第38話 守る者
ゼフィラの渾身の一撃は『神・ヴァニタス』の具現化しかけた核に確かに命中した。
愛の精霊キューピットの純粋な光が闇の「神」の輪郭を歪ませ、周囲の空気が激しく震える。
ヴァニタスは悲鳴にも似た音を上げ、その巨大な影がわずかに後退した。
瓦礫と化した倉庫の跡地、吹き荒れる風が二人の間に緊張感を生み出す。
「……俺の邪魔をするなぁっ……!」
数秒だけ解放されたライアットは再びヴァニタスの支配を受け、まるで人格が分裂してしまっているように豹変した。
ライアットは怒りに顔を歪め、ゼフィラに向かって猛攻を仕掛けた。
彼の拳から放たれる黒い雷光はこれまでの比ではない破壊力を持ち、大地を抉り宙を切り裂く。
しかし、ヴァニタスの対なるキューピットの力はヴァニタスの力を軽減させた。
今まで喧嘩で一度もライアットに勝ったことがないゼフィラは分が悪いと思っていたが、今はヴァニタスの操り人形のように動いており、いつものライアットの動きとは少し違う。
いつものライアットの動きよりも魔力強化されている分大振りの攻撃が多い。
――ライアットを絶対に開放する……!
二人の戦いは激しさを増す。
ゼフィラの拳がライアットの身体に直接触れるたび、不思議な現象が起きた。
ライアットの身体を覆っていた黒いオーラが剥がれ落ちるように散り、彼と一体化していたヴァニタスの顕現体が、まるで引き裂かれるかのように分離していく。
一撃ごとにライアットの顔に苦痛の表情が浮かび、彼の瞳の奥に宿る狂気がわずかに薄れるのが見て取れた。
――もう少し……もう少しで引きはがせる!
ゼフィラは確信した。
ヴァニタスがライアットから完全に分離すれば、もうライアットは苦しまずに済む。
もう嫉妬の感情に支配されずに済む。
仮にこの世界でやり直しを誰も許さなくても、自分がライアットと一緒に歩いて行ける。
彼の「助けてくれ」という涙の言葉は決して幻ではなかったのだ。
その時、突如としてゼフィラの右脚に凍てつくような激痛が走った。
「っ……!?」
思わず膝をつくゼフィラの視界に、馴染み深い二つの影が飛び込んできた。
「随分派手にやっていますね。世界中滅茶苦茶です」
「排除する」
そこにいたのは
「テメェらぁっ……!!」
彼らは冷酷な目をライアットに向け、その横で膝をつくゼフィラには目もくれず、容赦なく魔法の弾丸を連射した。
それは弱ったライアットを確実に仕留めるための強力な追撃だった。
「ゼフィラ!」
フェリックスが叫ぶ。
ラーンとドランはヴァニタスの再生を阻害するのに手一杯で、ゼフィラを庇うことはできない。
カラスとシラサギの魔法攻撃がライアットとゼフィラに吸い込まれるように迫る。
もう一巻の終わりだ。
ゼフィラはギュッと目をきつく閉じた。
迫りくる死を受け入れ最後の覚悟を決めたその瞬間、走馬灯のように思い出した。
死にかけてフェリックスに助けられたときのこと。
あのときも死を覚悟したこと。
ライアットから逃げ出そうという口実を作ったこと。
ライアットに向き合わなかった今までの後悔――――……
ドォン!!
と魔法が直撃した音がした。
しかし、自分の身体に痛みがないことを不思議に思って目を開けると、目の前にはライアットの背中があった。
「ライアット……!!」
ライアットはカラスとシラサギの攻撃をゼフィラを庇うために受けた。
ヴァニタスの力で防いだとはいえ、深手を負い、身体のあちこちから大量の血があふれ出している。
「がぁっ……!」
ライアットの口から血の泡が噴き出す。
彼はその場に膝をつき激しい呼吸を繰り返した。
彼の身体は血まみれになり、ボロボロだった。
「ライアット!? あんた……どうして……!?」
ゼフィラの目に動揺と信じられない感情が浮かぶ。
ヴァニタスの支配から解放されつつあるとはいえ、自分を庇うなど今のライアットからは想像もできなかった行動だった。
実際に自分を攻撃の盾に使われたり、敵の
ライアットはカラスとシラサギに憎悪に満ちた目を向けた。
その瞳は狂気の輝きが殆ど消え、怒りと僅かながらもかつてのライアットの人間性が戻りつつあった。
「テメェら……許さねぇ……!」
彼は最後の力を一点に絞り込むと、手のひらからヴァニタスの黒い力を
「死ねぇっ!!」
強大な黒い光の奔流がカラスとシラサギへと一直線に襲いかかる。
彼らは咄嗟に防御魔法を展開したが、ライアットの一撃はそれすらも貫通した。
二人の身体は吹き飛ばされ、降り注ぐ瓦礫や土煙の中に消えた。
「ライアット!?」
ゼフィラは意識を失いかけたライアットの身体を支えた。
彼の身体の傷は深く、出血が止まらない。
混乱したゼフィラはライアットの傷を手で止血しようとするが、いくつもの傷を同時に止血することはできなかった。
ゼフィラは助けを求めてフェリックスを見た。
フェリックスはガレンに治癒魔法をかけ続けている。
ガレンの身体の傷は殆ど塞がり、血色も悪くない。
瀕死のガレンに必死の治癒魔法を施し続け、その生命の灯火を辛うじて繋ぎとめていた。
ガレンはまだ意識不明ではあるが、奇跡的に一命をとりとめていたのだ。
「所長! ライアットを治療してくれ! 頼む! 血が止まらないんだ!!」
ゼフィラの悲痛な叫びにフェリックスはガレンを治療する手を止め、ゼフィラの方へ歩いてきた。
しかし、ライアットの身体を見てフェリックスの足が止まる。
彼の顔にそれまで見たことのない複雑な感情が浮かんだ。
それは怒りでも悲しみでもなく、深い憎悪と重い宿命のようなものだった。
「……できません」
フェリックスは静かに拒絶の言葉を口にした。
「頼むよ! ライアットは確かに悪い事をしたけど、それは支配されてたからで……!」
ゼフィラの問いかけにフェリックスは苦しげに目を伏せた。
「……私の名は……フェリックス・アークライト」
彼の口から出たのは、これまで聞いたことのない高貴な響きを持つ姓だった。
「私は……ライアットによって滅ぼされたアークライト王家の、最後の末裔です」
フェリックスの瞳はライアットに向けられた憎悪と、自らの宿命に押し潰されそうな苦悩に揺れていた。
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