第三十九話『鬼どもの饗宴』

 大勢の貴族が訪れた唐風の宴席は滞りなく進んだ。


 作られた料理や酒を運び、空いた器を静かに片付ける。ひたすらそれの繰り返し。


 立食形式の自由な気風の宴席はそれなりに好評らしく。談笑しながら食事をする者や、酒を飲みながら庭を歩く者など様々だ。


 呉乃の主人である是実は今大納言伴瀑男と語り合っている。


(あれが大納言伴瀑男……大きいな。五尺……四寸、いや、六寸ってところか? とてもじゃないが文官とは思えないな……)


 隣にいる是実だってそれなりに背は高いが、それにしても瀑男はまるで違う。背が高いというわけではなく、腕や首も太さから身体全体が大きいのだろうと推測した。


「大納言様、今日はご子息もお連れなのですね。ぜひご紹介いただければ」


「おお、そうじゃった。有庸!」


 突然の大声に邸の庭が揺れる。すぐ近くの別の集まりから線の細い若者が慌てた調子で飛び出してくる。


「お呼びでしょうか父上」


「来よったな。ほれ、高篠少将殿じゃ。挨拶を」


 若者の肩を叩き、瀑男が不敵な笑みを浮かべる。紹介された若者、瀑男の息子である有庸は袖を合わせて頭を下げた。


「大納言伴瀑男が長男、伴有庸と申します」


「これはこれは、大きくなられましたな。左近衛権少将高篠是実でございます」


「はっ、あの……以前にお会いしたことが……?」


「お前がまだ三歳の頃じゃ。憶えておらぬだろう」


「あの頃から大納言様に似て精悍なお顔立ちでしたが、こうして大きくなった今改めて見るとお母上にも似ておられますな」


「性格もじゃ。こやつもあれに似て穏やかで臆病。虫も殺せぬ男となってしまったものよ」


「はっはっはっ、それはそれは。かえって良かったかもしれませぬな」


「なにおう、是実そなた言うようになったの」


 やや失礼な是実の言葉を豪快に笑い飛ばす瀑男。息子は間に挟まれて上手く笑えていないようだ。


 しかし確かに有庸は父親とはあまり似ていない。背丈や顔立ちもそうだがなにより随分と弱気に見える。それともこの貴族たちがまみえる宴席で緊張しているだけなのだろうか。


(見た目からして歳もかなり若いんだろうな。元服したばかりってところか……目に見えて緊張してるな)


 この宴席においてはあまり脅威にはならないだろう。ぎこちなく笑う有庸を見て呉乃はそそくさとその場から離れる。


「是実よ、これはまだまだ遊びを知らぬ。これからはそなたも色々と教えてやってくれ」


「はっ、この是実にお任せを」


「ど、どうかよろしくお願いいたします、是実殿……」


 後ろから三人の会話が聴こえる。大事な息子をあんな遊び人に預けていいわけないだろうと呉乃は密かに思った。


「おーい、光経ぇ」


 別の場所で呉乃が食べ終えた器を片付けているとどこかから声が聴こえてくる。


 器を運ぶふりをしながら密かに視線を向けると、会場の端っこ、かすかに庭の池が見える位置に藤原光経と藤原明行がいた。


 比較的歳が近く若い二人の周りに人はおらず――というよりも一人でいた光経へ明行が近づいたという雰囲気だ。


「明行か、いかがした」


「いかがしたってお前、なんでこんなところにいるんだよ。しかもひとりで」


「私は義父ちち上の名代として来ただけだ。面倒な挨拶も済んだことだし多少の世辞も述べた。問題なかろう」


 どこか軽い口調の明行に対して光経は随分と冷たい口調だ。呉乃はなんとなく話が気になって二人の死角へと入り込む。


「そりゃそうだけどよ……ってお前、飯も酒も全然だな。なんだ、腹の調子でも悪いのか?」


「馬鹿を言うな。源の邸で出された物など食せるはずもあるまい。なにが入ってるのかも分からぬのだぞ」


「毒でも仕込まれてるってか? こんな公衆の面前でやるわけねぇだろ。相変わらずお前は人を疑うことしか知らぬな」


「そなたはもっと人を疑うことを知るべきだと思うがな」


「大丈夫だ。一番怪しい奴は常に疑ってる」


「だからわざわざ私に釘を刺しに来たとでも?」


「さぁどうだろうな」


 死角から会話を聞いているので二人の表情は見えない。もしかしたら笑顔で軽口を言い合ってるみたいな光景なのかもしれないが、普通に神妙な顔で言い合ってるだけかもしれない。


 どっちにしてもなんて不穏な会話だろう。同じ藤原北家の親戚同士で腹の探り合いをしている二人に呉乃は同情すら覚える。


「まぁいいや。ところでよお前、さっき女を見なかったか? 膳を運んでる女官だと思うんだが」


 明行が突然話題を変えた。しかも妙な話題だ。


 膳を運んでいる女官。今呉乃がやっている仕事だ。まさかと思いながらも呉乃はすぐにこの場から逃げ出せるよう準備をしておく。


「女官など大勢いるだろう。なんの話だ」


「いやいや、それはもう美人でさ。それも袖に紅色の絹布を仕込んでたんだよ。あまりに綺麗だったから見たら忘れないと思うんだけどな」


 呉乃は咄嗟に袖を隠す。恭子にもらった紅染めの絹布。派手過ぎず華やか過ぎずちょうどいいものだったので今回も身に着けていたが、どうやら裏目に出てしまったらしい。


 隠しておくべきだろうか。しかしせっかく恭子から賜った品なのだ。隠すというのも失礼な気がする。


「それで? その女を見つけて口説くとでも? 相変わらず気の多いことよ」


「馬鹿言え、そうじゃねぇよ。あの女官、親父殿が「どこかで見た憶えがある」とか言っててな。ちょっと気になったんだ」


「宗明様が? まさかこちらへ入り込んでいる鼠だとでも?」


「いや、そういうわけでもなくてな……確か伯父御の邸で一度だけ見たとか見てないとか」


義父ちち上だと?」


 光経の義理の父、宗通の名前に反応したのは光経だけではなかった。


 呉乃もまたその場で固まり、ゆっくりと二人の後ろ姿へと視線を向ける。


「ますます分からぬな。あの義父ちちが藤原以外の人間を傍に置くとは思えぬ」


「俺だってそう思うさ。まぁ親父殿が言ってるだけだ。とはいえ気になるっちゃ気になる。見つけたら教えてくれ」


「……その女官がもし義父ちち上に関りがあるとして、宗明様はそやつを捕らえてなにをするつもりだ?」


 光経の声色が変わる。複雑に勢力が分かれている藤原という氏族で一番の権力を有しているのは藤原北家だ。だがその北家の中ですらも権力争いが生じているのだ。


 言ってしまえば光経は宗通派だ。そして明行は宗明派。二人の会話から呉乃は嫌な予感を覚え、背中にじっとりと汗を掻く。


「さぁな、そこまでは俺も知らんよ」


「もし宗明様が義父ちち上の邪魔立てをするつもりならば――」


「有庸! いかがした有庸!」

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