第2話 バーテンダー
「キミ……」
九埜はクッと肩を揺らして笑い、グラスを手に取ると一気に飲み干す。
そして、グラスを僕に返すようにカウンターに置き、こう続けた。
「バーテンダーの方がよかったんじゃない?」
ニヤリと口元を歪ませて、挑発めいた笑みを見せる。
そんな挑発に僕は乗らず、穏やかな口調で返した。
「『バーテンダー』ではお客様のお好みに少々外れますので」
そう答えた僕に九埜は楽しそうにも、ははっと声をあげて笑った。
「少々……ね。面白いね、キミ。そう言われたら、なんだか飲みたくなるね。折角だから飲ませて貰おうかな。バーテンダーの
僕と九埜の目線が一線に重なった。
「『バーテンダー』を」
僕は、笑みを見せて答える。
「かしこまりました」
ミキシンググラスを手に取った。
作るのは。
『バーテンダー』という名のカクテル。
ベースはジン。ドライ・シェリー、ドライ・ベルモット、デュボネというフレーバードワイン、グランマルニエを使ったカクテルだ。
全ての材料をミキシンググラスに入れ、バースプーンでステアする。
グラスに直接材料を入れて軽く混ぜるだけのステアとは違い、ミキシンググラスに入れて作るのは少し長めに混ぜるからだ。
僕は、ミキシンググラスに氷を入れて水を注ぐとステアし、氷が落ちないようにストレーナーを被せて水だけを捨てる。氷の角を落とす為だ。
そして、全ての材料を注ぐと再びステアを始めた。
ミキシンググラスにバースプーンを当てずに、氷を回すように材料を混ぜる。
九埜は、僕の手の動きをじっと見ていた。
カクテルグラスに注ぎ始めた時に、亮二さんが店にやって来たのが視界に入ったが、僕はグラスを九埜の前に置くまで目線を動かさなかった。
「どうぞ。『バーテンダー』です」
そう言って顔を上げた時に、亮二さんと一瞬だけ目線が合った。
亮二さんは、ふっと静かに笑みを見せると、声を掛ける事なく端のテーブル席に座った。僕の前で飲んでいる男が九埜だと直ぐに気づいたはずだ。
九埜は僕の方を向いているだけに、亮二さんの姿を見てはいない。気づいてはいないだろう。
グラスを手に取った九埜は、今度は一気には飲まず、一口だけ飲んだ。
そして、グラスを置くと僕に言う。
「飲む者を
「だから薬草、香草系を好まれると? では、あなたは何を労る為に飲んでいるんですか」
そう訊いた僕に、九埜はふっと笑みを漏らすとカクテルの残りを一気に飲み干した。
そして、後ろを振り向き、カウンターに片肘をつくと九埜は答えた。
この男………。
目線を送った先には亮二さんがいる。
ずっと前を向いていたのに気づいていた……なんで……。
そう思いながらも僕はハッと気づく。
……ガラスだ。
バックバーの並びに設置されている冷蔵スペースの扉は、ボトルが見えるようにガラスで出来ている。
だが、鏡のようにハッキリと映る訳じゃない。
それだけで気づくなんて……。
やっぱりこの男。
油断ならない。
あの時、一言も話す事などなかったのに、出向いて来たうえに随分と喋るが。
答える言葉は感情を逆撫でしてくる。
「自分を労る為に飲んでいるんじゃない。依頼人は勿論、依頼に関わる……いや、関わりを持った者に対しての労りかな。それは俺なりの『誠意』だよ」
……誠意……だって?
まだ数人の客がいる事もあり、僕は苛立ちを抑え込むように手を握り締めた。
亮二さんは、九埜と目線を合わせていたが言葉を返しはしなかった。
当然だ。
亮二さんがこんな安い挑発に乗る訳もない。
九埜と目線を合わせていた亮二さんが席を立つと、カウンター席に座った。
亮二さんは九埜を見ず、僕へと目線を向けた。
「ユウ。俺にも一杯くれないか」
亮二さん……一杯って……。
『ユウ……殺したいと思う程、人を憎んだ事、ある?』
『亮二はやたら陽気に店に入って来たんだ。ここに来る前から飲んでいたようでね。入って来るなりウォッカをストレートでくれと言う。流石にあの状態で飲ませる訳にはいかないから軽いカクテルを出した。初めは文句も言わずに飲んでいたけど、何杯飲んでも満足しないみたいでね、ウォッカを飲んだら帰るとせがみ始めて、水にしろと水を出したんだ。そしたら亮二のヤツ、急に暗い顔してグラスを握り締めてこう言ったんだ』
『『心が渇き過ぎちまった。ただの『水』じゃ足りないんだ』ってね……』
亮二さんはウォッカしか飲まない。
それを知っているだけに、亮二さんに出す一杯はウォッカしか浮かばない。
だけど、この場でそれを出すのは躊躇う。
どんな思いでウォッカを飲むのか……それをこの場で浮き彫りにしたくない。
「ユウ」
僕の心情とは裏腹に、亮二さんは穏やかな声でその一杯を促す。
「……っ……」
僕は、思いを飲み込み、ウォッカのボトルを手に取った。
そして、ショットグラスを取ろうとしたが、僕はミキシンググラスを選んだ。
氷の入ったミキシンググラスにウォッカを注ぎ入れ、ドライ・ベルモットを加えるとステアする。
カクテルグラスに注ぎ、レモンピールを絞り掛ける様をじっと見つめる亮二さん。何も言う事はなく、その一杯を出されるまで僕から目線を外さなかったが、その表情に笑みが浮かんでいるのが視界に捉えられた。
僕に出来るのは。
「どうぞ。『ウォッカ・マティーニ』です」
飲んでくれるかは分からない。
ウォッカの他に使ったのは、マルティーニ・エクストラ・ドライ。甘さを抑えた辛口のベルモット。ウォッカは亮二さんがいつも飲んでいるストリチナヤ・ウォッカだ。
マティーニのベースは
マティーニにはピンに刺したオリーブが沈んでいるイメージが強いが、僕は敢えて入れなかった。
ベルモットはワインを主体とした混成酒で、フレーバードワインと言われるだけに香草が使われている。
九埜が香草、薬草系を労りと言うなら、僕は……。
亮二さんは、ふっと笑みを漏らすとグラスを手に取った。
そして、グラスを少し見つめた後、口へと運ぶ。
一口飲むとグラスを置いたが、亮二さんが九埜を振り向いて言った言葉に、僕はハッと息が漏れた。
「足りないんだよ。その程度が誠意じゃ……ね?」
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