第四十一話『一時中断』

「騒ぎが起きたというから来てみたが、いったい何事じゃ」


 この宴席の主催である斐がようやく現れる。笏を持ったまま辺りを見回し、有庸を担いでいる呉乃を見つけ目を丸くした。


「そこの女、いったいなにをして――」


「なにをしているだと!? それはこちらの言葉であろう!」


 瀑男が怒りを露わにして斐へと食ってかかる。


 斐の家人らしき男がすかさず間に入るが瀑男は止まらない。大柄な体躯をめいいっぱい広げて鬼の形相で迫った。


「貴様のせいで我が息子が毒にやられたのだぞ! いかなることか!」


「毒? 毒じゃと? そなたの息子が何者かに毒を仕込まれたと?」


「しらばっくれるな! 宴の席の料理を食べて倒れたのだ! 貴様の仕業であろう!」


「余が貴様の息子を害してなんとする。貴様の息子など始末する価値すらないというのに」


 怒り心頭の瀑男に対して斐は冷静沈着だ。だが冷静なだけで決して譲歩はせず、頑固に自身の主張を崩そうとしない。


 呉乃としては正直どうでもよかった。そんなことよりも早く斐からどこか部屋を貸してもらい有庸を寝かせてやりたかった。


 どうにかならないものか。今も醜い言い争いをしている二人を見上げ、さらにすぐ近くに控えている是実を睨む。


 さっさとこいつらを黙らせろ。視線に言葉を込めてぶつけるが、是実は気まずい顔で「まだ待て」と手振りを示すだけだ。


「まさか宴席に毒とは……恐ろしいことよ」


「一体誰があんなことを……儂らは大丈夫なのか?」


「斐殿も久しぶりに戻ってきたと思ったらこのような謀略をしかけてくるとは」


「どうだかな。毒殺ならば他に得意な者がいるであろう」


「そういえば宗通の息子は先ほどからなにも食べておらぬのう」


「おぉ恐ろしい……瀑男の息子の苦しみ方、尋常ではなかったぞ」


「父御の恨みつらみを息子が受けたのであろう。あの頑固者、これまでどれほどの者を敵に回してきたか……」


 周りの貴族達が囁き合う。遠くから見ているだけで何もしない者達に呉乃は舌打ちをする。


(事は一刻を争うっていうのにこの貴族うつけ共は……)


 苛立ちが腹の中で膨れ上がっていく。ただ無知だけなら放っておけばいいが愚かならば救いようがない。


 いや、救いようがないのならまだいい。問題はその愚かさでこちらの足を引っ張ってくることだ。


 貴族の道楽なんてものに付き合っている暇なんてないというのに。こうなったらもう強行突破してやろうかと思ったそのとき、今度は藤原明行が前へ出てきた。


「お二人さんいつまでやってんだ。いい加減にしないと助かるもんも助からんぞ」


 官位で言えば下のはずなのに明行は遠慮することなく詰め寄る。


 天下の藤原であるがゆえか、それとも生来の性格ゆえか。だが明行のさっぱりとした物言いに斐と瀑男はようやく言い争いを止めた。


「なにを申すか! 関係のない者は引っ込んでおれ!」


「大納言、今大事なのは誰が毒を仕込んだかじゃねぇだろ。とにかく息子さんを助けたいんだろ?」


 明行の言葉に瀑男がばつの悪い表情を浮かべる。


 話が停滞した今しかない。呉乃が前へ出ようとしたところですかさず是実が間に入り斐に頭を下げた。


「斐様、ここはどうか有庸殿の命を救うために部屋をひとつ貸していただきたい。処置は引き続きこの女官に任せ是実はこれが怪しい動きをせぬか監視致しましょう」


「……うむ、人命がかかっておるのなら仕方あるまい。是実よ、北の対屋を使うがよい。人も物も好きに使って構わぬ。瀑男もそれでよいな?」


 意外にも斐はすんなりと是実の提案を受け入れた。さらに先ほどまで言い争っていた瀑男に確認する。


 瀑男はというと、渋い顔で頷き有庸を担いでいる呉乃のもとへやってきた。


 脅しでもかけるつもりか。息子の命を救えなければ殺すとでも言うのだろうか。


 呉乃が腹の下に力を込めて待ち構えていると、瀑男は袖を合わせて頭を下げた。


「我が息子を頼む。どうか救ってくれ」


 息子のためとはいえわざわざ大納言が端女に向かって頭を下げた。衝撃的な展開に周囲の貴族達は驚きどよめき、呉乃は冷や汗を流す。


(いや、大部分の毒は取り除けたはずだからすぐ死ぬとは思えないけど……これは、絶対失敗できなくなってしまった)


 呉乃も深く頭を下げたかったが、有庸を担いでいるのでできない。結局、震える声で「おまかせください」と返事することしかできなかった。

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