異世界人は日本円を持っていない
桜雨実世
魔王と勇者とカツ丼
私は両手に買い物袋を持って、長くて細い坂道を歩いていた。右側を見れば、どこまでも青い海が広がる。
景色だけはいい、小さな田舎の港町。
そこが私の暮らす場所で、坂の半ばにある一件の小さな建物がカフェ兼家だ。
オレンジ色の屋根に、黄色い外壁。
まるでおとぎ話にでも出てくるようなメルヘンチックな建物。
それが家だ。
私は鍵を開け、家の中に入った。
そこには、3組のテーブルと椅子が並べられている。
床には、全裸の若い男が寝ている。筋肉質の体は、まるでギリシア彫刻のような美しさがある。
初見の客は驚くが、この店では普通だ。
そして、私は仕込みを終わらせ、客を待つ間、ノートパソコンを開いた。
カフェの経営は厳しく、在宅ワークで小銭を稼がなければいけない。
夕方頃に、やっと一人の客がやって来た。
頭に二本の角が生えた男性だ。白目の部分が真っ黒で、瞳は真っ赤。
変わった見た目だが、常連さんだ。職業は世界を破滅に追いやる魔王だという。
もちろん、こんな人は普通なら、私の店がある地球には存在しない。
この人は異世界の人だ。
この店は基本的に、地球の人はなかなかやって来てくれない。
なぜか、異世界の人ばかりが集まる。
魔王はカウンター席に座るなり、肩を震わせながら、泣き出した。
顔を手のひらで覆った。まるで女の子みたいに可愛い。
この人は初来店時にも、
「魔王になったから、町を一つ焼いてみたんだ……。こんなに、後味が悪いなんて思わなかった」
と、泣いていた。
後味の悪さは、町を焼く前に、想像ができただろ!
頭は悪いし、泣き虫なのだ。
魔王は少し落ち着いてから、
「今日、幹部の一人が、勇者たちに、殺されちゃったんだ……。その子のこと、好きだったんだ……。でも、俺、告白できなくて……」
「そっか。告白できないんだったもんね。えっと、世界のエレメントのなんかのあれで、魔王は勇者に最後は殺されなくちゃいけないんだっけ?」
「う、うん。そう。だから、死ぬのが確定してる俺に、告白されたら、重すぎるじゃんか。嫌な記憶の残り方したくなくて」
「優しいねー」
「次は、城に勇者が来るかも……。俺、立派に魔王らしく威厳ある死に方できるかな」
不思議な心配に、思わず吹き出しそうになった。
もう一人の客も店に入ってきた。
「ちわ~。あ、魔王君いたの。久しぶりー」
この人も常連だ。随分とごきげんだから、何か良いことがあったに違いない。
魔王はすぐに、涙を拭い、鼻を噛んで、明るい調子で、
「久しぶり!」
魔王が言った。
「店主さん! カツ丼作ってくれよ。勇者君が勝てるように。今日は俺のおごりね」
「今日もだろ。いつも悪いね! ゴチになります」
魔王は持っていた鞄から金色の頭蓋骨を出して、私に渡した。
「これ、お代ね」
「……これなんですか?」
「黄金をまとわせた人の頭蓋骨です」
うわっ、気持ちわり。
でも、私はそれをおくびにも出さず、お代として受け取った。
このような代金の支払いが多いのも、私が貧乏暮らしの理由だ。
こんな気持ちの悪いものを、貴金属買取店に持って行く勇気が私にはない。
勇者は意気揚々と、
「今日さ、魔王側の女幹部を討ち取ったんだ。すげーだろ」
私はカツをひっくり返そうとした手が一瞬止まった。
魔王も、動きが止まった。
カツは油の海の中で、シュワシュワと泡を立てている。
今、この空間で動いているのは、その泡だけだ。
ちなみに、魔王は自分の世界の勇者の姿を、一度も見たことがないという。
偶然なことに、勇者も自分の世界の魔王を、見たことがないという。
……。
考えてはいけない。
この世界には、色々な世界が、あるのだ。
そういうことが、複数の世界で起こるのだって、普通にありえる。
私は調理を続行した。
カツの両面がきれいなきつね色に揚がる。
勇者が笑顔で、
「次は魔王の城に突撃だー! 討ち取るぜ、魔王!」
私の、卵をかき混ぜる手が、止まった。
深く考えるな、私。
煮汁にひたったカツと玉ねぎに、卵を加えてフタをしてしばし待つ。
その間、勇者は女幹部の詳細を事細かに話した。
魔王は挙動不審に頷きながら聞き、時々、「すごいな、勇者君は」と褒め称えていた。
震える手が、動揺を現しているようだ。
勇者がそれに気づいて、
「なんで、手震えてるの?」
「えっと、えっと、最近、手を使いすぎちゃって」
「あー、そうなんだ。ちょっと貸してよ」
勇者は魔王の手をさすってあげている。
「あ、ありがとう」
魔王は目が泳いでいる。
勇者にカツ丼を出した。
魔王には親子丼だ。
魔王はいつも親子丼を食べる。
自分が勝つわけには行かないからと。
勇者はカツ丼を前に、箸を右手に持ちながら、それまでの明るかった表情が一変した。
絶望に染まりきった顔で言った。
「僕さ、魔王を殺したら、本当は殺されちゃうんだ。僕の力があまりにも強大で、人類の脅威になるからっていう理由で」
「な、なんて、人間は酷いんだ」
魔王は泣きながら怒っている。
勇者は虚ろな表情で、
「時々、今までも僕の力が暴走して、えっと……五個くらいかな? 多分。村とか王国とか消しちゃったのがいけなかったみたいで。制御できなくて、寝てる間に消し飛ばしちゃったこともあるし」
五個くらいということは、実際はどれくらい破壊してきたのだろう。
「でもさ、それって不可抗力じゃん。そりゃ、僕のせいで街の規模とかにもよるけど、年間一万人くらいは犠牲になってるらしいけど、仕方ないじゃん? 僕も力を制御できないこともあるし」
後味の悪さくらい感じてみろよ!
魔王はキョドりながら、
「そ、そうだよね。さ、さすが勇者君だな。そ、そんな脅威的な強さの君を、殺せる人間なんているのかな!」
今度は魔王が勇者をフォローし始めた。
「いるんだ。できるんだ。今、俺の仲間たちは何食わぬ顔で、俺と一緒に戦ってるけど、魔王を倒した後に、俺が従わないと、妹を殺すって脅すんだってさ。影でコソコソ話してるの聞いちゃった」
「人間ってひどいな!」
魔王は勇者の代わりをするかのように、泣き出した。
町一つ焼いたようなお前が言える言葉ではない。
魔王は言った。
「俺、もし勇者と戦うことになったら、相打ちになるように頑張る」
勇者も、
「勇者もそうやって、死ぬほうが幸せだと思う。頑張ってくれよ!」
「任せて」
二人は黙々と食べ終わると、最後の挨拶を交わして店を出ていった。
寝ていた全裸男が起き上がると、「飯」と言った。
「代金は?」
「ツケで」
私は余った玉ねぎをそのまま男に投げ与えた。
男は玉ねぎを掴み取ると、むしゃむしゃと食べ始めた。
魔王と勇者はそれっきり、店に来なくなった。
ここの店は、地球ではない、色々な世界の、色々な何かがやってくる。
人のこともあれば、人じゃないこともある。
客ならば、歓迎しよう。
だから、日本円を持ってこい。
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