第四十七話『見知らぬ過去との邂逅』
騒ぎを解決しても仕事はまだ終わっていない。
今回の宴席で呉乃は手伝いとして高篠から出向いている。宴の運営だけではなく後片付けも手伝わなければならない。
主人には早々に帰宅してもらい、呉乃は他の女官に混じって仕事をしていた。
「そのほう、呉乃といったか」
宴に使った器をまとめて運ぼうとしたところで声をかけられた。
振り返るとそこには
呉乃は持っていた器を慌てて置いてすぐに袖を合わせて頭を下げた。
「はっ、権少将高篠是実様側付きの女官、呉乃と申します。此度は過分なお引き立てを――」
「そなたは
頭上から降ってきた言葉に呉乃の思考が停止する。
袖を合わせて頭を下げたままの姿勢で止まり、息が段々と浅くなっていく。
「是実の邸で見たときは分からなかったが、今見ると分かる。母に似た美しい顔立ちをしておる」
混乱で返事をすることもできず、呉乃はただ顔をあげて狼狽する。
目を見開いて口を震わせる呉乃。だが斐はそんなこと気にも留めず昔を懐かしむように耽っていた。
(なぜこの男が母上のことを。それに、私のことも! 幼い頃は誰にも会ったことがないというのに!)
ありえない話だ。呉乃が都にいたのはおよそ4歳の頃だ。その存在が露見しないよう特別な場所で育てられていたはず。
だが斐は知っている。口ぶりから察するにでたらめを言っているわけでもなさそうだ。
「あれはいつのことだったか。
美しい思い出をひも解くように斐が呉乃の知らない過去を語る。
全く憶えていない。当然だ。呉乃はその頃まだまだ幼く、母や女房以外の人間の区別すらついていなかったのだから。
思わぬ過去に呉乃は動揺を隠せない。喉が急激に乾き背中に汗がにじむ。
「……は、母上とは、親しかったのですか」
様々な思いが頭の中で巡り、ようやく出てきた言葉はあまりにも気の抜けたものだった。
もっと聞かなければいけないことがあったはず。そもそも呉乃は隠された存在の上、既に死んだ身だ。斐が正体を知っているというのなら黙ってもらわなければならない。
だというのに、呉乃は目の前で母を語る男にあろうことか懐かしさと喜びを感じてしまったのだ。
「ふむ、特別親しかったわけではないが、とはいえかつての同じ家同士、面識はあった」
「そう……だったのですか。あの、斐様、無礼を承知の上でお願い申し上げるのですが、このことはその……他の者には」
「そなたが浄姫殿の隠し子で、藤原
宗通の子、受け入れがたい言葉に呉乃は渋い顔をしながらも深く頷く。
母である浄姫を
それを成すためには呉乃自身の素性を隠さなければならない。
もしもそれができないというのなら斐をどうにかして排除する。
目をつぶって答えを待つ。やがて、頭上で細く息を吐く音が聴こえ、呉乃はおそるおそる目を開けた。
「案ずるな。そなたを宗通へ突き出すことなどせぬ」
斐の言葉に呉乃は顔を上げる。騒がしかった胸の鼓動が落ち着きを取り戻す。
「そなたには恩がある。此度の騒ぎ、あのままいけば余は瀑男の息子を毒殺したとして是実に捕らわれていたかもしれぬ。だがそなたが瀑男の息子を助け、さらに故意ではなかったと調べ上げた。そなたは余の恩人じゃ」
「と、とんでもございませぬ。私は、私ができることをしたまで。それも母上から教わったことを試しただけに過ぎないのです」
「おぉ、母君の教えが役に立ったというわけか。ならばなおのこと誇るがよい」
上機嫌に笑う斐。呉乃は「はっ」と恐縮してまた頭を下げる。
「しかし是実はとんでもない切り札を持っていたものよ。そなたさえ上手く使えればあの藤原の喉元に刃を突き立てることができるやもしれぬな」
斐の言葉に呉乃はぴくりと眉を動かす。
そうだ、呉乃の目的は復讐。是実はそれを知ったうえで呉乃を拾ってくれた。
主人がどこまで内裏をかき回そうと思っているのか未だ全容は掴めないが、呉乃としては母の仇を討てればそれでいい。
たとえそれで自分の命を失うこととなっても。
「片付けはもうよいぞ。かつての姫君にかようなことはさせられぬ。今の主人のもとへ帰るといい」
「はっ、失礼致します。斐様」
雅な香りを残して斐が去って行く。
呉乃はひとまず足元の器を拾い上げ片付けに向かった。
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