第1章 死に際の贈り物 ③獲物の選定-1
1.3.1 観察と執着
もう三日目になる。
あの高架下のスケート広場。
昼間は誰も寄りつかないコンクリの空洞が、夜になると光を持ち始める。
安っぽいBluetoothスピーカーの音楽。
コンビニ袋をぶら下げたガキ。
床に広げたジャケットの上で、煙草をふかしながらスマホを弄ってる女。
誰もが、自分がどう見られてるかしか気にしてない。
鏡の代わりに他人の視線を使って、存在を確認し合ってる。
俺は、その輪の外から、見てるだけだ。
駅から徒歩十数分、街の裏側みたいな場所にあるこの広場は、いつの間にか“そういう場所”になっていたらしい。
パパ活、援交、売り、女たちはあっけらかんとした顔でそんな言葉を口にする。
ネットで調べた。
今どきの隠語、略語、業界用語。
年齢詐称のやり方、客の選び方、警察の見分け方――
そんなものが、検索ひとつで出てくる時代だ。
でも、あいつらは知識だけで“安全”になったつもりでいる。
本質は見ていない。
世界を甘く見ている。
その中で、俺の目に止まったのが――
「マイ」と名乗る少女だった。
金髪のエクステに、左右非対称の濃いアイライン。
ファンデが首の色と合ってない。
タバコの吸い方だけは妙に慣れているが、唇の動きや指の震えから、まだその体が子どもであることが見てとれる。
おそらく十五か、十六。
偽名。
誰も本名なんか使わない。
露出の多いジャケットに、へそ出しのトップス、ミニスカ。
足元は白の厚底ブーツ。
見た目だけなら、よくいるタイプだ。
だが、違った。
あいつは警戒心がない。
周囲に常に誰かがいると思ってる。
誰かが助けてくれる、誰かが見てくれている。
そんな顔で、笑っていた。
喫煙所の隅でいつも誰かに寄りかかって、煙を吐きながら携帯をいじる。
コンビニには夜八時を過ぎると現れて、アイスやカフェラテを選ぶのに異様に時間をかける。
トイレは裏手の公衆トイレ。
入口に段差があるせいで、入ってから出てくるまでの時間がよく見える。
俺は、そのすべてを記録した。
到着時刻、誰と話すか、どれだけ笑うか、何本煙草を吸うか、何を買い、どこに立つか、どの瞬間に気を抜くか。
スマホのメモ帳に箇条書きで、日時とともに打ち込んでいく。
すでに三日目。
今日で充分だった。
カフェの外席に座るふりをして観察する。
マスクをして、フードを被って、誰にも気づかれないように。
いや、そもそも俺に気づく人間なんて、最初からいない。
この街にとって、俺は空気だ。
だが、俺は見ている。
誰よりも執拗に、静かに、正確に。
「……あいつは、あまりにも軽すぎる」
口には出さなかったが、胸の奥でその言葉が響いた。
「自業自得だ。こんな世界で、その格好で、そんな態度で、夜の街に出るほうが悪い」
それは、冷静な観察ではなかった。
否定したくなるほどの、執着だった。
だって――
あの身体なら、勝てる。
顔、年齢、体型、声、匂い、空気。
あの無防備で、世界に歓迎されているような存在感。
俺が何をしても許されないこの街で、あいつは笑っている。
それだけで、もう、十分すぎる。
ポケットの中の黒い指輪が、じっとりと体温を吸っている気がした。
見つけた。
条件は揃った。
気づかれずに近づくルート、タイミング、背後を取る角度。
すべて、もう描ける。
夜風が、マイの髪をふわりと揺らした。
その無警戒な首筋を見たとき、俺の中の何かが、静かに告げた。
「……決めた」
声は出なかった。
ただ、強く、確かに。
これは衝動ではない。
計画だ。
執着に根ざした、冷たい、準備済みの“狩り”。
さあ――
始めようか。
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