第7話夜の見張りと小さな灯り

 夜風が、肌をひやりと撫でた。

 罠作りの作業が終わり、村は一旦落ち着きを取り戻したかに見えたが、森の影を思うと眠れる気がしなかった。


「……俺、今夜は見張りを手伝うよ」


 そう村長に言うと、少し驚いた顔をしたあと、短く頷いた。


「無理をするなよ。だが、ありがたい」


 ◇


 北側の見張り台。

 俺は丸太で組んだ簡易の足場に腰を下ろし、夜の森を見据えていた。

 下では男たちが柵の補強を確認し、火を焚いている。

 罠の上には薄く枝と草が敷かれ、闇の中ではまったくわからない。


「……見た目は完璧だな」


 自分で言っても実感が湧かない。俺はまだ、この世界に来て数日しか経っていないのだ。


「おにーちゃん」


 小さな声が背後からした。振り向くと、木の階段を登ってくる小さな影がある。

 レンだった。布で包んだ何かを抱えている。


「夜食、持ってきたよ。おにーちゃん、さっきから何も食べてないでしょ?」


「……レン、お前、こんな夜遅くに……」


「だって、心配なんだもん」


 レンは包みを広げ、昨日の余りのパンと、温かいスープを差し出した。

 俺はその匂いに思わず笑ってしまった。


「……助かる。ありがとうな」


「うん」


 俺はパンをかじり、スープを飲む。夜風で冷えた体に、優しい温かさが染み渡った。


「レン、怖くないのか? 森のこととか……」


 ふと口をつくと、レンは少し黙り込み、やがてぽつりと言った。


「……怖いよ。でもね、私……ひとりでいるほうがもっと怖かった」


「ひとりで、か……」


 レンはスープの器を見つめたまま、ゆっくりと話し始めた。


「……私のお父さんとお母さん、二人とも、ずっと畑をやってたの。戦争がはじまって、兵隊さんがたくさん来て……『すぐ戻るから』って、私に言って……それっきり、帰ってこなかった」


 俺は黙ってレンの横顔を見つめる。


「それから、村の人たち……私のこと、なんだか腫れ物に触るみたいになっちゃった。誰もはっきり悪いことは言わないけど、目をそらすの。……私が何か悪いことしたみたいで、やっぱりちょっと、つらいよ」


 小さな声だったが、夜の静けさの中で鮮明に耳に届いた。

 俺は少し息をのんでから、ゆっくり首を横に振った。


「……でもな、俺には、そうは見えなかった」


「……え?」


「確かに、よそよそしい人もいる。けど、レンのことを思ってる人も、ちゃんといると思う」


「……ほんとに?」


「ほんとだ。……村長とか、な」


「……村長さんが?」


 レンが首をかしげる。俺はそこで言葉を濁した。


「……なんでだろうな。俺にもまだ、よくわからないけどさ」


「……そっか」


 レンはほんの少しだけ笑って、スープを口に運んだ。

 その笑顔は弱々しいけれど、さっきより少しだけ温かかった。


「……おにーちゃんにそう言ってもらえると、ちょっとだけ、楽になるよ」


「そりゃよかった」


 俺はパンの最後のひと口をかじり、夜の森に

目を向けた

 下では薪がはぜる音がする。見張りの男たちが、静かに目を凝らしている。


 ◇


 「――影が増えてるぞ」


 下からひそひそとした声が聞こえた。見張りの男のひとりが、森のほうを指差している。


「数は?」


「わからん……でも、ひとつじゃねぇ」


 耳を澄ませると、遠くから低い遠吠えが聞こえた。

 昼間聞いたそれより、近く、そして数が多い。


「おにーちゃん……」


 レンが俺の袖をぎゅっと握る。

 俺は彼女の手を握り返し、心臓の高鳴りを押し殺しながら言った。


「……大丈夫だ。まだ遠くだ。罠もあるし、ここには俺もいる」


 そう言い聞かせるように、俺は深呼吸をした。


 下では男たちが武器を手に取り、火を絶やさないよう薪をくべている。

 村全体が静かに、しかし確実に臨戦態勢へと移りつつあった。


 月明かりが雲間から差し、森の縁を照らしたその瞬間――

 闇の奥で、赤い光がいくつも、同時に瞬いた。


「……目だ……!」


 誰かの小さな声が聞こえた。

 俺はゴクリと唾を飲み込み、レンを背後に庇った。


 ――来る。


 罠を作り、見張り台を建てた。それでも胸の奥に恐怖は渦巻いていた。

 それでも、俺は逃げないと決めたのだ。


「レン、俺の後ろにいろ」


「……うん……!」


 夜の森の奥で、遠吠えが重なり合って響いた。

 その音は、確実に数を増やしている。


 ――そして、次の夜が、俺たちを試すだろう。

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