29.「魔王の力」

「……見えたぞ」


 ゴドフリーさんが息を呑む。

 光の道の先、瘴気を渦巻かせる黒雲の下に、それは立っていた。


 背丈は人と変わらない。私と似ても似つかない背丈だった。けれど、立っているだけで大地を軋ませ、空気を腐らせる。

 黒い鎧に包まれたその身からは、絶え間なく瘴気が立ち昇っていた。


 それを中心に、魔族たちが膝を折る。

 王の前にひれ伏すように。


「……魔王」


 私の声が震えていた。


「ふん、思ったより小せぇな」


 ゴドフリーさんが吐き捨てる。


「目で見える大きさなど、意味はない」


 ドレイコが淡々と告げる。

 ——その時だった。


「……勇者よ」


 低く、それでいて澄んだ声が戦場に響いた。

 言葉そのものが呪いのように肉体を蝕んでいく。


「死ぬとしても、私の前に立つか」


 その眼差しは、氷より冷たく、炎よりも苛烈だった。

 数万の兵が死闘を繰り広げている戦場で、魔族の王——彼女はただ立っているだけだった。


「……当然だ」


 リカルド様が、光の剣を掲げる。


「俺は勇者リカルド。——貴様を討つためにここに来た!」


 剣先から光が迸る。

 それに応じるように、魔王の周囲の瘴気がうねりをあげた。


「よかろう」


 魔王が、一歩を踏み出す。

 その一歩で、大地が裂け、空が揺らぐ。


「その心意気、さすがは四天王を破っただけはある——」


 一言、黒い杖を手に構えながら、呟いた。


「ディウフィストを殺したのは、お前か?それとも……」


 リカルド様を見やり、その次に私の方へと目を向けた。


「私よ」


 静かに答えると、魔王の口元がかすかに動いた。

 笑ったのだと気づくまで、一拍かかった。


「死霊術師……か」


 魔王の瞳がわずかに細められた。

 その双眸には、怒りではなく、興味が宿っているように見えた。


「人の身で、死を操る。矛盾そのものだ」


 その瞳には、深淵そのものの闇が渦巻いていた。


「人でありながら——半魂半霊はんこん はんれいの肉体得たのだな」


 杖の先が持ち上げられる。


「ひとつ、聞かせてもらおう」


 魔王が言った。

 まるで会話を楽しむかのように。


「死霊術師よ、貴様は生きているか?」


 魔王がくすりと笑った。

 その笑みは、冷酷で、同時にどこか哀しげでもあった。


 ——生きているのか


 一度死にかけた、いえ、死んだ過去。

 魔王の言う「半魂半霊はんこん はんれい」とは、そのことなのだろうか。

 

