ラヴミーラヴユー

杯 星耕

第1話 いつも通りの放課後_猫屋敷祥太の場合

 放課後、教室はアッという間に閑古鳥。大抵のクラスメイトは塾、部活、プリ…みんな其々の形で其処を飛出す。窓の外は、あと少しで夏休みを迎える事を示唆して居るような陽射。その耀ひかりが、机上に置かれた自分のiPhoneが空虚な燦き《かがやき》を魅せていた。

 その画面をタップすると、登山愛好会のグループLINEが開く。毎年恒例の夏の富士山への引退登山について、部長の加藤陽子が愛らしいパンダのスタンプで「晴れるといいね!」と送って来ていた。その隣で「マナカナ、ザ・たっちよりも絶望的に見分けられない」ことでも有名な双子の弟の諒太は、何やら早押しクイズのアプリに無我夢中だ。画面をギロッと睨みつけ、人差し指をせわしなく動かす姿は、何時もの彼だ。

 僕等は一般コース。部活、バイト、SNS、恋…何だって「自由」。この何割かがそうで在るように。僕等も又そのごく普通のの中に居た。

 だけど、幼馴染の駒野佳奈は違う。

 校舎の端にある「東大コース」の校舎。あそこは別世界。いや、牢獄だ。部活も、男女交際も、SNS、バイト…全部禁止だ。自分がもし此処に居たら、耐えられない。なのに彼女はたった一人で居る。

「おい、祥太。」

 諒太の聲に、意識が引き戻された。

「どっちが正解だと思う?」

 クイズの画面には「日本で初めてロンジンワールドベストレースホースランキング1位になったのは?」だった。

 選択肢は「ジャスタウェイ、エピファネイア、ジェンティルドンナ、ゴールドシップ」という4つの選択肢が表示されている。競馬は専門外だけど「ジャスタウェイ」なのは謎に知って居る。でも、その馬が最も暉やいたドバイも富士山も何だか遠く感じる。

 放課後、僕は図書室に居た。

 貸出手続を終えたのは何冊かの登山雑誌と一冊の古びた詩集。表紙には「蓬莱曲」と書かれて居る。自分自身、北原白秋、萩原朔太郎、与謝野晶子、草野心平などの作品も好きだけど、もっとも好きなのはだ。彼は自分の内面を、心の叫びを、彼が兎に角愛した「恋の素晴らしさ」を20数年の短い生涯を通して其の儘言葉にした。その不器用な情熱がたまらなく好きなのだ。

 佳奈が勉強しているだろう自習室に足を向けた。廊下は静まり返って居て、肌寒い空気が漂って居る。扉から垣間見ると、彼女は特等席で、唯只管ただひたすらに赤本に向かって居た。しかし、其の表情は固くなる。

「祥太、悪いけど、今匆いそがしいの。」

 彼女はそう言いながら、椅子を僅かに引き、僕から距离きょりを取った。僕の差出した詩集は、不純物でも見るかの様に避けられる。

「でも、之凄く良いんだ。透谷の詩は…」

「良いから。後にして。」

 佳奈は僕の言葉を遮ると、再、赤本にフォーカスした。其の聲には、拒絶、そして少しの苛立が滲んで居る様にも聞こえた。

 僕は呆然して、詩集を握り締めた儘、其の場で立像になって居た。そして、無言で其処を後にした。

 僕の差出した其れは、彼女の空間には入ってはいけない。そう突付けられた。そんな氣がした。

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