27.「休暇」

「四天王は散ったか……」


 銀糸のような長髪を王冠で束ね、冷たい瞳を持つ女が玉座に腰掛けていた。

 彼女の名は――ディストフェン・イリスティア。


 魔界を治め、全ての魔族を統べる存在。魔王である。


「勇者だけは、必ず仕留めると豪語していたものを」


 吐き捨てるように呟き、彼女の脳裏をよぎるのは一人の男の影。

 黒牢ディウフィスト。


 魔王にとって唯一の脅威は、神から加護を受け、その身に“魔を滅する権能”を宿す勇者だけ。

 だからこそ、ディウフィストを信じていた。数十年前、魔界革命を支え、己を王位へと押し上げた腹心の男。誰よりも信頼し、唯一心を寄せた相手だった。


 ――だが彼は死んだ。


「ああ、ディウフィスト」


 彼女は赤い唇に、冷たい微笑を刻む。


「お前の墓標は、勇者の屍で築いてやろう。それが、私から贈る唯一の愛だ」


 静謐な玉座の間に、凍りつくような誓いが響いた。





 あれから――炎牢城を出た私たちは、久方ぶりに王都へと戻ってきていた。

 懐かしい街並みと人々の笑顔、それと隣に居るリカルド様。


 あのときとは違った距離感、さらに暖かくなったパーティー。ずっと一緒に行動して、言葉を交わして、隣を歩いて。……心臓が休む暇をくれなかった。


 だから私は、休暇と称して、宿にこもり今は机に向かっている。


「ふふ……」


 ペン先を走らせながら、私は小さく笑みをこぼす。

 書いているのは、リカルド様との旅路の記録。……伝記なんて大げさだけれど、思い出を一つひとつ綴っておきたくて。


「ナディア様、さっきから頬が緩みっぱなしですわ」


「え、えへへ……分かっちゃう?」


「もうっ、本当にどうなさったんですの!」


 からかうミーナに、私は慌てて頬を押さえる。どうしよう、顔が勝手ににやけてしまう。


 彼に出会ってから、私の世界はどれだけ変わっただろう。

 死霊術師として忌み嫌われ、陰に追いやられていた私を、変えてくれた。


「お嬢様、ますます頬が赤くなってますわよ」


「ちょ、ちょっと! 書いてる途中に覗かないでよ!」


「だって気になるんですもの」


 くすくす笑うミーナの後ろで、クラウスが苦笑交じりに肩をすくめた。


「まあ……ナディア様が幸せそうなら、それでよいだろう」


「クラウスまで……」


 私は照れ隠しのように机に向き直り、インクの染みた羽ペンを握り直した。

 目の前の羊皮紙には、すでにぎっしりと文字が並んでいる。私が知る限りの彼の

旅路を振り返り、出来るだけ細かく綴っているのだ。


 それは、ひとえに――私が浮かれているからだ。


「……勇者リカルド様は、いかなる困難にも真っすぐに立ち向かい、その背中で仲間に希望を示した……」


 書き進めながら、ふとリカルド様の姿が脳裏に浮かぶ。


(初めて会ったときは……)


 思い出すと、胸がきゅっとする。


 その時、後ろから熱気を帯びた手が伸びてきて、私の書いている羊皮紙を覗き込んだ。


「おっ、なになに……? おおっと、こりゃまたラブラブな内容じゃねぇか!」


 バーンだ。


「ちょっ……!」


「『リカルド様の剣さばきは、夜空を切り裂く流星のごとく』? こりゃ詩人だなぁ!」


 部屋中に笑い声が広がる。


「ま、あれは見事だったな」


「剣筋に迷いがなかった。勇者の名は伊達ではない」


 クラウスやドレイコまで、真面目に同調するから余計に恥ずかしい。

 私は耳まで真っ赤になり、顔を伏せてしまった。


「こうしてナディア様が勇者殿を語るのを見るのも久しぶりでな。……皆、嬉しく思っておるのじゃ」


 ヴェル爺の穏やかな声に、部屋がふっと静まり返った。


(ああ、そっか)


