30.「二人の魔王」
幼いディストフェンは、父ディザイアの前にひざまずく。薄暗い光が、少女の半霊半魂の身体を淡く照らしていた。
「父上……私が王位継承最下位とはどういうことですか?」
ディザイアは冷たく答える。
「お前は人でも魔族でもない。存在そのものが不完全なのだ。王としての資格はない」
魔族としての力はなく、人間としての魂も不完全な身体。
「それでも、私は……私は力を示せます!」
「力だけでは王を名乗れぬ。魔界を導く資格はない」
その後、ディストフェンは密かに死霊術を研鑽し、自らの半霊半魂の身体を活かす術を極める。人類としても魔族としても不完全な体は、かえって彼女に独自の魔力をもたらした。
時は流れ——
「父上……これが、私の力です」
少女だった彼女は、今や冷酷な魔王の姿となって父の前に立つ。
かつて父であった先代魔王を使役下に置く――現魔王ディストフェンの誕生である。
◇
「リカルド様、助けに来ました!」
先代魔王ディザイアと剣を交えるリカルド様のもとへ、私は全速力で駆け寄る。
ディザイアの放つ漆黒の魔力が、光の剣とぶつかり合い、閃光と轟音を撒き散らしていた。
「ナディア!……そっちはもういいのか」
リカルド様は、視線すらこちらに向ける余裕がないように見えた。それでも、私の存在を気にかけてくれているのが伝わってくる。
「はい、今行きます!」
大丈夫。四天王は倒した。
あとは私と皆で……。
「後ろじゃ!」
ヴェル爺の鋭い声が、届いた。
私は反射的に足を止める。
その瞬間だった。
「え……?」
背後から、凍てつくような殺気が迫っていた。
「ナディア様!」
次の瞬間、目の前に誰かが飛び出してきた。ルビアだった。
彼女の身体が、黒い槍のような魔力に貫かれる。
「ルビア!」
私の叫びが喉から絞り出される。
魔王ディストフェンの魔力だ。私たちとリカルド様を分断するために、彼女は攻撃を放ったのだ。
「私は大丈夫です、それよりも……」
ルビアは、血を吐きながらも私を庇うように立ち続ける。その瞳は、迷いなく魔王ディストフェンを睨みつけていた。
「あの戦いの邪魔はさせないわ」
魔王は淡々と、しかし有無を言わさぬ口調でそう告げた。彼女の周りには、瘴気がさらに濃く渦巻いていた。
「ナディア様、ここはワシらが……早くリカルド殿のところへ」
そう言って、ヴェル爺が駆けつけてくれた。その後ろから、ゴドフリーさんやミランダさん、それに死霊の仲間たちが次々と集まってくる。
「ごめん、ありがとう……!」
私は彼らの言葉を信じ、再び走り出した。
今、ここで立ち止まってはいけない。
「行かせないわ!【
魔王ディストフェンが黒い杖を振り上げる。無数の黒い槍が、私めがけて飛んできた。
「それはこちらも同じこと」
ドレイコが私の前に立ち、巨大な土壁を展開した。
【
「へへっ、やってやるぜ」
「当たり前だ、あちらの決着が付くまで……守り抜く」
バーン、クラウス。
みんながそれぞれの武器や魔法を構え、魔王ディストフェンと対峙する。
(今のうちに早く……!)
