触れる指先、繋がる心

舞夢宜人

春編

第1章:新学期、クラス委員選出、そして身体の触れ合いの始まり

第1話 新たな始まりと予期せぬ再会

 西山和樹は、部活で汗を流し終えた体で自転車を漕いでいた。時刻は午後六時を過ぎ、空は茜色に染まり始めている。向かう先は、自宅とは逆方向にある、地元では縁結びの神様として有名な小さな神社だ。


 普段なら寄り道などせずまっすぐ帰路につくのだが、最近の和樹は心に小さな、しかし無視できないモヤモヤを抱えていた。三年生に進級し、相も変わらずクラス委員を務める月島咲良との関係だ。周囲は二人が付き合っていると当然のように思っているが、現実は和樹の一方的な片思い。咲良からは何度も「友達であり、交際するつもりはないから勘違いしないように」と釘を刺されている。その言葉が、和樹の胸にちくりと刺さる。それでも、咲良の隣にいられるなら、と現状を甘受してきた。しかし、高校生活最後の年を迎え、このままでは本当に「ただの友達」で終わってしまうのではないかという焦りが募っていた。


 「せめて、何か進展があれば……」


 本殿の前に立ち、二礼二拍手一礼。目を閉じ、和樹は心の中で願った。


 「どうか、女の子と良い縁がありますように。できれば、咲良との縁が進展しますように」


 祈りを終え、頭を下げたまま、和樹はもう一つ、ひそかな願いを付け加えた。それは、誰にも言えない、しかし最も切実な願いだった。


 翌日、新しい学期が始まったばかりの喧騒が、県立富岳高校の3年1組の教室を包んでいた。和樹は自分の指定された席を見て、思わず息を呑んだ。窓際から二列目、前から三番目。そして、その目の前、つまり彼の真前の席には、あの月島咲良の姿があった。志望校も学習コースも同じ理系公立コースなのだから、同じクラスになる可能性は高かった。しかし、まさか席までこうなるとは。和樹の胸の内には、期待とも不安ともつかない微かなざわめきが広がった。真後ろという位置は、彼女の背中を、その香りを、そして時にわずかに透ける制服の下のラインを、意識せざるを得ない特等席だった。


 朝のショートホームルームが終わり、担任の教師がクラス委員の選出に入った。

 「さて、今年のクラス委員は誰にしようか。立候補はいるか?」

 そう教師が問いかけると、真っ先に手が挙がったのは、陸上部に所属する伊藤楓だった。彼女は活発な性格で、クラスの中心的存在だ。

 「先生!月島咲良がいいと思います!二年連続でやってますし、信頼できます!」

 楓の声が響き渡ると、クラスのあちこちから「咲良でいいんじゃない?」「咲良なら安心だね」といった声が上がった。

 咲良は少し困ったような顔をしたが、最終的には皆の期待に応えるように前に出た。そして、パートナーを選ぶ段になると、迷うことなく和樹の方を振り返った。

 「西山くん、今年もお願いね」

 その言葉に、男子生徒たちから「おお、やっぱり仲良いな」「デキてるデキてるー」といった揶揄の声が上がった。和樹は顔が熱くなるのを感じたが、咲良は涼しい顔で「もう、からかわないでよ」と軽くあしらった。咲良に指名されたことへの喜びと、その周囲の反応に、和樹は複雑な感情を抱いた。


 昼休みになり、教室は生徒たちの活気で満ちていた。和樹は自席で弁当を開き、いつものように静かに読書を始めた。しかし、彼の隣では、咲良と彼女の友人たちが賑やかに昼食の時間を過ごしている。佐々木梓、高橋梨花、小林遥、山本結衣、伊藤楓。いずれも部活で忙しいにも関わらず、咲良を中心に集まる仲の良い女子グループだ。彼女たちの楽しそうな会話が、和樹の耳にも自然と届いてくる。


 咲良が箸を置き、和樹の方に振り返った。

 「和樹、今年もクラス委員、よろしくね。あなたがいると便利だし、男子に声をかけないで済むから楽なの」

 その言葉は、いつもの咲良らしい、遠慮のないものだった。便利、という言葉に和樹は少し寂しさを感じたが、男子除けに利用されているという事実は、彼が咲良の隣にいられる理由の一つでもあった。

 和樹は苦笑しながら言った。

 「はいはい、今年もご命令とあらば。でもさ、たまにはご褒美ぐらいないのかな、って思うんだけど」

 冗談めかして言ってみたものの、彼の心には小さな期待が宿っていた。咲良は一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐにフッと笑みをこぼした。

 「ご褒美?そうね……じゃあ、2年の時の分もまとめて、これあげる」

 咲良はそう言うと、椅子を少しだけずらし、身を乗り出すようにして和樹の背中に腕を回した。温かい体が、制服越しに和樹の背中にぴたりと密着する。そして、和樹の背中に柔らかく、しかしはっきりと彼女の胸の感触が押し付けられた。白いブラウスの薄い布地を隔てて、咲良のインナーウェアの輪郭と、その中に包まれた豊かな膨らみが、和樹の背中に鮮明に伝わってくる。和樹の心臓が、ドクンと大きく鳴った。咲良のシャンプーの甘い香りが、ふわりと和樹の鼻腔をくすぐる。それは、これまで感じたことのない、甘く、そして少しだけ切ない香りに感じられた。

 ほんの数秒のことだったが、和樹はその瞬間、咲良と何かつながりができたように感じた。これまでの一方的な片思いとは違う、確かな身体の繋がりがそこにあった。背中から伝わる咲良の温もりと、柔らかい感触に、和樹の全身が震える。


 咲良はすぐに体を離し、何事もなかったかのように昼食を再開した。

 「相変わらず仲がいいねえ」

 佐々木梓が呆れたように言った。

 咲良はフォークをくるりと回しながら、さらりと言い放った。

 「そんなんじゃないわよ。便利で大事なお友達ってだけ。志望校が同じだし、大学生になって口説いてきたら考えるわ。今はそんなこと考えたくもない」

 高橋梨花が面白そうに問いかけた。

 「えー、じゃあ和樹くんは許容範囲ってこと?」

 「許容範囲だし、大事な友達だけど、高校で恋愛なんて考えたくないの。それに、今彼氏とか作ったら、受験勉強に集中できないでしょ?」

 小林遥が同情的に言った。

 「和樹くん、報われないねえ」

 「デートじゃないけれど、一緒に遊ぶこともあるからそれで十分でしょう」と咲良はあっけらかんと言った。

 (それって、十分にデートでしょうに……)

 和樹は心の中で突っ込んだ。友人たちに咲良が呆れられるのもいつものことだった。和樹もまた、深く、しかし静かにため息をついた。


 咲良は、自分の悩みをぶつぶつと和樹に語った。

 「ねえ、最近さ、肩こりが酷くない?なんか、体がガチガチで勉強に集中できないんだよね。私は書道で無理な姿勢を続けることが多いから、首も肩も凝っちゃって。なんか、体も心も固まってる感じ」

 咲良はクスッと笑い、近くに座って読書を装っていた和樹の方をチラリと見た。

 「そうだ。和樹にやってもらえばいいんじゃない?和樹って、ほら、1年の時にバレー部で故障した時、自分でストレッチとかマッサージとか、色々調べてたでしょ?詳しいんじゃない?」

 「いいよ。」

 咲良からのお願いに、わずかな驚きと、得体の知れない期待が混じり合った。

 咲良はさらに続けた。

 「それに、和樹なら安心して任せられるし。私のこと好きなら、まさか私の同意なしに変なことしないでしょ?」

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