 みんなが少し浮足立っているような気がしたのも、いつもと調子が違うのも……私が変わったからだ。


 バレないようにと、ずっと後ろめたい気持ちを抱えて、時には過激に振る舞ってきた私が、今はこんなにも自然になんの遠慮もなく笑っている。


 その変化を、みんなは敏感に感じ取っているのだ。


 なるほど、いつもと雰囲気が違う私にどう接すればいいのか分からなくなっちゃったと。


「なんだ可愛いところあるじゃない」


 何年も一緒に居て、みんなの動揺している姿を見たのは何気に初めてかもしれない。


「っち……べ、別に大したことじゃねぇだろ」


 彼はそっぽを向き、腕を組んで誤魔化す。けれど頬がわずかに緩んでいるのが、はっきり分かった。


「照れなくていいじゃない、というかバーンにそういう感情があることが驚きよ」


 私が苦笑交じりに呟くと、クラウスがすかさず口を開いた。


「そうだ、照れる必要はない。我々が皆思っていることだ。ナディア様がようやく素直な感情を見せてくださった。それが何よりも素晴らしいことだ」」


「まあ、クラウス殿は時々ずるいですわね。そういう大事なことを、先に言ってしまうんですもの」


 ミーナがくすくす笑いながら、私の隣に腰かけた。指先で机をとんとん叩き、羊皮紙を覗き込む。


「だって、お嬢様に伝える役は本来ワタクシなのよ」


「……え?」


「お嬢様がこんなにも誰かを好きになって、こうして素直に言葉にしている。そのことが、どれほど尊いか。……それが、とても嬉しいんですわ」


「うむ、ワシも同じ気持ちじゃ」


 ヴェル爺がしみじみと笑った。


「初めに会ったときは、誰も寄せ付けぬ顔をしておったのに、今はこうして笑っておる。これも勇者殿のおかげじゃな」


 彼が私を拾い上げてくれなかったら、きっと今の私はなかった。

 この温かな時間も、皆との笑いも。


 たぶん、これほどまで大きなものではなかった。


 そう思っただけで、胸が熱くなっていく。


「姉御よ」


 バーンが唐突に声を上げる。


「この伝記をいざ本にするなら、俺らのこともちゃんとカッコよく書いとけよ?」


「カッコよく?」


「そりゃあ当然だろ! 俺の爆裂魔法で敵が一瞬で灰になった、とかよ!」


「……一瞬、ではなかったな」


 ドレイコが腕を組み、冷静に突っ込む。


「むしろ炎が回り込みすぎて、仲間まで危なかったことも多々あった」


「ふふっ……そういうところもちゃんと書かなくちゃね」


「お、おい! やめろぉ!」


 バーンの情けない声に、また部屋中が笑いに包まれる。


「私はどう書かれるのかしら?」


 ミーナがすっと背筋を伸ばし、両手を胸の前で組んでみせた。


「伝記に残るのであれば、少しは美しく書かれたいですわ」


「ならこうね」


 私はペンを握り直し、わざとらしく声に出して読み上げる。


「――ミーナ、いつも隣に居て私の心を癒してくれるお姉さま」


「まぁっ!」


 ミーナは両頬を染め、ぱたぱたと手を振った。


「そ、そんな……お嬢様、それは反則ですわ!」


「事実を言ったまでよ」


「ふむ、ならば俺はどう書かれるのだろうな」


 クラウスが口を挟んだ。


「クラウスは堅物、でいいんじゃない?」


 私がにやりと笑うと、バーンがすかさず「おお、それだ!」と乗っかる。


「うむ、異論はない」


 ドレイコまで真顔で頷くものだから、クラウスは珍しく言葉を詰まらせた。


「……おい、少しは弁護してくれてもいいのでは」


「そういうクラウス殿の律義さが、我らをまとめる力になっておるのは事実じゃしな」


 ヴェル爺が目を細める。


「ええ、感謝してるわ」


 私は笑ってうなずく。

 それから視線を巡らせると、他の死霊たちもこちらを見ていた。


「さて、ドレイコはどう書けばいいかしら?」


「……余計な飾りはいらぬ、姫様のありのままが我だ」


「なら『皆を守る屈強な剣士』ね」


