第5話 まつり、小学校の公開授業と歯医者に行く

まつり、小学校の公開授業と歯医者に行く-1

 まつりは小学校の配信アプリを見て感嘆の声を上げた。お便りの中に公開授業のお知らせがあったからだ。


「きたきた! ついに神楽くんの学校に行けるんだね!」


 夕食の最中にスマホを見られて神楽は不機嫌そうだ。


「前からお便り行ってたはずだけど」


「じゃあ見逃していたな。今週末か。是非見に行かなければ。ねえねえ、保護者も給食を食べられたりするの?」


「それは別の日」


 まつりは神楽に即答されて、ちょっと残念な気持ちになる。学校公開と給食の試食会が一緒だったら効率的なのに。


「公開授業は何をするの?」


「月曜日の普通の授業だよ。好きな時間に来られるようになってるんだ」


「そうか。時間割教えて」


 神楽は席を立ち、学習用のタブレットで時間割を見せる。


「よしよし、体育を見に行こう」


「え~~っ。体育なの?」


 明らかに神楽は不満げだ。


「神楽くん、あんなにがんばってるんだもの。きっといいところを見せてくれるに違いないと思うんだよ。ちなみに今は何をやってるの?」


「走り幅跳び」


「そりゃイケそうな気がするね」


「ぜんぜん。だって持久走と関係ないもん」


「そうかな。身体の使い方を覚えたのなら、なんでも底上げされそうな気がするけどね」


「そんなものかなあ。あと、撮影は禁止だからね」


「危ない危ない。言われなかったら絶対に撮影していた」


「そういえば担任の先生が少し時間を作って欲しいって言ってた」


「へえ……そうなんだ。確か若い女の先生だよね


「自分で羽海ちゃん先生って言ってる面白い先生」


「そっかー。何の話があるんだろ」


 などと会話しながら夕食を終え、まつりは週末を待つことにした。瑞穂にも神楽の勇姿を見せてあげたいと思ったが、残念なことに保護者以外はご遠慮くださいとのことだった。瑞穂は非常に残念がっていた。体操服姿で躍動する神楽の姿が見たかったらしい。なるほど。それはとても貴重なものだ。絶対に目に焼き付けようと思う。


 まつりは晴れろ晴れろと念じつつてるてる坊主を作り、その日の夜にベランダに吊して週末を待つことにしたのだった。




 まつりがベランダにてるてる坊主を吊したその翌朝のことである。


 神楽が朝ご飯の準備が終わってもまつりが部屋から出てこないので、寝坊かと心配して、神楽はまつりの部屋の引き戸をノックした。


 するとしばらくしてから返事があり、まつりは右の頬を押さえながら神楽に姿を見せた。


「どうしたの?」


「歯が痛い」


「虫歯?」


 まつりは首を横に振った。


「ううん。たぶん、親知らずだと思う」


 親知らずというのは奥歯の更に奥にある歯のことだ、ということくらいは神楽も知っている。奥歯の更に奥の歯肉を押すとなんとなく親知らずがわかる。


「親知らずって痛いの?」


「肉に隠れているから炎症を起こすとどうにもならないらしい」


 どうやらまつりは既に調べていたようだ。


「神楽くん、痛み止めある?」


「あるよ」


 神楽は救急箱の中から痛み止めを探し出し、まつりに手渡す。まつりは水道水で飲みこむが、すぐに痛みが引くはずもない。


「今日はどうするの?」


「痛み止めを飲めば大丈夫だよ。大学にも行くよ」


「歯医者さんにはいかないの?」


「……行きたくない」


 ということは本当は行かなければならないとまつりは判断しているということだと神楽は理解する。


「行かないとよくならないかもしれないよ」


「だって小さい頃に行った歯医者さんにいい思い出がないんだもの。キュイーンって頭蓋を揺らされつつ歯を削られて、うがいしたら血が出て……」


 このままでは埒があかないと判断し、神楽は目を細める。


「じゃあ歯医者さんを予約しておくから、今日は早く帰ってきてね」


 神楽はスマホで自分が通っている近所の歯医者の予約ページを開いた。


「えっ? 強制?!」


「歯医者さんがイヤだなんてまつりちゃん、子どもみたいだね」


 神楽が笑って痛がっているまつりを見るとまつりは黙りこくった。言い返せないから何も言えずにいるのだろうと思う。


「……わかった。早く帰ってくる」


「僕も一緒に行くね」


「信用ない~~!」


 まつりの悲鳴を聞き、神楽は痛みを堪えつつ笑った。


 やっぱり彼女には子どもっぽいところがあると思いつつ神楽は小学校に行き、帰宅してスマホを使えるようになってから、まつりに連絡を入れる。彼女が歯医者をドタキャンしないとも限らないと考えたからだ。まつりからは、やっぱり信用されていない、とだけ返ってきた。実際、信用していないのだが……。


 まつりとは駅とマンションの間にある歯医者さんの前で待ち合わせをした。別に待ち合わせしたらまつりが逃げられないからという理由ではない。自分もぐらぐらしている歯があったので、神楽もついでに看て貰うことにしたのだ。


 まつりは小走りで歯医者のあるショッピングモールの前まで駆けてきた。神楽はショッピングモールの入り口で立って待っていたが、駆けてくるまつりを見て心配になった。


「親知らず痛くないの?」


「痛いよ。でも神楽くんを待たせたくないもの」


 まつりは頬を押さえながら神楽の前に立ち、神楽はちょっと顎を上げてまつりを見る。神楽はこの懸命さがどこから来るのか不思議でたまらない。同じ境遇の2人だからではないことはさすがに神楽も気が付いている。


 まつりが自分を好きになってくれているのなら、これ以上、嬉しいことはないのだが、大人として、保護者として神楽を大切にしているだけかもしれない。


 神楽は今はそのことを考えるのをやめて手を差し出す。


「じゃあ行こうよ」


 まつりはちょっと照れたように唇の端を上げて、神楽の手を取った。


「うん」


 そしてエスカレーターに乗り、2階の歯医者に行く。予約の時間が来るまでの間、まつりはずっと頬を押さえていた。まずまつりがアシスタントさんに呼ばれたが、続いて神楽を診察するというので一緒に行く。


 まつりが診察台に座り、診察ブースの入り口で神楽は立って待つ。隣のブースからキュイーンとルーターの音が聞こえてくる。自分の歯を削られているわけでもないのに神楽は恐ろしくなる。


 それに感づいたのか、診察台の上のまつりの目がちょっと笑っていた。


 まつりは口腔内を見られた後、レントゲン撮影に行き、その間に神楽がぐらぐらしている歯を診て貰う。ぐらぐらしているのは一番奥の歯だ。その先に親知らずがあるわけだが、神楽は不思議なシンパシーを覚える。


 歯医者さんはこれ以上歯茎を炎症させないようにさっさと抜こうといい、後日の処置予約をしてくれた。できればまつりと一緒に抜きたい、というと、レントゲン次第だが、ここで抜けるようだったらそうすると答えが返ってきた。親知らずは歯茎の中で横に生えていることもあり、その場合は大きな病院に行かないと抜けないのだという。


 まつりが戻ってきて、しばらく待合室で待ち、再び診察ブースに呼ばれる。無事、この歯医者で抜ける状態らしく、歯医者さんは抜くかこのまま痛みだけ抑えるか聞いた。


「僕は明日乳歯を抜いて貰うから、まつりちゃんも一緒に抜いて貰おうよ」


「じゃあそうする」


 まつりは笑顔はなかったが、すぐに頷いた。


 まつりは歯医者で痛み止めを処方され、神楽と2人、マンションへの道を歩く。


「10歳で乳歯があるんだね。すっかり忘れてたよ」


 まつりは不思議そうに神楽を見下ろして言った。


「うん、たぶん、最後の乳歯だと思うよ」


「私の親知らずは分かるんだけどね」


 まつりが言わんとすることはわかる。まつりは両親に先立たれたばかりだ。だから親知らずが痛み、抜くのだとしてもそれは相応のことだと言いたいのだろう。一方、神楽は乳歯が抜け終わる前に両親を失った。


「でも僕にはまつりちゃんがいるから」


 神楽はそう答えるほかない。


「そうだね。私は神楽くんの親知らずが痛んで、抜くかどうか聞く側に回れると思うから。そのとき神楽くんが抜かないって言い張っても『抜いてください』って歯医者さんに言うからね」


「僕は言わなかったよ」


「無言で圧力掛けてた」


「掛けてない」


 などとどうでもいい会話をしながら、2人はマンションに戻った。

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