「そうよ」


 よく分からない。けれど、今の私は決して死んではない。

 死んだ皆のために何かをするために生きている、そのはずだ。


 だから、そう答えた。


「面白い」


 魔王が笑った。


「生と死の狭間に立つ女……貴様は、私の鏡かもしれぬな」


「鏡?」


「そうだ」


 魔王の杖が大地を打ち据える。

 瘴気が爆ぜ、地平線の先まで黒い波が広がった。


 それが合図だった。


「私はディストフェン・イリスティア。貴様と同じ——死霊術師だからな」


 天地を揺るがす轟音の中、魔王が動いた。





 刹那――魔王の杖が空を裂いた。


 轟音とともに黒い雷が走り、地面をえぐる。石片が弾け飛び、火花が散る。

 私とリカルドは左右へ跳び退き、辛くも直撃を避けた。


「……早い」


「勇者と死霊術師、あり得ん組み合わせだな」


 魔王は片手を掲げる。

 そこから溢れた瘴気が、私の知る術式の紋に酷似した形を描いていた。


「死霊術は、本来——生者が扱うものではない。貴様の術など、ただの模倣に過ぎぬ!」


 そう言って魔王は死霊術を行使した。


 次の瞬間、戦場を揺るがす重低音が響き渡る。

 瘴気が渦を巻き、そこから黒い影が無数に溢れ出した。


 私の瞳が震える。


『ほう……そういうわけだったか』


 ファルネウスの呟き。


『ええ、まさか——』


 カルディアの驚き。


『魂を消したのではなく、縛っていたのか!』


 影の中にひと際大きなものがあった。


 岩の鎧をまとい、全身から鉱脈のような亀裂を光らせる巨躯――岩牢ギラナ。

 その隣で、白銀の鎖を纏い、風を刃のように操る――風牢レイストローク。


 そして、闇に覆われた王冠を被る——先代魔王ディザイア・イリスティア。


 私は歯を食いしばり、指先に力を込めた。


「みんな、行くぞ!」


 リカルド様が疾走する。魔王の間合いへ一直線に切り込む。

 それを合図に、魔王との戦いが始まった。


 リカルド様の剣に反応したのは、先代魔王ディザイアだった。


「……この程度か」


 先代魔王ディザイアは黒い魔剣を握り、リカルド様と剣を交えながら舞う。


「リカルド様!今助けに——」


「こっちはいい!」


 火花が散り、二人の力が拮抗する。


「他を頼んだ」


 真剣な眼差しでそう告げられて、私はハッとした。

 戦うべき敵は、目の前のディザイアだけではない。


「……私たちもやるわよ」


 ゴドフリーさん、ミランダさん、そして死霊のみんな。

 その全ての力をここで出しきる。


「——【犀星サイスターフ】!」


 ヴェル爺の魔法が炸裂する。巨大な光の塊が戦場を走り、壁となっていた魔王の死霊の軍勢を吹き飛ばす。

 その隙に、ゴドフリーさんとクラウスが突撃する。


「ここは通さぬ!」


 岩牢ギラナの叫びと共に、鎧の腕が振り下ろされる。大地に衝撃波が走り、二人ははじき飛ばされそうになるが、クラウスが地面に魔法陣を描き、衝撃を吸収。


 ゴドフリーさんは体勢をすぐさま立て直し、大盾で岩牢の腕を受け止めた。


「さすがに重いな」


「だが——確実に本来の実力は出せていない!行くぞゴドフリー、俺について来い」


「おうよ」


 二人の攻防一帯の連携攻撃。

 ギラナの攻撃をゴドフリーさんが受け止め、その隙を縫うようにクラウスが攻撃を繰り出す。


「【土解駁アースバグ】!」


 ギラナの魔法にも、ヴェル爺やミランダさんが対応した。


「【妓殺槍グレイシャルボレー】!」

「【氷結連弾フロストスピアアサルト】!」


 そして——。


「今だ、ゴドフリー!」


 クラウスの叫びに合わせ、ゴドフリーさんは盾を構えたまま、渾身の力で岩牢ギラナを押し込む。



 その一方で、私は風牢レイストロークと対峙していた。


「【風塵刀剣ウィンドネスブレード】」


 レイストロークは、空気を裂くような風の刃を次々と放つ。


「……くっ」


 私は素早く身体を翻し、風の刃をかろうじてかわす。

 だが、避けても避けても、新たな刃が次々と迫る。


 「姫様、お守りします!」


 そのとき、ドレイコが前に躍り出た


「ワタクシもお手伝いいたしますわ」


 ミーナが細やかな音を奏で、風の刃の軌道を逸らす。小さな音の波長が風とぶつかり、刃を無力化していく。


 私は息を整え、魔力を集める。ドレイコとミーナの守りがあることで、ようやく風牢レイストロークに真正面から挑める気がした。


 ルビアが微笑みを浮かべ、私の隣に立つ。


 「ナディア様、共に歩みましょう……」


 私は杖を構え、ルビアも同様に、魔方陣を描く。

 

 「【推しの加護ファンコール】……!」


 ルビアの魔法が戦場に響く。呼吸と魔力のリズムが、彼女の動きと完璧に同期する。

 ルビアと私の動きは、まるで一つの身体のように一糸乱れない連携を見せた。


「いくわよ、ルビア——!動きは鈍ってないわよね?」

「当たり前です、私はいつでもナディア様と共に——!」


 互いの声が合図となり、私たちは一瞬の隙もなく息を合わせる。

 レイストロークは刃を連続で振るうが、私たちの連携はそれを完全に吸収し、反撃の光を生む。


「ばかなっ——」


 杖の先から迸る魔力と、ルビアの魔方陣から放たれる光が交錯し、レイストロークの防御を破壊する。


「「1,2,3——!」」


 その合図と共に、私たちは同時に魔法を解放する。


「【髑髏拳上スカルアッパー】」

「【光抗日晶ルミナスブレイズ】」


 光が縦横無尽に飛び交い、レイストロークの周囲を囲む瘴気を切り裂いていく。私の魔力が杖を通じて直撃し、ルビアの魔力がそれを増幅させる。戦場に轟音と閃光が交錯する。


『ナディア、これを使え——!』


 炎と光が渦巻き、戦場全体に衝撃が走る。私たちの攻撃はレイストロークの体勢を崩し、攻撃が炸裂する。


「【炎祭崩インフェルノ・クラッシュ】!」

「【光祭汲ルミナス・ハーニー】!」


 レイストロークの防御を崩し、ついに間合いに入る。


「ありえんっ——」


 レイストロークが呻く。しかし、私たちは止まらない。


「畳みかけるわよ!」


「はい!」


 最後の一撃を放つ。私たちの魔力が完全に同調し、一点に集中する。


「1,2,3!」


「【双組同撃ダブルコンビネーション】——!」


 一瞬の閃光の後、戦場は静寂に包まれる。


 レイストロークは地面に膝をつき、瘴気が渦巻くその体から、黒く重い霧が徐々に薄れていく。周囲の空気が急に軽くなるのを感じ、私は深く息を吐いた。

 杖をしっかり握りしめ、汗と埃で汚れた顔に小さな笑みを浮かべる。ルビアと目が合い、言葉なく頷き合った瞬間、戦場の緊張がほんの少し和らいだ。


「やったわね」


 そのとき、遠くから、ギラナの方の戦いの気配が徐々に強まる。土煙と砕ける岩の音、重低音の衝撃波が私たちの耳に届く。


「ナディア様!」


 声の方向を見ると、クラウスがでこちらに向けて手を振っている。


「ナディア、どうやらそっちも追い詰めたみてぇだな」


 ゴドフリーさんと合流し、風牢レイストロークと岩牢ギラナ、二人の四天王を追い詰めた。


「ギラナよ、どうやらここまでのようだ」


 レイストロークの低い声が響く。


「ふっ……新しい時代の到来か」


 ギラナは膝をつきながらも、微かに笑みを浮かべる。 


 ふとした違和感。

 よく見てみると、二人に掛かっていた魔王の瘴気が晴れていた。


「終われせてくれ」


 ギラナとレイストロークの二人は自然と同じ場所に集まり、互いの存在を認め合うかのように立ち止まる。

 風が二人を軽く揺らす。


 私は杖を握りしめ、目を合わせる。


「【魂魄浄化ソーラー・アブソリューション】」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る