第1章 第3節 悪夢か、現実か…?
「ねえ、高坂さん」 隣で作業をしていた田中さんが、声を潜めて言った。 「また来てるわよ、あれ」
彼女の視線の先にあるのは、仕分けのどの箱にも属さない、一通の封筒だった。 茜は黙って頷いた。
差出人も、宛名もない、真っ白な封筒。 切手も貼られていない。 本来なら規定に従って即刻「還付不能郵便」として処理されるべきものだ。 けれど、誰もそれに触れようとしない。 課長でさえ、一度ちらりと見て眉をひそめたきり、何も言わなかった。
それは、まるで周囲の空気を歪ませるような、奇妙な存在感を放っていた。 他の郵便物とは紙の密度が違うような、あるいは、内側に沈黙を溜め込んでいるような、異質な気配。 局員たちは無意識にそれを避け、最終的にいつも茜の作業台の隅にある、古い木箱にそっと置かれるのが常だった。
その日も、茜は他の郵便物をすべて片付けた後、最後にその封筒を手に取った。 ひんやりとしているのに、なぜか生き物の微熱が宿っているような、矛盾した感触。
紙は、少し古めかしい質感の和紙だった。 そして、封筒の裏に、万年筆で書かれたのであろう、たった一行の文章が記されている。 茜はその文字を、指先でそっと撫でた。
『夕方、わたしはカーテンの隙間から、薄暗くなった向こうの町を見ていた』
その瞬間、茜の心臓が、氷水に浸されたかのように強く収縮した。 文字。 この、声の化石。
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