私は仲間たちの背中を信じて、リカルド様のもとへ走った。
そしてついに、たどり着く。
「ふっ、ひとり増えたか………」
ディザイアは、リカルド様と私を交互に見て、不敵に笑った。
「すまない」
リカルド様が私に小さく頭を下げる。
「謝らないでください、まずは、彼を二人で倒しましょう……」
私は頷き、杖を構える。
「ああ」
リカルド様の光の剣と、私の魔法が同時に放たれる。
ディザイアは剣と魔力を巧みに操り、私たちの攻撃を捌いていく。
「──【
激しい攻防の中、ディザイアが叫んだ。
その魔法は、まるで花弁のように舞い上がり、私たちを包み込む。
花弁に触れた瞬間、頭の中に声が響いた。
(……なに、これ)
それは、誰かの記憶だった。
満開の桜並木。楽しそうに笑う少女。そして、その横で、どこか寂しげに微笑むディザイアの姿……。
「ナディア!大丈夫か?」
リカルド様の声が、遠くから聞こえてきた。
彼は私を庇うように立ち、剣で魔法の花弁を払っている。
「はい、少し……勝機が見えました」
私の中で、記憶の断片が繋がっていく。
岩牢ギラナと戦った時、ゴドフリーさんは言った「確実に本来の実力は出せていない」。
魔王に行使されていたはずの四天王は瘴気が晴れてから、自ら戦いを止めていた。
そして今、この入り込んできた記憶。
「勝機?」
リカルド様が驚いた顔で問い返す。
そうだ。魔王の力は、すべて瘴気を媒介にしている。
そして、この先代魔王ディザイアもおそらく瘴気によって操られている。
もし、この瘴気そのものを浄化することができれば……。
私は遠くにいる魔王ディストフェンや戦っている仲間に目をやった。
(大丈夫、まだ……時間はある)
「少し準備をします」
「わかった、俺が時間を稼ぐ」
リカルド様は迷うことなく頷き、再びディザイアと剣を交え始める。
私は集中する。
私の魂を、ディザイアを経由しディストフェンへと……。
「届いて──【
私は死霊術師として「死者と生者を繋がなければいけない」
◇
そこは、花園だった。
庭園とも思えるそこには、現界には無い植物があった。
——魔界、それも魔王城だ。
一瞬だけ見た記憶の断片のようなもの。
私は死霊術師として、死霊の声を、時折——視たり聴いたりする。
それは受動的なもので、その死霊が深い後悔を残していたときにのみ、私が知ることができるもの。
ディザイア・イリスティア。ディストフェン・イリスティア。
私の隣に立つ——先代魔王と現魔王。
——ディザイアの記憶を見て、私は何もしないわけにはいかなかった。
「ここは精神世界よ」
私がそう告げると、ディザイアは眉をひそめ、周囲を見渡した。
「死霊術師は、こんなこともできるのか……」
「ええ、どんな状況でも、自らを知り、自らを表現できる場所です」
「……瘴気がないな、異様な静けさだ」
一方、ディストフェンは無表情に立ち、冷たい視線を私に向ける。
「私をここに呼んだところで、何も変わらないわ」
ディザイアはディストフェンを見据え、深い溜息をついた。
「ここにお前が居るということは……そういうことなのだろうな」
「ええ、あなたの叫びを聴いた」
「感謝しよう」
ディザイアの周囲の空気がゆっくりと揺れ、庭園の光を淡く反射してきらめいた。
彼の瞳には怒りも憎悪もなく、ただ長く生きてきた者の深い慈愛があった。
「お前は……王としての資格はなかった」
ディザイアの声は、低くも温かく、遠くから響く鐘の音のように胸に落ちていく。
「それでも私は、あんたを超えた」
ディストフェンは言い放ち、杖を握る手に力を込める。
私はその光景を見つめ、心の中で彼女を感じる。
「私が魔王になれば、みんなが幸せになる」
ディストフェンの声は、震えも迷いもなく、確固たる意志を帯びていた。
「……馬鹿な娘よ」
ディザイアは微笑む。目を閉じ、深く息を吐くと、身体が光に溶けていく。
「力だけでは王足りえない、魔族のことだけを考えるのもまた愚かだ」
風が花園を通り抜ける。
「……なぜ、魔界と現界に分けられ我らが生まれたのかを知らなければならない」
ディザイアの声は遠く、しかし重く響く。光に溶ける彼の身体が、まるでこの世界そのものの理を語っているかのようだ。
「死地になったところに地脈は二度と巡らず、それは殺すことになる」
「だからなんだっていうの」
「全ては円環なのだ。巡らすことこそ、本来あるべき姿。それを維持するための魔王と勇者だ」
「それがおかしいのよ!どうして私たちが——」
ディストフェンは拳を握り、杖を地面に突き立てる。
「死霊術の力を持っているにもかかわらず、分からんか。霊脈と地脈の両方が無ければ、世界が成り立たないということを」
彼の言う通りだ。
現界にある生地、魔界にある死地、地脈と霊脈は巡っている。
表裏一体の根幹だ。
「それでも、私は——!」
「ああ、その覚悟が変わらないことも知っている」
ディザイアの声は柔らかく、慈愛に満ちていた。
「だからこそ、お前の力のみで戦ってみよ」
その言葉に、ディストフェンは一瞬だけ目を細める。
ディザイアの身体が光の粒子となり、ゆらりと宙に散り始める。
「ナディア、だったか。ファルネウスとカルディアには後の魔界を任せると言っておけ、あの二人なら、また受体できるはずだ」
ディザイアの視線が娘に注がれる。
「それと——どうか、馬鹿娘を止めてやってくれ」
淡い光が身体を包み、ディザイアの姿はゆっくりと溶けていく。
花園の風が花びらを揺らすように、彼の存在は浄化され、満足げな微笑を残して、静かに消え去った。
残るのは、決意に満ちたディストフェンと、それを見守る私だけ。
私は現実へと戻り、杖を握り直し、戦場へ戻る準備を整える。
——今度は、彼女との戦いに全力を尽くす番だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます