第32話
アステリア王国の王城内の空気は張り詰めていた。
場所は謁見の間。様々な人たちが訪れるこの場所に、現在一人の女性がいた。
銀糸のような髪を優雅に伸ばし、深い瑠璃色の服をまとっていた。
彼女はヴェリエ。
ここ、アステリア王国と親しい間柄にある隣国の王女だ。
アルドリアン王国が魔物たちによって滅ばされたからだ。
アルドリアン王国は、緑の美しい国であり、また様々な鉱石が取れることで有名だった。
その鉱脈を掘り出し、周辺諸国へと輸出し、交易の利益を用いて国は大きく発展していった。
だが数日前。国にあった結界線が、急に機能しなくなり、結界外から魔物が波のように押し寄せてしまった。
もともと、結界は太古の大聖女が大陸全土に展開したもの。ここ数年。だんだんと縮小し、人間の暮らせる場所が減り始めていることは大陸にあるすべての国が抱える問題の一つでもあった。
アルドリアン王国も、決して軽視していたわけではなかった。
しかし、夜間に発生した魔物の襲撃ということもあり、対応は後手後手に回ってしまった。
ヴェリエの兄、カイランは国王として軍を率い、最前線で民を守ろうと戦場へと赴いた。
彼らの軍が、多くの人々を救った一方で、カイランはある魔物に魂を食われ、今も意識不明の状態が続いていた。
カイランと共に死線を潜り抜けた騎士によれば、その元凶は一体の魔物――ナイトウォーカーという魔物だ。
ナイトウォーカーは魂を奪う力を持っていて、他の兵士数名も犠牲になっていた。
すべてを取り戻すためにも、ヴェリエたちはナイトウォーカーを倒す必要があった。
兄王が倒れた今、ヴェリエは兄の代理として指揮を執ることになっていた。
それゆえに今、ヴェリエはアステリア王の前にいた。
謁見の間の高い天井の下、玉座に座する王は冷静な顔つきで彼女を見下ろす。
周囲には重臣たちが列をなしている。
ヴェリエは一歩、静かに前へ進み、礼を尽くしてから言葉を絞り出す。
「――残された者たちは、今、貴国の庇護の下で暮らしております。これまで頂いたご助力に、心より感謝いたします。そのうえで……このようなことを申し出ることが失礼なことは十分に理解しています。……それでも、国を奪い返すための兵力、物資の援助を、どうかお貸しいただけないでしょうか。私は、なんとしても兄を救いたいのです」
(……兄の魂を取り戻すためにも)
改めて、ヴェリエは強い意志とともにまっすぐにアステリア王を見る。
アステリア王の表情は固かった。
彼はその強張りを和らげるように、小さく息を漏らした。
「ヴェリエ。私としても、貴国を、そしてカイラン殿を取り戻すために助力したい気持ちはある。ただ――」
歯切れの悪い言葉が続く。ヴェリエとしても、その返答は想像できていため、驚きはなかった。
アステリア王の口調は穏やかだったが、厳しい現実を告げていく。
「ご承知の通り大聖女が展開した結界は、現在も修復する手段は見つかっていない。現在、国内にいる聖女や魔法に詳しい者たちに調べてもらっているが、まだ分かっていない状況だ。……つまり、仮に我々が兵を差し向け、ある地点を一時的に奪還したとしても……再び魔物たちに襲撃をされることになる」
「……そう、ですね」
(分かっている……ただ――)
それでも、頭で理解できていても、心は違う。
急がなければ、また大事な人を失ってしまう可能性がある。
様々な感情の中、ヴェリエは何としても兄を救うための力が必要だった。
「貴女の訴えをすべて無視するつもりはない。魔物の脅威を退けるための手段について、我々もあらゆる可能性を模索していこう。結界の再生は不可能でも、防壁や罠の構築でどうにか大陸を守れないかどうか……様々な方法で考えはするが、ヴェリエ様が言ったように国を取り戻すために兵を投入するとなれば、長期間の拘束は免れないだろう」
「……はい」
「そうなれば、我が国の安全さえも脅かされかねない。私も、この国を守る王として。無責任には頷けない。……すまないな」
「……そう、ですね。理解、できます」
王はヴェリエの顔を見据え、言葉を締めくくった。
「現時点でお伝えできることとしては、貴女の願いに可能な範囲で支援は行う、ということだけだ」
壇上に静寂が戻る。ヴェリエはその決断に驚きや戸惑いはなかった。
ゆっくりと膝を折り、王に深々と礼を返す。
「……ご助力、誠に感謝いたします。頂いたご厚意を無駄にすることのないよう、私も最善を尽くします。まずは、ここまでのお力添えに心から御礼申し上げます」
(――だが、それでも)
胸の内に溢れる激情を飲み込み、ヴェリエは静かに謁見の間を後にした。
謁見の間を後にしたヴェリエは、アステリア王の計らいで城の一室に寝かされている兄、カイランの元へと向かった。
部屋には、治癒魔法の淡い光が満ちていたが、ベッドに横たわる兄の表情は晴れない。魂を食われた彼は、ただ眠り続けている。
時折、悪夢でも見ているのか、その眉間には深い皺が刻まれ、苦しげな呻きが漏れている。
ヴェリエは、兄の冷たい手をそっと握りしめる。民のために力強く剣を振るっていたたくましい手だが、今そこに温もりはなかった。
(兄さん……)
小さく息を吐き、それからヴェリエは兄の部屋を後にし、客室へと戻り、扉を閉める。
一人になった瞬間、張り詰めていた糸が切れ、彼女は拳を固めた。
(……戦うのは、嫌いだ。苦手だ……怖い……。だが、それでも……それでも、私がやらなければ。……他に、できる人がいないのだから……私が前線に立ち、皆を引っ張らなければ――)
ヴェリエは震えそうになる心を叱咤し、目を閉じて思案した。
(……まずは、逃げ延びた者たちを集めないと。それから、戦える者を選び、鍛え、兵とする。鍛冶師や術者を探し出し、武器と術具を整える。物資は……どこから持ってくる? 交易か……だが、差し出せるものは何も――私が持っているこのネックレスは……国宝だ。……兄を助けるために、これを売り払えば……しかし、これには長年のアルドリアン王国の歴史が――)
頭の中で次々と策を考えていく。
だが、どれも実行には資金と人手、そして時間が要る。何もかもが足りない。むしろ足りているものを見つけるほうが簡単なくらいだ。
途方もない現実に眩暈を覚えながらも、ヴェリエは行動を開始した。
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