第九話『鬼となった女』

「なつが自供した。そなたの言う通り珠江殿を陥れるためにやったとのことだ」

 数日後、呉乃が邸で主人の盃に御酒みきを注いでいると唐突に是実が報告してきた。

 器に御酒が満たされたところで呉乃は顔を上げる。是実はゆっくりと酒を飲んで微笑む。

「またそなたに助けられたな。なつを追い詰めたあの手法、見事であったぞ」

「私はなにも。疑念をそのままにできなかっただけです」

「ふっ、そうか。あれからなつを捕らえ、検非違使けびいし達にやしきを探させた。すると離れの土蔵どぞうから盗まれた物やかもじが入ったつづらが見つかった」

 呉乃が想像していた通りの展開だ。特に驚くことはせず「そうでしたか」と淡白な返事をする。

「鍵は妻の珠江殿が管理していたそうだが、少し前から行方が分からなくなっていたらしい。貴重な物を入れていたわけでもなかったので気に留めていなかったそうだ」

「おそらくなつが盗んで懐に隠し持っていたのでしょう」

「その通りだ。あの女房頭にょうぼうがしらを調べたら鍵が見つかった。にしても、どの時点でなつが犯人だと確信したのだ?」

 いつも通り、是実が呉乃へ解説を求めてくる。呉乃は御酒を傍に置いて涼しげに目を伏せた。

「確信は最後までありませんでした。ですが違和感はずっと付き纏っていたのです」

「ほう、それはどこから?」

「最初からです。なつは珠江様のことを一度たりとも奥様とお呼びしませんでした。公治様のことは旦那様と呼んでいたのに」

「それが疑念のきっかけになったと?」

「それだけではございません。盗まれた品々に扇はありませんでしたか?」

「扇? あぁ、あったな。なにやら奇妙な絵が描かれた扇だったが……」

 奇妙な絵というあまりにもな感想に呉乃はフッと笑う。

 なぜ笑ったのか首を傾げる是実だったが、呉乃は主人の視線を躱して話を進める。

「あれは公治様が珠江様に初めて贈ったものだそうです。金目の物ではなく思い出の品。それが盗まれているということは、犯人は珠江様へ私怨がある者と」

「なるほど、それでなつが怪しいと思ったのか」

「確信を得たのは私が質問をしたときでした。憶えておいでですか? 欠けた石灯篭いしどうろうについて私が訊ねたことを」

「ん……あぁ、そうだったな。しかしそれがどうしたのだ?」

 澄ました顔で訊き返してくる是実。反応を見る限りあまり憶えていないのだろう。それか、憶えているがどういった意図なのか察していないだけか。

 おそらく後者だろう。呉乃は自分の主人に対して失礼な感想を抱く。

「私は前から石灯籠が欠けているのかと訊ねました。しかしなつは石灯籠は倒れていたと答えました。そしてそれを鬼が塀を乗り越えるための足掛かりとしたと。私の問いに答えているように見えて、その実、自分の望む方向へと話を誘導してたのです」

「……うむ、そなたの言うことは分かったが、しかしそれだけだとあまり矛盾しているようには思えぬな」

「仰る通りです。これだけで犯人だと断定するには足りません。ですが、疑念はますます深まりました。ゆえに、揺さぶりをかけたのです」

 少々強引でしたが。と付け加え、呉乃は息を吐く。

 外から雨の降る音が聴こえる。静かな時間が流れ、是実は盃に注がれた御酒を音もなく飲み干した。

「あのなつという女房頭と公治殿は古馴染みだったらしい」

 すだれ越しに外の景色を眺めながら是実が呟く。呉乃はなつが捕まる直前、公治に縋りついたあの瞬間を思い出す。

 主人のかつての名を呼び、悲痛な想いを叫んでいたなつ。身分は違えどふたりは幼いころから一緒にいたのだろう。

 だが、恋慕の情をずっと抱いていたのは、残念ながらなつだけだったようだが。

「奥方の珠江殿を家から追い出せばまた自分のことを見てくれると。それか、傷ついた主人あるじに寄り添うことで情を深めたかったのかもしれぬな」

「……女の執念とは恐ろしいものですね」

「そうだな。だが、ゆえに美しいのであろうな」

 遠い目で夜の闇を眺める是実。人々を騙して妻どころか家ごと壊そうとした女の行いを見て美しいと言えるのだから、やはり筋金入りだと呉乃は引きながら納得する。

「そういえば気になることがあってな」

 主人の業の深さに慄いていると、是実が不意に真剣な表情を見せた。

 突然雰囲気が変わり、呉乃はかすかに息を呑む。

「切り取られたかもじや盗まれた品々は取り戻したのだが、この鉛丹えんたんが入った壺というのがまた随分な量だったのだ」

「……女では持ち出せないほどに、ということですか」

 意を汲んだうえでの呉乃の問いかけに是実はゆっくりと首肯する。

 女では持てないほどの重さの壺。だがそれは確かに盗まれていて、他の盗まれた品と一緒に保管されていた。

 これが事実というなら、なつはおそらく――

「共犯がいたのですね」

「本人は否定していたがな。随分怯えた様子で自分ひとりでやったと言っていた」

 新たに出てきた可能性に呉乃は眉間に皺を寄せて考え込む。

 確かになつは詰めが甘かった。犯行自体は鮮やかなものだったが、呉乃が追い詰めたときは随分とおざなりな返事ばかりでどうにも拍子抜けだった憶えがある。

(共犯者の存在を怯えて否定していたということは対等な関係ではなかった? なつが利用しようとしていたならおそらく共犯者に罪を擦り付けるはず。それをできなかったのは相手の立場がはるかに上だったとか? まてよ? だとしたらどうしてなつと手を組んだ? それこそ、鬼の仕業にすればいいはず……)

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