 私がにっこり笑うと、彼は無言で顔を逸らした。

 その耳元の鱗が、ほんのり赤く見えたのは気のせいじゃないと思う。


「ワシはどうなるのかの?」


 ヴェル爺がわざとらしく咳払いをする。


「ふふっ……もちろん、『死してなお皆を導く大賢者』よ」


「ほっほっほ、良い響きじゃ」


 そう言いながらも、どこか嬉しそうに白い髭を撫でている。


 こうして一人ひとりのことを思い出しながら綴るだけで、胸の奥が温かくなる。

 私はたった一人だと思っていたのに。今はこんなにも、たくさんの仲間がいるのだ。


「せっかくなら、みんなと話しながら書くのも面白そうね」


 私はそう言って


「でしたら、リアルテイ要塞のとき――!」


 不意に、ルビアが口を開いた。


「勇者様が一人、敵陣に走り一騎打ちを始めたあの場面はいかかでしょうか」


「あれは見事じゃったのう!」


 ヴェル爺が目を細める。


「俺の爆裂魔法も活躍した戦いじゃねぇか」


「だが、魔力の余波で勇者殿が吹き飛ばされかけていた」


 ドレイコが冷静に突っ込む。


「っ……そ、それはまぁ……多少は、な」


 気づけば皆、机を囲んで思い出話に花を咲かせていた。


「リリエンの街を守ったときのことなんてどうかしら」


 ルビアが指を組み、うっとりとした表情になる。


「ナディア様が必死に結界を張って、勇者たちを守ろうとなさった姿……今も目に焼き付いておりますわ」


 私は思わずペンを止め、彼の背中を思い出す。

 決して大きくはないのに、不思議と誰よりも大きく見えた。

 振り返らずに前を向く、あの姿。


「そうそう、あの時ナディア様も格好良かったんだぜ」


 バーンが机をばんっと叩いた。


「敵の大軍を前に、怯えるどころか『かかってきなさい、この私が迎え撃つわ!』ってな!」


「……わ、私そんなこと言ったっけ」


「言った! 確かに言った!」


 バーンが力強く頷く。


 また笑いが起こる。


「ナディア様は死霊たらしですからな」


 別の死霊が言う。


「我らを盾にするのではなく、我らを対等な家族として視てくれた。そんな死霊術師は他におりませぬ」


 胸の奥がじわりと熱くなった。。


「炎牢城での決戦」

「おお、あれは壮絶であった」

「剣と剣が交わるたびに、空気が震え……。ナディア様も、あの時は必死に支えておられた」

「動けない身で、我らは応援することしかできなかった。あの虚しさ」

「勇者殿の剣筋は迷いがなかったな」

「最後にはああして、炎牢殿の力もあって助けることができた」

「勇者様の姿もナディア様に力を与えていたわ」

「背中を追うだけで、誰もが希望を灯す。まさに英雄の姿」


 私はいつの間にか、ペンを握る手に力を込めていた。


「ナディア様」

「こうして皆で思い出を語れるのは、やはりお嬢様のおかげですわ」

「そうじゃそうじゃ」

「皆、こうして笑い合えるのも当たり前ではないからな」


 その言葉に、胸がいっぱいになった。


 仲間の声が背中を押すように、次々と文字が並んでいく。


 リカルド様のこと。

 家族たちのこと。

 共に過ごした日々のこと。


「ここはこうだろ!」

「いいや、私はこうよ!」

「もっとカッコいいって」

「ワシも——」


 部屋は喧騒に包まれていった。

 バーンが大げさに魔法の話をして、クラウスが真面目に補足して、ミーナが笑ってみんなが突っ込みを入れる。

 ヴェル爺は目を細め、他の死霊たちも物思いに語る。


 その一つ一つが宝物のようで、私は夢中で書き続けた。


 そして――魔王との決戦を控え、数ページ分を飛ばすと、最後のページには、こう記すことにした。


『仲間と共に過ごす日々は、どんな宝よりも尊く――その中心には、勇者リカルド様の背中があった』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る