキドキすることもあるだけです。と言うか、いい加減、手、離して貰えませんか…?」
ただの不可抗力ですから、と言い訳して顎を掴まれた手を振り払ってから、腕を掴まれたもう片方の手も押しのけようとする。が、その手はびくともせず、ますます力が込められる。
「ふーん…お前でも、そんなこと思うんだな。趣味悪すぎ」
「……っ」
感情が読めない平坦な声のままこちらを見るこの意地悪い人は、無感情な視線でこちらを見ながら、腕に掴んでくるその手に力をどんどん込めていく。その痛みから逃れようと、俺はその手から離れようと反対の手でやっきになって引き剥がそうとするが、びくともしない。
「っ、先生、痛い…っ」
「お前のようないい子ちゃんでも、この学園の風習には勝てないってか?」
「そんなの、どうだっていいじゃ、」
「なあ、月島。
お前、俺のこと――好き、だよな?」
「―――っ」
2度目の、その質問に。抵抗していた手を止めて、思わず先生の顔を見上げてしまう。
先生は、やっぱりさっきと同じ無表情のままで。けれどさっきよりも眼差しが強く感じて。
いつになく真剣なその瞳に見惚れそうになりながら、ゆっくりと、唾を飲み込む。
だって、そうなんだ。
俺の答えは、決まっているんだ。
「……やだなぁ、ホント。俺が先生のこと、嫌えるワケがないじゃ、ないですか」
震える声は、ちゃんと抑えられているだろうか。
俺の表情筋は、ちゃんと、いつも通りの顔を作れているだろうか。
「好きですよ、先生のこと。当たり前じゃないですか。
他人のこと、興味なさそうにしてるくせに治療するときはどんな小さな怪我でも丁寧にしてくださるし。面倒くさそうにしながらも、生徒の相談にもちゃんとのってあげてるし」
――落ち着け、俺。悟られるな、俺。
「そういうとこ、俺はとても尊敬しています。1人の先生として、1人の大人として」
――忘れるな、俺。
この思いを、この人に気付かれたら。
「だから俺も、先生みたいに、誰かにそっと心を寄り添える人になりたいなぁ、って。勿論、無愛想過ぎるところは、絶対、真似しませんから」
――全部、全部。今までのことも何もかも、台無しになってしまう――!
「好きっていうのは、つまり……そう!こういう、『敬愛』、みたいな――」
――だって、俺は。真実、先生のことを……。
「月島」
「……っ!」
酷く、冷たい声が。2人しかいない保健室の中に。言葉を並び立てる俺の言葉をぴしゃりと遮るように響き渡る。
俺の名前を、呼んだ。ただ、それだけなのに。
その一言で、俺の拙い言い訳の続きが呆気なく封じられてしまう。
「ちゃんと、答えろ。お前、俺のこと――ホントに好き、なんだな」
「……」
3度目の、問い掛け。
それはさっきの2回とは違い。もう、先生の中で完全に確信に変わったのだろう。目を鋭くさせながら、俺にといつめる、その言葉に。
もう、逃げ道なんてないことを、認めざるを得なかった俺は。ただ、俯くことしか、できなかった。
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